2003年7月10日 ブルネイ旅行記(その1)

うさぎは基本的に怠け者。 切羽詰らないと動きません。
その性格がわざわいし、ふと気付いたら、

来月バリへ行くというのに、ブルネイ旅行記が仕上がっていない!

これは大変! やおら重い腰をあげ、一気に仕上げることにしました。

でも、自分の怠け心に打ち勝つのはた〜いへん!
なので、毎日ちょっとづつ日記の方にアップしていくことにしました。
半年前のブルネイ旅行記を、日記サイトで毎日連載‥うーん、新しいかもしれない?!

バリ行きまであと40日。 毎日欠かさず書けば、なんとかそれまでには書きあがるのではないかと‥? それで、バリから帰ってきたら、今度はバリ旅行記の連載。
――一体これのどこがどういう風に、"いつもの"きりんとうさぎなんだろう??

‥まあいいや、細かいことは気にしなーい! ――っていうより、気にしている余裕はすでにない。 早速今日から書き始めようと思います。

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【 ブルネイ旅行記1 序章 】

今までツアー以外で海外にでかけたことはなかった。
ツアーは安くて手間がない。 条件の合うツアーが見つからなくて個人旅行を考えたこともあったけれど、 経費を計算してみるとツアーより割高になり、 結局少し妥協してツアーに落ち着くこととなった。

今回は、はじめての個人手配旅行。
――どうしてツアーじゃないのかって?
それはずばり、行き先が、ツアーのほとんど出ていない国だったから。

行き先は「ブルネイダルサラーム王国」。 一般的にはあまり馴染みのない名前だと思う。 一年にこの国を訪れる日本人旅行者はたったの1000人ほど。 1日につきたったの3人。 飛行機で2時間しか離れていないシンガポールにはつい数年前まで 年間100万人の日本人が訪れていたというのに、その1000分の1である。

だけれどあんがい、ブルネイと日本の関係は深い。
ブルネイは産油国であり、その産出量のおよそ3分の1を日本に輸出しているという。 更に天然ガスまで採れ、こちらはほぼ100%が日本向け。 日本の側から見ても、石油の方は全体量が多いだけに割合は微々たるものだけれど、 天然ガスの方は13%をブルネイ産に依存している。 ブルネイにとって日本はかけがえのないお客様、 そして日本にとっても、ブルネイはなくてはならない資源供給国なのだ。

ブルネイは千葉県程度の広さ、人口30万人程度の小国で、 1984年にイギリスから独立したばかりの新しい国である。 石油が豊富に出るので、イギリスが最後の最後まで手放さなかった。 北海油田が発見されなかったら、ここはまだイギリス領のままだったかもしれない。

政治形態は「立憲君主制」。 といっても、イギリスのような議会民主制を思い浮かべてはいけない。 議会は一度も開かれたことがなく、首相および、大蔵大臣、外務大臣、国防大臣といった要職は 王族もしくは王様ご自身。
政治のみならず、石油がもたらす巨額の富も、すべて王様が一人で握っている。 おかげで王様は、数年前まで世界一の大金持ち、 ビルゲイツにその座を明け渡した今でも、世界有数の大金持ちであるという。

そんなブルネイ王国へ行くことを、どうして急に思い立ったかというと。
回教国には断食月というのがある。 イスラムの戒律で、 その一月間は、日の出から日没まで、一切食べ物を口にしてはならないのだそう。
で、ラマダン月とも呼ばれるその月が終わると、"ハリラヤ"という祭りの時期に入る。 辛い勤行のあとだけに、人々は解放感に満ち溢れ、祭りは非常に盛り上がるのだそうだ。

具体的には、その時期になると、多くの家が"オープンハウス"といって、 親類縁者はもちろんのこと、見知らぬお客をも招き入れ、ごちそうを振舞うらしい。 国によってその習慣には多少のバリエーションがあるようだけれど、 ブルネイではなんと、王宮さえもがオープンハウスとなり、料理とおみやげまで用意して、 不特定多数のお客を待ち受けるという。

なんて素敵! なんて不思議!
ぜひその時期にブルネイへ行って、いろんな人に会ってみたい!
アラビアンナイトのようなこの国で、人々がどんなふうに暮らしているのか見てみたい!

うさぎがそう思ったのも、無理ないこととご理解いただけると思う。

つづく