Monaco  モナコ

ネネ ネネ:高校1年生
(旅行当時。詳しくは About us 参照)

【 ことの発端 】

いつからバレエ留学したいと思っていたの?
ネネ 現実のものとして考え始めたのは、中三のバレエの発表会らへんかな。
そうなの? ずいぶん前から留学したいって言ってた気がするけど。
ネネ ああバレエとは別に、語学留学したいとも言ってたよね。
海外留学のパンフレット請求したりとか。
最初は単に寮生活とかホームステイとかしてみたかった。
一番最初の発端はあれだな、小学生のとき読んだ「おちゃめなふたご」シリーズ。
 
そのあと、ミネソタに行ったとき、あまりに英語がしゃべれなかったから、それでショックを受けて、 英語がしゃべれたらいいなあと思った。 一年ぐらいアメリカに行ったら、英語がペラペラになるんじゃないかなーと思って。
じゃあバレエ留学に行こうと思ってからは割と日が浅いんだ?
ネネ 本気で考え始めたのはね。
あんまりよく覚えてないんだけど、 たしか中一のときにバレエを真面目にやろうって思って、 でも中二のときに、こんなんじゃいけない、もっと真面目にやらなきゃ、って思って、 その頃からバレエで留学したいなとはバクゼンと考えてたんだろうけど、 全然現実的じゃなかったの。 本当にできると思ってなかったっていうか。 ‥いや、本気で行きたいと思ってなかったっていうかな。
バクゼンと考えているのと、本気で行きたいと思うのと、どう違うの?
ネネ えっっ?! どう違うんだろう?
‥うーーーーん、分かんないや。
 
実は、本気で行きたいと思いはじめた瞬間があるのかどうかもよく分からないんだよね。 (来日していた)ローラン先生に会いに行くまでは、 本当に行かれるとは思っていなかったっていうか。 どうせダメだろうと思ってたから、気軽に問い合わせて、 そしたら気軽にOKが出て、だから気軽に行っちゃった、みたいな?
あ、でも会いに行くと決めてからは、もう後には引けないという気持ちはあったかな。
最初言ってたバレエの発表会はどう位置づけられるわけ?
ネネ えーとねえ、自分で行動起こそうと思ったのが、発表会のあたりなわけ。 それまでは、「そういうチャンスがあったらいいなー」くらいに思ってて。
 
でも実は、行動を起こしてからも、どうせダメだろうと思ってたんだよね。 ママとか、バレエの先生とか、誰かに反対されてどうせダメになるだろうと思ってた。 第一、バレエ学校に受け入れてもらえると思ってなかったし。 だって上野水香が行ってたようなとこだよ。 絶対無理だって思ってた。
 
でも先生はあっさり「行っておいで」って言うし、ママも全然反対しなかったし、 学校にはあっさりOKもらえるしで、あれ? ホントに行けるの?って感じだった。
たくさんあるバレエ学校の中から、なぜモナコグレースに、って思ったの?
ネネ 何でなんだろうね。
とにかくなぜだか行き先は最初から絶対フランスって決めちゃってた。
自分でも不思議なんだけど、とにかくイギリスとかロシアとか、フランス以外の国のことは 全く頭になくって、ひたすらフランスに行くんだ、って思ってた。
でも、フランスは治安がいまいちそうだし、それでモナコかな、って。
最初は1年行くって言ってたよね。 短期にしたのはなぜ?
ネネ まあ、ママに「とりあえず短期で様子見てきたら?」って言われたのと、 入った高校がいい感じだったんで、今慌てて一年行かなくても別にいいかなと思って。

【 行く前の不安 】

行く前に不安はなかった?
ネネ すごい、ありまくり!でした。
どんな不安?
ネネ まず、バレエでついていけるかが不安だったし、
フランス語話せないし〜。 英語だって不安なのに。
あと、帰りに独りで日本に帰らなきゃならないっていうのがちょっと。
 
‥ま、実はそれほど心配してなかったんだけどね。
?? 「不安ありまくり」だったんじゃないの?
ネネ うん、不安だったよ。 でも、毎日バレエがやりたかったし、
ま、言葉は、日本人が他にもいるだろうから何とかなると思ってたし、
帰りもなんとかなると思ってたから、心配はしてなかったよ。
‥「心配」と「不安」とどう違うんだか。
ネネ いや、違うでしょう。
まあいいや。 じゃ、楽しみだったことは?
ネネ やっぱり、毎日バレエができること?
あと、もしかしたら、フランス語とかがペラペラとは言わないまでも、 少しはマシになってるんじゃないかと思ってたんだよね。
‥で、実際は?
ネネ 反実仮想だった(笑)。
だって全然フランス語使わなかったんだもん。
あ、でも"Je peux prendre une photo?"(写真撮ってもいいですか?)だけは言えるようになった。 なんか日本人ぽいフレーズだけど(笑)。
あと単語をいくつか。 それに度胸はついたよ。

【 モナコについて 】

ヨーロッパは初めてだったよね。 いかがでしたか?
ネネ そうねー、フランスは、理想どおりだったかな。
モナコも理想どおりっていっちゃ理想どおりだったけど、 やっぱ‥そうねえ‥パン屋さんがいまいち焼きたてじゃなかったし、とか(笑)。
フランスのマルシェ(市場)は広かったけど、モナコのは規模が小さかったし、 あと、休日にお店が休みっていうのは、お願いだからやめて!っていう感じだった。
モナコってどんな国?
ネネ モナコ? ‥うーん、そうだなあ、とにかく歩行者優先の国、って感じかなあ。
信号がなくっても、渡ろうとすると車止まってくれるし。
黄色ギリギリで走ってくる車とかもいないし。
モナコって小さいから、車を使うほど広くなくって、だからお金持ちも歩いてるんだよ。 お金持ちが歩いてるってことは、歩行者にも気を遣わなきゃいけないってことなわけだよ。 ‥ってことで歩行者優先ならしい。
「歩いてるお金持ち」ってどんなの?
ネネ ‥いや、どの人がお金持ちかなんて分からないし。
金持ちだからって、別に金持ちっぽい格好で歩いているわけじゃないし。
じゃあどうして「お金持ちも歩いてる」って言えるの?
ネネ いや、それは誰かから聞いた話。 でも、その話を聞いて納得したわけ。

【 寮生活 】

寮生活はいかがでしたか?
ネネ 寮は、最初は狭いなと思ったんだけど、意外とそうでもなかったかな。
部屋は、ま、私の部屋は三人部屋だったんだけど、そんなに広くなかった。 でもまあまあ、かな。 ただ、三人部屋なのに机と椅子のセットが1セットしかなくって、それがちょっとね。
 
キッチンは、冷蔵庫が女子寮全体で3つしかないから、 自分の食べ物に名前を書いてしまっておくんだけど、 なんか誰かに食べられてなくなってたりするし、 牛乳が減ってたりとかして!!
だって名前が書いてあるのにだよ〜。
ま、しょうがないんだけど(笑)。
 
あと、お風呂がやっぱり4つか5つしかなくて、時間によっては混雑してた。 浴槽にお湯をためるのは夜中の0時以降っていう決まりがあって、 そうじゃないと、キッチンとかの水が出なくなっちゃうから。 わたしは一度も湯に浸かりませんでした。 一応、お風呂は一人15分までって決まっているんだけど、 でも人によっては30分、40分、1時間入ってるヤツもいる〜!! 外人だけどね。 いや、ひょっとして一人15分までっていうのは、日本人だけのローカルルールだったのか??
レッスンはいかがでしたか?
ネネ レッスンは、難しかった。
午前と午後に1時間半のレッスンが一回づつで、こんなに少なくていいのか?って感じだった。 講習会だから少ないのかな、って思ったけど、アカデミー生に聞いた話では、いつもこんな感じらしい。
レッスンは、そんなに難しいことをやるわけではないんだけど、 一回でアンシェヌマンを覚えなくてはならず、まあそこまでは何とかなるんだけど、 それを次のレッスンまで覚えていなくてはならないっていうのが、すごく大変だった。
レッスンは何語?
ネネ 日本語も時々あるけど、基本的には英語かな?
マリカ先生(校長先生)のレッスンはフランス語。
あと、ドイツ語、スペイン語、イタリア語‥。
もしかしたら他にもいろいろ混じってたかもしれない。
とにかく、そこにいる子の言葉が全部ちょっとづつ混じってた。
英語やフランス語で何言われているか分かるの?
ネネ まあなんとなく分かる。 ジェスチャーでこんな感じ?みたいな。
ホームシックにかかっちゃったんだよね。それはなぜ?
ネネ それは言葉が分からないっていうより、単に寂しかったの。
気楽に話せる友達もいなかったし。
 
レッスンも、フリが覚えられないでしょう?
覚えられなきゃ踊れるわけがない。
それにいっつも同じことばっかり注意されるの。
アンディオールとつま先ばっかり。
永遠にちゃんとできないんじゃないかと思って、落ち込んだ。
そっちに気を取られていると、ますます順番が分からなくなるし、 ついに一回転のピルエットさえ満足にまわれなくなっちゃって、 悔しいやら悲しいやら‥。
クラスの中で一番ヘタな気がいつもしてた。
結局帰国前までホームシックから脱却できなかったの?
ネネ んー、脱却できなかったといえば、脱却できなかった。
でも最初の頃よりはまだマシになった、というところはあるかな。
ホームシックがラクになった瞬間ってある?
ネネ まずママに電話がつながったこと。
我ながら、今でもよくあんなことができたなと思うんだけど、 ママの泊まっている民宿に電話をかけた。
最初間違えてシャトーエザにかけちゃって、いないって言われて、なんで?!と思って最悪で、 そのあと間違いに気づいて、 でも民宿に電話をしたら、まだ朝なのに、もうママは美術館に行っちゃったとか言われるし、 レッスンが始まる時間にはなるしで、最初フランス語、そのあと英語で もう必死だったけど、とにかく結果的にママに電話がつながったから、 本当によかった。
ママが日本に帰っちゃったあとは?
ネネ 同室の子がいたからよかった。
その子もホームシックだったのさ。
むこうはチェコ人で、英語で語り合った。
お互い辞書を引き引きって感じで(笑)。
レッスンがない時間は何をしていましたか?
ネネ 基本的には買い物、観光、自主レッスン、食べてる、寝ている、あとおしゃべり。
バレエに関していろんな子からいろいろ聞けたのはよかったな。
王宮のコンサートにも行ったし、お店もだいたい見た。
モナコを見て回るのもけっこう楽しかったよ。

【 帰国時 】

一人でモナコから日本まで帰ってきたのはいかがでしたか。
ネネ 朝早く起きて、バーレッスンをちゃんとやってから帰ってきた。 我ながら感心(笑)。
 
帰るときは全体的に不安だったといえば不安だったけど、 一番問題だったのは、モナコで空港行きのバスにちゃんと乗れるかどうか。 そこで正しいバスに乗れさえすれば、空港までたどり着けるじゃん? でも早く出すぎて、なかなかバスが来なくて、 違う方面行きのバスが目の前を通るたびに、 「実はあれに乗らなくちゃいけなかったんじゃないか」とかさー。
 
空港に着いたら、カウンターが見つからなくて焦ったけど、 まだチェックインが始まっていなかっただけだったし、 ゲートの位置も分からなかったけど、周りの人に聞いたりしてたどり着けたし、 トイレにも行って、免税店めぐりも普通にやりました。 アムステルダムでの乗り換えは、別にどうってことなかったな。
 
スリとかが心配で、すごく緊張はしてたけど、 とにかく日本に帰れるので幸せで、ホッとしてた。 「あー、怒涛の一ヶ月が終った」みたいな(笑)。

【 最後に 】

モナコ留学で得たものは?
ネネ やっぱ家族の大切さとか?(笑)。
バレエに関して言えば、アンディオールを得たっちゃ得たのかな。
モナコに行ってつま先がよくなったって先生には言われた。
あと「度胸」がついたな。 ホント、よく英語で電話をかけようなんて思ったよね。
また留学に行きたいと思う?
ネネ ‥いや、思いません(苦笑)。
やっぱり辛かったし。 ホームシックが。
もうちょっと大人になるまでいいかな、みたいな(笑)。
 
でも何だかんだ言っても、いい経験になったよ。
得たものはいっぱいあるし、 世界がどういう感じに広がっているかっていうことが分かったっていうか。
世界? なになに、詳しく解説してくれる?
ネネ あ、「世界」っていうのは、「バレエの世界」っていう意味だから、勘違いしないでね。
 
バレエ学校というものに初めて行ったわけじゃない? それでまずバレエ学校というものがどんなものか分かったし、 いろんな過ごし方‥っていうか、いろんなバレエへの関わり方があるんだな、って分かった。 いろんな子がいて、いろんな教室の話を聞いてね。
 
今思えば全てはいい思い出だよ。 過去はすべて美しい、っていうか(笑)。
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