Essay  うさぎの旅ヒント

【 1000円のキャリーケース 】

みなさんはご存知だろうか。最近ちまたに1000円のキャリーケースが出回っていることを。

このキャリーケース、大きさといい、色といい、持ち手部分が伸ばせることといい、 見た目は普通のキャリーケースと変わらないが、ナイロン地でできており、折りたためる。 キャスター部分がなんとマジックテープで取り外せるようになっているのである。

ブルネイ旅行に行く3日ほどまえ、 うさぎは西友の店先に出ていた1000円均一のバッグ商でこれを買った。 最初に見つけた日には手ぶらで家に帰ったが、一晩考えて、翌日 店にある最後の3つを全部買った。 我が家は4人家族、もう一つほしくて 見本品をおまけにつけてくれないかと頼んでもみたが、断られた。

そのバッグ商は、そこに不定期に店を出すバッグ工場の直販店で、 以前からよく利用している店である。 ‥っていうか、最近バッグ類はその店でしか買っていない。
夏に5万円のスーツに合わせる白いバッグを探していたときも、 ギリギリまで1万7800円也のブランド品のバッグを検討していたが、 西友の前にそのバッグ商が出ているのを見るや否や、1000円のそっちに乗り換えた。 値段も気に入ったけれど、隙間なくファスナーが閉まる使い勝手といい、デザインといい、 大きさといい、ブランド品よりもよほど好みだったからだ。

キャリーケースに話を戻そう。
これも、うさぎが気に入ったのは価格だけでなく、 折りたためるというその性能であった。
我が家は狭い集合住宅。 旅行の時にしか役に立たないクセして、 年間365日のうち少なく見積もっても300日は無用の長物のクセして、 貴重なスペースを大威張りで食うハードケースなど買う気は毛頭ない。
それにひきかえこれは、なんて謙虚で可愛らしいヤツなのだろう。 キャスター部分にマジックテープなどという一見軟弱そうな素材を使用するという 柔軟な発想も気に入った。

ただ問題は耐久性で、こればかりは未知数。 旅先から帰ってきてから壊れるなら諦めもつこうが、 旅先で突然壊れるのだけは勘弁してほしい。 特に、キャスターの軸が折れるとか、 ファスナーが閉まらなくなるといった致命的な壊れ方はご遠慮願いたい。 安い価格で手に入れたがゆえの賭けだ、とうさぎは思った。

さて。キャリーケースが我が家にきた日から、我が家はまた一段と旅行前らしくなった。 一番喜んだのはチャアで、 これを転がしながら空港を歩く自分の姿をうっとりと想像しているらしかった。 3つしかなかったので、うさぎは他の3人に一つづつこれを分け与え、 それぞれ自分の荷物とうさぎの荷物を分けてこれに詰め、持つように言った。 そして、うさぎ自身は大きめのバッグ(これも同じバッグ商で買ったものだ)に パスポートや薬などこまごましたものをを入れて持つことにした。

旅行当日。 タクシーと電車を乗り継いで到着した成田でこれを転がす3人の姿はサマになっていた。 いつものボストンよりもよほど格好がいい。しかもラク。 キャリーケースは、いままでバックパッカーに甘んじてきた我が家の旅のスタイルに、 革命的な変化をもたらしたのだった。 しかも、機内に持ち込めるとは‥!

出国ゲートを抜け、搭乗口のソファにこしかけて、 うさぎがキャリーケースをなでなでしていると、
「さっき、出発ロビーで、これと同じのを持ってる人がいたよ」とチャア。
「へええ〜! で、どうした? "それ、1000円でしたか?"って訊いてみた?」 とうさぎ。
「‥訊くわけないじゃん! ママったら何おバカなこと言ってるの!」とネネ。
「あらそう、訊くわけないか。 でもその人はもしかしたら5000円くらいで買ったかもしれない」とうさぎ。 もしそうだったら、なんか得した気分になれるのになあ。

ブルネイに着き、エンパイアホテルの車寄せでタクシーを降りると、 金色に輝く巨大な鳥かご様のものが、恭しく運ばれてきた。 そして、これにキャリーケースが積まれた。

ほほほほ‥。まさかこれが米ドルで10ドルしないとはアッラーの神もご存知あるまい。 エンパイアは高級ホテルと聞いてはいたが、 まさかこれほど超ド級の高級ぶりとは思わなかった。 この超高級ホテルにボストンやらリュック持参で乗りつけることなく済んで、 うさぎは心からキャリーケースに感謝した。

大事に扱ったせいもあるが、結局、キャリーバッグ計3個はいずれも、 何ら不具合を生じることなく、日本の我が家まで無事荷物を運びおおせて帰ってきた。 あとでよく点検をしてみたが、驚くほどキャスターも生地にも痛みが見られなかった。

ブルネイから帰ったのち、うさぎは自分の買い物の正当性を更に確認したくて、 バッグ屋にそれとなく目をくれるようになった。 6900円、8900円‥。 そういう価格のキャリーケースを見かけると、自然に口元がほころんでしまう。 底値は3900円。チッ、案外安いわね。でもウチのなんか、折りたためるのよッ!

ところが年末にあるバッグ屋の前を通りかかったら――。 1050円(税別)で、似たキャリーケースが売っているのが目に入った。 細かい部品からみて、同じ工場で作られたことはほぼ間違いない。 けれどこちらは黒、茶、紺と3色から選べ、 角にバーバリー調の別布がパイピングしてあり、ちょっとオシャレになっている。

おお、これはうさぎのキャリーケースに相応しいじゃないか!

‥と思わず手を伸ばしたら、店員が出てきて言った。
「いいでしょう? このショッピングバッグ。これ、折りたためるのよ〜!」

ショ‥ショッピングバッグぅ?!

もういちどそれをしげしげと眺める。
う〜ん確かに、 オバアチャンとかが街でコロコロ転がしながら歩いているものに似ていなくもない。

でも、でもっ! キャリーケースの方がだんぜん似ている!
どこのショッピングバッグがこんなにかっちり四角く作られてる?!
持ち手部分が収納できる必要がどこにある?!
キャリーケースとして作られたのに、間違いはない。 工場直営店のおじさんだって、キャリーケースだって言ってたもん。

ちらりと店内を見ると、ほど近い場所に、 ハードタイプのキャリーケースが数倍の値札をぶら下げて並んでいるのが目に入った。

はは〜ん、これをキャリーケースとして売ったら、他のが売れなくなると踏んだな

うさぎはそう判断した。
いや、正確に言うと、そう思うことにしたのだ。 だって、ショッピングバッグであの超高級ホテル・エンパイアに乗りこんだだなんて、 考えたくはない。その想像はあまりに‥あまりに情けなさすぎる。
たかが名前、されど名前。金色の鳥かごで運ばれるのは、 断じて"キャリーケース"でなくてはならんのだ。
‥結局うさぎは、その"ショッピングバッグ"を買うことなく家に帰った。

その後、他の店でもこの新型キャリーケースを見かけるようになった。価格は一律1000円。 お気に入りの1000円均一工場の活況ぶりを見るにつけ、うさぎは嬉しい気分になる。 頑張っている企業が儲けるのはよいことだ。
けれど、それがどういう品名で売られているのかを確認する勇気は、いまのところ、ない。

そして、最近うさぎに新しい日課が増えた。一日に一度はこう唱えることにしたのだ。

あれはキャリーケースだ、あれはキャリーケース、キャリーケース‥

と。

2003年1月11日 うさぎ

2004年9月1日追記:

この1000円のキャリーケースもしくはショッピングバッグ、調べてみたところ、 正式名称はどうやら「折りたたみ式パーソナルキャリーカート」のようです。 ‥ああよかった、ショッピングバッグじゃなくって‥。

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