2003年6月13日 自転車屋の二代目

先日子どもたちをバレエに迎えに行こうと、自転車で坂を降りたら、 途中で急に後ろの車輪がガタガタいいはじめました。 どうやらパンクのようです。 仕方がないので子どもたちを迎えに行くのは諦め、 自転車を転がしながら、家に帰りました。

そんなわけで、日を改め、今日自転車修理に行ってきました。
最寄の自転車屋さんは15分くらい歩いたところにあります。 15分かけて行って万が一休みだったりすると嫌なので、 あらかじめ確認の電話をかけました。

電話に出たのは、自転車屋さんの二代目の方でした。
「今日は営業していますよね」とうさぎが言うと、
「ええ、やってますよ」と爽やかな声が返ってきました。
ああよかった。おじさんの方じゃなくて。この声は、息子の方だわ。 うさぎはおじさんがちょっと苦手なの。

自転車に乗れば5分の道のりを、パンクした自転車をコロコロ転がしつつ15分歩いて 自転車屋さんに到着。 できれば修理も二代目にやってもらいたいなあ、と思いつつ店の中を覗き込むと、 おじさんはなにやら誰かと商談中、息子の方は何かの作業中でした。

おじさんと息子、どちらが出てくるだろうと思いつつ、 ほんの2、3分ばかり、店内で展示している自転車を見ながら待ちました。

普通の自転車 17,800円。
3段変速つき 19,800円。
――あら、ずいぶん安いわね。

ここ、ナショナルの自転車しか扱っていない店なのです。 ほんの3年前、自転車を買い換えるときにここに見にやってきたときには、 最低でも3万はしていたものです。 坂の街・横浜市民御用達の変速つきともなると、4万近く。 本当は、修理のときにいつもお世話になるこの店で買おうと思っていたのですけれどね、 この高価格に躊躇しているうちに、いよいよ前の自転車がダメになり、 家から10キロほど離れたところを走行中に壊れてしまったので、 その地点近くのホームセンターで新しい変速つきのを16,800円で買いました。

その後、ネネやチャアやきりんの自転車も次々に買い換える必要が出てきたのだけれど、 この店の価格がすでにわかっていたので、 最初から先のホームセンターに出向いて、よく知らないメーカーのを買いました。 ほんの少しの価格差なら、この店で買おうと思ったんですけれどね、 倍以上もするのではねえ‥。

「スーパーで買った自転車なんてダメだ」というのがこの店のおじさんの口グセで、 うさぎが自転車を修理に出すといつもイヤミを言います。 「こんな自転車と、直したってすぐ壊れるよ」と。
「そうかもしれないわね。そしたらおじさん、また直してね」 とうさぎは下手に出るのですが、内心、心穏やかではいられません。
「ふーんだ、なにさ、余計なお世話よ。 スーパーの自転車だって、10年以上使えるんですからね!」 と、直った自転車で走りつつ、ブツクサつぶやくのが常なのです。

幸いにして、今日出てきたのは二代目の息子さんの方でした。 ラッキー! 二代目の方は、そういう余計なことを言わないので気が楽です。
うさぎが店先に置いた自転車を、更に店側に引き寄せて、早速パンクの修理に入りました。 おじさんの方なら、ここでひとつイヤミが入るところです。
「そんな歩道のど真ん中に自転車を置くんじゃない! 通行人の邪魔になるって苦情を言われるのはこっちなんだ。 まったく堪ったもんじゃない」ってね。 別に歩道のど真ん中に置いてるつもりはないんだけれど。

二代目は手際よくタイヤを外しました。 その手元を見ながら、彼に話し掛けるうさぎ。
「なんだかずいぶん自転車の価格が下がったわね。 スーパーとあまり変わらないじゃない?」 一代目のおやじさんにはこんなことを話し掛けて、 わざわざいつもの口上を訊こうとは思わないのですが。
「そうですね」と二代目。 「2年くらい前からでしょうか。段階的に下がってきたんですよ。 でも、たいして変わらない価格で、モノはスーパーのより格段にいいですよー」
「ふうん、そうなんだ。この価格差なら、納得よね」とうさぎ。 この雰囲気、なんとなくどこかで経験したことがあるわ‥と思いつつ。

タイヤの中からチューブを取り出すと、それに空気を満タンに詰め、 桶に張った水の中に浸します。
この工程って、うさぎ、すごく好きなの。 穴が開いているところからは、ブクブク空気が漏れる。それで穴の場所を確かめるのです。 すごく単純で分かりやすいところが好き。科学とか技術の原点を見るような気がして。

でも今日は、この過程の最中によそ見をしました。 二代目の頭を見やったのです。 白いものがすこし混じった髪、大きく後退した額の生え際‥。
うさぎの視線に気付いたのか、ふと二代目が顔をあげました。
「??」
「‥‥」 慌てて目を伏せるうさぎ。
でも、目があった一瞬のうちに知りたい情報はキャッチしました。

一代目のおじさんと比べてたから、二代目は若いという印象があったけれど、
そう若いわけでもないわね、この方。
髪の具合ほど年がいってはいないけれど、
それにしたって、35は確実に過ぎてる。
推定40歳ってところかしら――。

水の中でチューブは一巡しました。だけどどこからも空気は漏れませんでした。 チューブもピンと張ったまま、しぼんでいません。
「あら変ねえ、穴がどこにも空いてないなんて」
「そうですねえ、たぶんパンクじゃなかったんでしょう。 きっと空気の入れ口に詰めてあるゴムがバカになっていただけだったんですね」
そういうと、二代目はチューブをまた元のタイヤの中に押し込みはじめました。

「あなたがなさってるのを見ると簡単そうに見えるけど、 それって自分でやってみるとなかなかうまく行かないのよね」とうさぎ。 「前に自分でパンクを治そうと思って、夫と二人でやってみたんだけど、 最後にタイヤを車輪にはめ込むところができなくて、 無理やり入れようとガリガリやったらチューブにキズをつけてしまって、 結局あなたのお父さまにチューブごと交換していただいたのよ」
そう、それ以来、うさぎはパンクの修理は最初から自転車屋さんに お願いすることにしたのです。 一代目のおやじにイヤミを散々言われつつ、 6千円も支払った悔しさは、二度と味わいたくなかったので。

作業がすっかり終わり、「お値段はいかほど?」と尋ねると、
「すみません、"点検代"ということで1,050円頂きます」と二代目。
パンクでなかったにせよ、 作業をして自転車を直してくれたことに変わりはないのに、この低姿勢。 うさぎは心からお礼をいい、代金を手渡しました。

まったく、スーパーで買った自転車を直すのに文句タラタラなおやじさんと比べて、 なんという差でしょう。 横柄なおやじが息子にこんな教育を施したとはとても思えない。 二代目は一体どこでこの腰の低さを身につけたのでしょう。

実を言うと、自転車屋のおやじが横柄なのは、この店だけではありません。 きりんの実家近くの自転車屋さんも同じ。 スーパーの自転車を目の仇にしている点でも同じです。

きりんの実家にはつい先ごろまで、 きりんとうさぎが乗るようの自転車を置いてもらっていました。 ご多分に漏れずスーパーで買ったその自転車に不具合が発生すると、 きりんの父がそれを自転車屋に持っていくのですが、 そうすると必ずチクリといわれるのだそうです。
ところがそんなとき、きりんの父は、妙なことに、 その自転車屋のおやじを嫌わずに、自転車の方を恨むのです。 「お前たちが安物の自転車なんか買うから、自転車屋に持ってくたびに恥をかく」と言って。

でもうさぎには、義父の気が知れません。 そのことだけならともかく、この自転車屋さん、 他の点でも決して良心的ではないんですもの。 うさぎも何度か、義父についてこの自転車屋さんに行ったことがあるのですが、 いつも「売ってやる」という態度を崩しません。
一輪車を買いにいったときには、開口一番、 「そんなもの、時代遅れだから、もう店には置いてない」。
スーパーならば3,980円で売っている一輪車を1万円で売るのに、 「特別に1割引にしてやる」と大威張り。
スタンド付きだと言うからわざわざ高い方にしたのに、 送られてきたらスタンドがついておらず、 文句を言ったら、"スタンド"というのはただ車輪が回らないようにするためのロックで、 本当のスタンドは「別売だ」と来たものです。
子ども用自転車を3万も出して買ったときだって、 「特別に名前を入れてやる」と恩着せがましく言ったクセに、送られてきたのを見たら、 名前なんてどこにも入っていませんでした。
本当に、うさぎなら「もう二度と行くものか!」と思うような店なのです。

だけど、それでも義父は、スーパーや他の店で自転車を買おうとは、決して考えません。 他の店で修理を頼もうとも思わない。
一度馴染みになった店と縁を切ることなど思いつきもせず、 自転車屋のおやじの横柄さを受け入れているのです。 おやじが「売ってやる」と言えば、「ありがたく買わせて」いただき、 たった一割の値引きを有難がる。「そういうものだ」と思っているようです。

おそらく、義父のような人が、義父の世代にはたくさんいるのでしょう。
どういう扱いをしても 決して離れていかない義理堅い世代相手に自転車を売ってきたからこそ、 その同じ世代である自転車屋のおやじは、殿様商売になるのでしょう。

翻って、二代目の世代は、同世代のうさぎのような客を相手に商売をしてきて、 おやじのようなやり方ではこの先通用しないと、 どこかでわかっているのかもしれません。
いくら修理で世話になるからといって、高ければ、その店では自転車を買わない客。
スーパーの自転車がダメだといくら説かれても、それを頭から信用したりしない客。
「売ってやる」と言われたら、「なら結構です」とほかの店を探しに行く客。
うさぎのような、そういうドライで手強いお客を相手にずっと商売を続けていくには、 おやじのような殿様商売ではダメだと、誰に教えられたわけでなくても、 おのずと分かってくるのかもしれません。

人は世につれ、世は人につれ

一代目の横柄ぶりと、二代目の感じの良さは、要するにそういうことなのかもしれないなあ、 とうさぎは思いました。 きっとこれは個人的な性格の違いなんかじゃない。 世代によるものなんだ、と思ったのです。 だって、こういう図式はほかでも見たような気がするもの。

――そう、あれはたしか、ネネの制服を買った制服屋で‥。