2004年1月6日 分かってきた! デジカメ♪ (1) 無知の知

昨年10月にデジカメを買って以来、デジカメで写真を撮ることに夢中になり、 デジカメのことばかり考えながら年を越しました。

カメラで捕らえられる視覚の世界がこんなに広いということに、 デジカメを買って初めて気付いたのです。 いえ、本当はこれまで気付かないようにしていただけかもしれません。 心のどこかで撮りたいと思っていた、 でもフィルム代を考えたら踏み込めなかった世界、 高い装備を考えたら踏み込めなかった世界が、 デジカメの出現により急に身近なものとなったのです。

デジカメは接写の楽しみをわたしに教えてくれました。 いままでは数十センチまでしか近寄れなかったものに、数センチまで接近して撮れる。 小さな花や葉に接近して画面いっぱいに大きく撮れる。 それは、いままで経験したことのない驚きと喜びでした。 今まではろくに気にもとめなかった小さなものの美しさに気付きました。

またデジカメは、高倍率ズームの可能性をわたしに示してくれました。 いままでは、大きく重たい機材でしか撮れなかったものが、ほんの小さな軽い機材で撮れる。 高い空を飛ぶ鳥、遠くの波間に浮かぶ船、 遠くのものを小さなカメラで手軽に引き寄せられる。 それは、ビデオカメラで高倍率ズームを経験してからずっと憧れていた世界でした。

けれど、デジカメには欠点もありました。 遠近感や質感、臨場感がどうも出にくいのです。 背景のボケ味が出にくい。 自分の興味のあるものだけにピタッとピントをあわせ、 あとのものは都合よく無視するという、人間の目のような撮り方が難しいのです。

記憶媒体がアナログかデジタルかという差だけのはずなのに、 なぜデジカメというものにはかような長所や欠点があるのでしょうか。 わたしはそれが本当に不思議でなりませんでした。

人間というのは欲張りなものですね。 一度知ってしまったものは、もう手放せない。 フィルム代をかけず、何枚でも好きなだけ写真が撮れる世界、 小さなものに思いっきり近寄って撮る世界、 遠くのものを手軽に引き寄せる世界を知ってしまった以上、 もうそこから退くことができなくなりました。 それでいて、フィルムカメラで経験しているものを手放すこともできず、 「なぜボケ味が出ないのっ?!」と憤ってみたりする。

デジカメとフィルムカメラのこうした違いは一体どこからくるのか。 それが知りたくて検索をかけまくり、パソコンの前でずいぶん時間を費やしました。 やたらめったら様々な記事を読むものの、 最初は大海に泳ぎ出した蛙のごとく右も左も分からず、 その海の広さにただただ唖然としたものです。 「お気に入り」の「デジカメフォルダ」には 関連サイトのURLが日々溜まっていきましたが、 知りたいこと、分かりたいことの量が多すぎて整理がつかず、 ますますわけが分からなっていきました。

ところが。 大海に溺れそうになりながら必死でジタバタしているうちに、 この蛙にも光明が見えてきました。 で、分かったのです。

自分はなにが分からないのか

が。 或いは

自分は何も分かっちゃいないんだ

ということが。 いわゆる「無知の知」というやつです。要は

デジカメに関して分からないのは、
「デジカメ」のことをよく知らないからではない
そもそも「カメラ」についてよく分かっていないのだ

ということに気付いたのです。

実はわたしはもともとカメラが大好きで、付き合いも長い。 自分でお金を稼ぐようになって貰った初めてのボーナスで買ったのはカメラでした。 それはオートフォーカスのついた一眼レフが世に初めて発売された頃。 本当はそれが欲しかったのけれど予算に合わなかったので、 普通の一眼レフを買いました。 当時の"普通の一眼レフ"というのは、 フォーカスが手動なら、フィルムの装てん・巻き上げも手動。 内蔵ストロボなんてのもついていない。電気を必要としない機械でした。 50ミリの標準レンズを一緒に買いました。

その次のボーナスで買ったのは、70ミリ―280ミリのズームレンズ。 これももちろん手動ズームで、どうしても手ブレするのと、 ピントあわせが難しくて、実際にはほとんど使えませんでした。

更に次のボーナスで買ったのは、外付けのフラッシュ。 そのまた次のボーナスで偏光フィルターを買いました。

‥と、こんな具合に、カメラにはそれなりに慣れ親しんできたから、 普通の人よりはカメラについてちょっとは分かっているつもりでいました。

でも全然分かっていなかったんですね。 思えば、レンズやフィルムの原理を考えたこともなかった。 ただ「こうやって撮ればこういう写真が撮れる」という経験から動いていただけで。 だから、35ミリフィルムの世界からデジカメのCCDの世界に足を踏み入れて、 「どうしてこうなるのーっ?!」と叫ぶことになったのです。

でも、「読書百篇、意おのずから通ず」という格言は案外当たっているようで、 一度二度読んでも分からないことも、五回十回読むと分かってくるものですね。 特に、一つの記事にこだわらなかったのがよかったのかもしれない。 同じことをいろんな人がいろんな言葉で表現するのを何度も目にするうちに、 何となくイメージが掴めてきました。

そのキーワードは「相似形」。 同じことを理解するにも、人によってその糸口は異なると思いますが、 わたしにとってその糸口は、

カメラはすべて相似形である

というイメージでした。

明日につづく