Indonesia  バリ島芸術の村ウブド

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【 うさぎ絵を仕上げる 】

絵に色が入ったところ

アラムジワからアラムプリに移った翌日、 車で古巣アラムジワを訪れると、クリンティング氏は留守で、 ダギング先生だけがいつものところで絵を描いていた。 その隣りに落ち着き、画材を広げるうさぎ。 今日はいよいよ絵に色を入れるのだ。

ダギング先生はうさぎのパレットに赤いアクリル絵の具を出し、 水で薄めてガルーダの羽根を一枚塗った。
「こんな感じで塗ってごらん。全部は塗らないで、周りを白く残すんだよ」
「はい」と答えつつ、うさぎも筆をとり、同じようにやってみる。 ‥まあまあいい感じに塗れた。
「あとは、こことこことここ」先生は、赤く塗る羽根に絵の具でチェックを入れていった。

先生が赤でチェックを入れた羽根を全部塗ってしまうと、今度は青だった。 そして、緑、黄色‥。 極彩色の羽根がどんどんできてゆく。

話をすることと、絵を描くことは、矛盾しない。 昨日までは比較的寡黙だったダギング先生が、今日はよく喋る。 へええ、と意外に思いつつ、うさぎが、話をする先生の顔を見つめていたら、 先生はちょっと照れた様子で、 「わたしは英語があまりうまくないから‥。 言いたいことがうまく伝わらないかもしれない」と言った。
「わたしもです」とうさぎ。 だけどそう言い合いつつ、やっぱり二人はよく喋った。
家族のこと、年齢のこと、ダギング先生が日本を訪れた際のこと。 驚いたことに、先生は2度も日本を訪れたことがあるという。 一度は画家として、絵の展覧会のために1週間、 そしてまた、ケチャダンスのダンサーとして、全国巡業のために1ヶ月。 あるときは画家、あるときはダンサー。これだからバリは不思議だ。

また、先生は自分の年齢をよく覚えていないという。
「たしか54才くらいだったような‥」
ちなみに、美術館や、先生がうさぎにくれたドイツ語の取材記事によれば、 先生は1940年生まれ、当年とって御年63歳のはずである。
「では誕生日は?」
「――さあ」
自分の誕生日が分からないなんて、これ如何に、とうさぎは思ったが、あとで思い出した。 バリはそもそも暦が違うのだ、と。一年は365日とは限らないのだ。 これだから異文化は素敵だ。

「昨日は、娘たちもプリルキサン美術館で絵を描いてきたんですよ」 ネネとチャアが美術館でもらってきたパンフレットをうさぎが見せると、 ダギング先生はそれを眺めて言った。
「おや、ワヤン・ワルタ・ヤサ。これはわたしの弟子だよ。 講師のプロフィールをご覧。"ニョマン・イ・ダギングに師事"とあるだろう?」
この偶然は、うさぎをたいそう喜ばせた。 今までクリンティング氏を介して片手しか繋がっていなかったダギング先生と、 これで両手が繋がった。 プリルキサンで美術館で絵を習ってきた娘たちと、美術館の講師の先生を介して。 バリという見ず知らずの土地で、自分というパーツによって、 偶然の輪っかが形成されたのだ。

羽を一通り塗り終えると、こんどは羽の中央付近に同じ色を塗り重ねた。 こうすることで羽は、昨日予めつけておいた影と相まって、また一段と立体感が出てきた。 髪や体に纏った装飾品も同じだった。光が当たっている部分だけを残してざっと塗ったら、 影になる部分をもう一度同じ色でなぞる。 そうすると、いかにもそれらしく見えるのである。

ダギング先生は、実に親切で丁寧で、辛抱強い指導者だった。 まず自分でやって見せ、同じパターンで描く部分を示し、あとはじっと見守る。 きっと、絵を描くノウハウも、そしてそれを人に教えるノウハウも、 かっちり確立しているのだろう。

とはいえ、進歩しない文化はない。変容を遂げないものは芸術ではない。 トラディショナルスタイルのテイストも、時代と共に変化してきたようで、 昨日アグンライ美術館で見た20年ほど前のダギング先生の絵と、今日の絵とでは、 同じ人が描いたとは思えないくらい違っていた。

それはダギング先生の絵に限ったことではなかった。 美術館などに掲げられている古い年代の絵は、 「カマサン・スタイル」の原型を色濃く留めた平面的な絵が多く、 逆に、街の画廊で目にする新しい絵は、 うさぎを魅了した影のぼかしをふんだんに取り入れたものが多い。 おそらく、ダギング先生の絵のみならず、 ウブド全体のカマサンスタイル自体が、ここ20年のうちに一斉に進化してきたのだろう。 ゆっくりと、だけど確実に。 必要に迫られると、種全体が一斉に同じ方向に向かって進化しはじめるという今西進化論 にのっとって。

ガルーダにだいたい色を入れたら、今度は背景。 これも、最初からはっきりした色で勝負に出たりはしない。 全体の調子を見つつ、水で充分に薄めた色を辛抱強く何度も塗り重ねていくのだ。

絵を描く3日間という時間は、ダギング先生とうさぎ、バリ絵画とうさぎとの距離を縮めた。 そしてきっと、バリとの距離も。 暖かい空気の中でゆったりと絵を描きながら、 うさぎは、時間に追われないということがどういうことか、分かったような気がした。

時間に追われないというのは、のんびりするということではない。 だらけたり怠けたりすることではない。 勤勉であるからこそ、時間に追われずに生きられるのだ、と。

話しつつ、笑いつつ、手を常に動かす。
慌てない、急がない、でも確実に作業を進める。
一気に片をつけようとせず、淡々と丁寧に、リズミカルに仕上げていく。

このバリ絵画の描き方は、バリニーズの生活そのものではないか。 そしてうさぎが見習うべき生き方そのものではないか。

絵はどんどん完成に近づいてきた。 うさぎは、一箇所仕上がるたびにワクワクすると同時に、寂しくなった。 絵が仕上がるということは、この場を失うということだから。

ほとんど出来上がったかと思われたとき、ダギング先生が、 ガルーダの肌にシボを描き入れるように言った。 ガルーダは鳥だから、鳥肌にするというわけだ。 うさぎはそれでちょっと寿命が延びたような気がした。

けれどそれを描きいれると、本当におしまいだった。 最後に、先生が「貸してごらん」と言って、ガルーダの目に色を入れると、 絵は急に生き生きとした。 ――それが完成の瞬間だった。

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