2003年8月29日 わたしの中の人種的偏見

うちの中学生・ネネは今、人権についての作文を書いています。 夏休みの宿題を今になってやっているわけで、明日中に書き終えたいのですと。

「ママ、ちょっと読んでみて」というので、第一稿を読んでみたら、 自分の中に潜む人種的偏見を書きたいというテーマは伝わってきたものの、 まだまだこなれていない様子。 テーマがテーマなだけに、これを明日一日でまとめるのは大変だぞ、と思いつつ、 わたしも自分の中にある人種的偏見について考えてしまいました。

◆◆◆

それは昨日のこと。
バリからグアムに到着し、グアムで成田行きの飛行機に乗り換えたとき、 わたしの隣の席に座っていたのは、アメリカ人男性でした。 天井の収納の扉を開けてくれたのが縁で会話を交わしたところ、 海軍兵としてグアムに5年間駐在し、 これから成田経由でアメリカ本土に帰るところだということでした。 ダンディで親切な彼に、わたしは好感を持ちました。

搭乗してから離陸まではだいぶ間がありました。 時刻は朝の5時。夜通し慣れない飛行機の座席で浅い眠りに甘んじてきたわたしは、 さっそくうとうとしはじめました。

搭乗からどれくらい経ったころだったでしょうか。 わたしの眠りは、隣りの彼によって破られました。 彼はわたしの肩をトントン叩いて言ったのです。
「成田へは別の大型機で行くことになりましたので」
そう言うと、彼は他の数名の西洋人と共に飛行機を降りていきました。

わたしは何がなにやら分からず、呆然としました。
窓の外を見ると、だいぶ時間が経ったと思われるのに、飛行機はまだ離陸していない。 眠っている間に、何かあったのでしょうか。
まあ、おおかたダブルブッキングか何かだろう――。
寝覚めの悪い頭でそう考えました。

ところがそこに、日本語の放送が入りました。

「ご搭乗の皆さまにご案内申し上げます。
全ての手荷物をお持ちになり、当機よりお降りください」

「え?」わたしは思わず夫と顔を見合わせました。
こんなことは初めてです。一度乗った飛行機から降りるなんて!

ともかく荷物を棚から下ろし、他の大多数の日本人と共に飛行機を降りました。
一体どういう事情で降りなければならないのかの説明はなく、不安でした。 わたしが眠っている間に、英語のアナウンスが先に入ったのでしょうか。 英語のアナウンスは、もうすこし詳しい事情が説明されていたかもしれない。 そう思い、わたしは隣りに座っていたアメリカ海軍兵を探しました。

でも、ゲート付近に彼の姿は見当たりませんでした。
彼は一体どこへ行ったのでしょう?
他の飛行機で行くべく、すでにどこかへ行ってしまったのでしょうか?

搭乗ゲート付近のソファに腰掛けていると、 航空会社から飲み物とおつまみがふるまわれはじめました。 でも、指示や状況説明のアナウンスは何らありませんでした。 ただ

「不審人物や不審な放置手荷物を見つけた場合には、
すみやかに空港係員までお知らせください」

というアナウンスが流れました。何度も何度も、英語や日本語で。

わたしは不安になりました。 まさか飛行機から降りたのは、テロやハイジャック関係の理由ではないでしょうね――。
機材変更や整備の遅れが原因なら、そういった説明が航空会社側からあっていいはず。 説明が何もないのは、もしや説明できないような理由があるからではないのかしら‥?

そんなとき、目の前を一目でアラビア人と分かる風貌の二人連れが通りました。 わたしは思わずビクンとして、椅子から飛び上がりそうになりました。 アラビア人→テロリストという連想が働いたのです。

もちろん、テロリストの多くがアラビア人だからといって、 アラビア人の多くがテロリストではないことは分かっています。
バリで泊ったホテルの支配人が、
「わたしは回教徒だけれど、昨年のクタのテロと自分とは何の関係もない」 と力説するのを聞いたときだって、
「そんなの当たり前じゃないの、わざわざ釈明するほどのこと?」と思ったものです。

だけど、だけど‥。 頭で理解していることと感情とは別物でした。 この状況下で、わたしは彼らと同じ飛行機に乗りたくありませんでした。 なんとか他の飛行機で帰国するわけには行かないだろうかと、考えました。 そして、なおもアメリカ海軍兵の彼を探し続けました。
どうして彼は、眠っているわたしを起こしてまで、 「別の飛行機で行く」と言ったのでしょう? 危険を察知する能力も高いであろう海軍兵の彼は、 たまたま言葉を交わしたわたしに、ヒントを与えてくれようとしたのかもしれません。

飛行機を降りて一時間ほど経ったでしょうか。 ようやく、再搭乗を促すアナウンスが入りました。 人々はぞろぞろとゲートに列を作って飛行機に乗り込みました。 あのアラビア人の二人連れも。

わたしは気が進まなくて、夫に促されつつ、一番最後にしぶしぶ搭乗しました。
もし隣りの座席にさっきのアメリカ海軍の彼がいなかったら、 夫を説得して機を降りる覚悟でした。

そして果して、隣りの座席を見たら――。

‥彼はそこにいたのです!
わたしは心底ホッとしました。 彼が乗る飛行機は、どんな飛行機よりも安全なような気がしました。 テロともハイジャックとも無縁な気がしました。

「おかえりなさい」 わたしの顔を見ると、彼はにこやかに言いました。 「これでゆっくり寝直すことができますね」と。

「一体何が悪かったのでしょう?」 シートに落ち着くと、早速わたしは彼に尋ねました。 彼は、西洋人特有のポーズで肩をちょっとすくめると、
「さあ? おおかた機材の一部を取り替えでもしたのでしょう」とこともなげに言いました。

つまり、全てはわたしの早とちりだったのです。
コンチネンタル航空グアム発961便は、2時間半遅れたものの、 安全に乗客を成田へと運んでくれました。 隣りのアメリカ兵は、飛行機が成田へと向かう3時間の間ずっと、 機内食も食べずにいびきまでかいてぐっすり眠っていました。

◆◆◆

わたしは、先のイラク戦争には反対でした。
アメリカのイラク進駐は、アラブ世界への内政干渉だと受け取っていました。
アメリカ人よりも、アラビア人にシンパシーを感じてもいました。

でも、いざ自分の命が危険にさらされていると思ったら――。
アラビア人は恐ろしく、アメリカ海軍は味方でした。

もしも天井の収納の扉を開けてくれたのが、
アメリカ海軍兵ではなく、アラビア人だったとしたら。

わたしの心の動きは、違っていたのでしょうか。