Indonesia  バリ島芸術の村ウブド

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【 バイクツアー 】

田園風景

アラムプリには「バイクツアー」という楽しみがある。 滞在中に一度、スタッフが付き添って、アラムプリの周辺を自転車で案内してくれるのだ。

その日の夕方、日差しが弱まった頃を見計らって、うさぎたちもバイクツアーに出かけた。 付き添ってくれたのはニョマンというスタッフである。

自転車に乗ってアラムプリから公道に出ると、周辺には民家がパラパラと並んでいた。 アラムプリのすぐ隣りの家を指してニョマンが言った。
「ここが僕の家です」と。 なんと職場まで30秒。羨ましいような通勤環境である。
「アラムプリのスタッフのほとんどは、近くの村から働きに来てるんですよ」 と彼は言った。

車道の端を走り続けると、ガタガタと、屋台を引きながらやってくる若者がいる。 「あれは何?」とニョマンに尋ねると、「ワルンですよ。バクソーを売っている」。
何やら美味しそうな匂いを漂わせているので、 追いかけていって引き止め、食べることにした。 一杯1500ルピー(約23円)。 バクソー屋のお兄さんは小さめのどんぶりにシラタキ様のものと丸いダンゴ、 そしてスープを装った。 更に何やら赤いものを入れようとしていたので、うさぎは引きとめた。
「ノー、ノー! ノーチリー」 辛いのは苦手だ。

たまたま近所の塀から突き出していたおあつらえ向きなでっぱりに子供たちを座らせ、 おっかなびっくり「バクソー」とやらを味見すると‥、

おいしい〜♪♪

実に美味しかった。体にじんわりと染み込むような美味しさだ。 うさぎだけではない。ネネもチャアもきりんも、4人が口を揃えて「美味しい、美味しい」 と言った。 これはそうあることではない。 家族といえども、味覚は人それぞれ。 こと味に関しては、意見が分かれるのが普通なのだが。

それは全く違和感のない味だった。 食べたことはないはずなのに、初めて食べるような気がしない味。 ラーメンを甘くしたような人懐こい味の汁に、 シラタキと、ツルリと喉越しのよい肉ダンゴがたくさん入っている。 何の肉か、考えてみたけれど、分からない。 でもそれは確かに、どこかで知っている味だった。

一つのどんぶりを4人でつつきあうと、バクソーはすぐになくなってしまった。
「もっとないのー?」と子供たちが言うので、2杯目を買うことにした。 今度はきりんの要望で、ほんの少しだけチリを入れてもらった。

けれど、2杯目もすぐになくなってしまった。
3杯目。これもペロリと平らげた。

4杯目も考えたが、そろそろ行かないと、日が落ちてしまう。 うさぎたちはまだ食べたい気持ちを抑えつつ、先を急ぐことにした。

すこし道を引き返し、脇道へ。 その通りには、明日結婚式をする家があり、 ニョマンが「結婚式の準備を見学していくか」と言うので、そうすることにした。

塀に囲まれた庭の中では、華やかな布で彩られた東屋の脇で、女性が7、8人ばかり集って 何やら飾り物を作っていた。 ニョマンはまるで自分の家のように、ずんずんと奥へ入っていく。 彼にしてみれば、勝手知ったるご近所なのだろう。 うさぎたちはおっかなびっくり彼の後についていったが、 女性たちは観光客の突然の乱入に驚きもせず、愛想がよく迎えてくれた。

しばらく彼女たちの作業を見学していると、 一番の長老が何か話し掛けてきた。
「?」 言葉が分からず戸惑っていると、
「お茶を飲んでいきませんか、と勧めているんですよ」とニョマンが通訳した。
きりんとうさぎは一瞬、顔を見合わせたが、とりあえずここは遠慮することにした。

そして、「ノーサンキュー」と伝わるのやらどうやら分からない挨拶をしようと 彼女の顔を見ると――。 それは、知っているはずがないのに、初めて遭った気のしない人の顔だった。
痩せて筋ばった手、細い肩、薄い髪。 背は曲がっているが、気持ちはしゃんとしているのが分かる。 欠けた歯を見せて笑う口、しわの中にくぼんだ小さな優しい目。 そこにうさぎは、7年前に死んだ祖母の面影を見た。 一つ一つの造作は、それほどそっくりというわけではない。 でも、雰囲気がそっくりだった。

懐かしくて嬉しくて、うさぎは思わず涙が出そうになった。 彼女を抱きしめたくなった。懐かしい祖母の匂いに顔を埋めてみたくて。 でもまさか初対面の女性にそんなことができるわけない。 うさぎは代わりに彼女の手を取り、心から「ありがとう」を言った。

その家を後にすると、また自転車部隊は走り出した。 ほんの少し走ったところで、広い農家の敷地の奥から誰かが叫んだ。
「ウサギー・キリウ〜〜〜!」
うさぎの名前だ。しかもフルネーム。 うさぎは慌てて自転車を止めるとちょっと戻り、彼に手を振った。 雑用の手をとめながら、むこうも手を振り返してきた。 遠いので、一体相手が誰だかは分からない。 でも、名前を知っているところを見ると、彼もアラムプリのスタッフの一人に違いない。

それからは、自転車を漕ぐのがますます楽しくなった。 初めて来たはずなのに、なんだか知っているような場所。 知ってる誰かが後ろから声をかけてくる場所なのだ。 ほら今も、ニョマンのあとについて走り、ふと後ろを振り返ったら、 きりんとネネがついてきていない。 はるか後ろの方で、誰かと話しているのが見える。 どうやら道を行く人に話し掛けられ、引きとめられたようだ。

村を抜けたら、そこは広大な田園地帯だった。 どこまでもどこまでも、遠くに連なる山まで延々と田畑が続いている。 その田畑を突き抜ける道をなおも自転車で走る。 右手には広大な田畑、左手は森やライステラスが断続的に続き、 寺院があり、広い集会所があり、葬式で遺体の焼かれた跡があった。

そろそろ日が落ちかけてきた。
一行は自転車を降り、しばし夕日を眺めることにした。

畑、田んぼ、花畑。そこは様々な大地の恵みの刈り取り場だった。 目を凝らすと、この広い風景のあちこちで、大勢の人が働いているのが見える。 広い空には凧が上がり、子供たちのはしゃぐ声が風にのって聞こえてくる。 鳥を追う空き缶が風にからんからんと音を立て、 棒にくくりつけられたビニール袋が一斉に風になびいてざわめいている。 細い水路はコトコトと気持ちのよい水音を立て、 ジャブジャブいう音が聞こえると思ったら、 そこでは子供が、サンダルを洗うのに夢中になっていた。

うさぎにもこんな日々があった。 広大な見渡す限りのれんげ畑の中で、ひっちゃきになって遊んだ日々。 れんげを摘んだり、穴を掘ったり。 その頃のうさぎにしてみれば、それはただの遊びなんかじゃなかった。 自分に与えられた大事な使命ぐらいに思って、夢中になっていた。 おそらく、楽しそうな顔どころか、 ニコリともしない、クソ真面目な顔つきだったに違いない。

ヒンドゥー寺院の割り門、ガベンの焼き跡、ライステラス。 そうしたものが、ここがバリであることを伝えている。 初めてやってきた、知らないはずの土地であると教えている。
なのにこの既知感は一体何なのだろう。 未知なるものへの好奇心に勝る、この圧倒的な懐かしさは。
この風景のどこがどう日本の何と似ているというのではない。 だけど、知っているもの、知っているはずのないものをひっくるめて、 ライステラスやヒンドゥー寺院までをも含めて、しっくりくるこの感じ。 これは一体何なのだろう。

さあ、そろそろ行こうか、と自転車に近づいたら、 ライステラスのあぜ道に腰掛けて知り合いと話をしていたニョマンが慌てて立ち上がった。 ニョマンと話をしていた相手に遠くから軽く会釈すると、向こうもうさぎに笑って見せた。
「あれは〇〇ですよ」と戻ってきたニョマンが言う。 誰それ? そんなスタッフいたかしら。 さすがにスタッフ一人一人の名前を全て憶えちゃいない。 でも彼もまた、アラムプリの手伝いをする一人なのだろう。 ニョマンが自転車に乗ると、彼もまた農作業に戻った。

道を引き返し、アラムプリ近くまで一旦戻る。 最後のお楽しみはマーケットである。 小広い広場にバラックが軒を寄せ合い、 その周りを、ニワトリやら猫やら、一人歩きの犬やらが、 何かいいものが落ちてやしないか、誰かが何かを恵んでくれやしないかとうろついていた。

広場の中央には食べ物屋が固まり、端には八百屋やら駄菓子屋やら雑貨屋が並んでいた。 小さな店を埋め尽くすようにコチャコチャと、 いろんなものが賑やかに天井からぶら下がり、棚に並べられた駄菓子屋。 一度に把握できないその雑然さにワクワクした子供の頃を思い出す。

そろそろ夕飯どきとあって、食事をする店はどんどん開いてくるところだった。 皆は市場をぐるりと一巡りし、好きなものを気ままに注文しては食べることにした。 ピーナッツソースのかかった甘いヤキトリ「サテ」、バリ風ビーフシチュー「グレ」。 美味しそうなものがたくさんある。 だけどここは英語がさっぱり通じない。簡単な注文を伝えるのにも、四苦八苦だ。

そんなときの頼みの綱は、やはりニョマンである。 彼は屋台の椅子に腰掛け、誰かとしきりに話をしていたが、 呼ぶとすぐに飛んできて、通訳に早変わりした。

尤も、彼の存在価値は、通訳以前に、もっともっと大きかった。 ここもニョマンの「おらが村」。 うさぎたちをただの異邦人ではなく、この村の客人に仕立てたのは、そんな彼の存在だった。 彼がいるから、 どこの馬のホネかといぶかしげな視線を向けられることもなければ、 一見の観光客かと軽く見られてボラれることもない。 ニョマンの存在によって、うさぎたちはこの場にいることを容認され、 客人としてこの村に受け入れられたのだ。 アラムプリのバイクツアーというのは、 言葉に表しにくい、そういう価値を含んだツアーであった。

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