Palau  パラオ

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【 ビンロウジ 】

ビンロウジュ

市場というのは、どこへ行っても、一番その国らしさが出る場所だと思う。 観光客のためのものではないので、その土地の素地が出る。 庶民が日頃、どんなものを食べているのか、何をどんな値段で買っているのか。 市場にはそういう情報が集約されている。

この小さなパラオにも市場があることを教えてくれたのは、キャロラインリゾートの近くに住む ジェニファーさんだ。 果たしてそれは、どんな様子だろう。 ワクワク♪

それは、素朴な市だった。そもそもこれが市と呼べるかどうかはギリギリの線だ。 買い手も少なきゃ、売り手も少ない。 なにしろ、小広い広場を見渡す限り、うさぎたちのほかにはお客が見当たらない。 売り手もせいぜい4、5人というところか。 品数もせいぜい10数種類。 広いテーブルに果物、イモ類、そのほか加工食品を無造作にゴロンゴロン並べ、 ごくごく素朴に、ごくごく地味に商っている。 人工が少ないパラオらしい、たいへん小規模な市だった。

でも。 うさぎはここで、お目当てのものを見つけた。 ビンロウジだ。

ビンロウジ(檳榔子)というのはヤシ科の植物ビンロウジュ(檳榔樹)の実のことである。 軽い覚醒作用があり、太平洋島嶼から東南アジアにかけて広く、これを噛む習慣がある。 まあ、噛みタバコのようなものであろうか、 パラオでは、ビンロウジを薄くスライスし、石灰の粉をまぶし、 キンマ樹の葉に包んで噛むのが一般的らしい。 いま目の前にあるのはまさに、すっかり噛むための準備がなされたそれなのであった。

隣に目を移すと、こっちはビンロウジそのものらしい、緑色の実が10個ぐらいづつ、 ビニール袋に小分けして売られていた。 形はどんぐりみたいだが、大きさはそれよりずいぶん大きい。 よく見ると形が違ったが、最初ちょっと見たとき、色と大きさから、金柑か酢橘だと思ったものだ。

これを買うべきか買わざるべきか。 うさぎは迷った。 キンマの葉に包まれたビンロウジを、買うべきかどうか。

本当は、ビンロウジを見つけたら買うつもりでここに来た。 話のタネに、一つ買って試してみようと思っていた。 価格を聞いたら、1ドルもしない。 うってつけのお試し価格だ。

‥でも。 実際に実物を目の前にし、買う算段をしていたら、なんだか急に怖くなった。 覚醒作用ゆえ、これを禁じている国もある。 慣れない人が噛むのは要注意と、どこかで読んだこともある。 一度嵌ると常用したくなる習慣性もあるらしい。 おまけに、唾液と混ざると化学変化を起こし、口元が真赤に染まるのだそうだ。 まるで人でも食ってきたみたいに。 その赤みがいつ消えるのか、どうしたら消えるのか、どこにも書いていなかった。

そんな厄介なものを、よりによって旅先で試さなくても‥。 明日はカヤックツアー、あさってはマラソン大会が控えているというのに。

さりとて、日本に帰ってから試すというのも剣呑だ。 日本の検疫に見つかった場合、これがどう判断されるのかは、まったくの未知数。 覚せい剤持込みと見なされ、万一にもお縄を頂戴するなんて、まっぴらゴメンだ。

ああ、どうしよう。 買ったら絶対試したくなる。 絶対日本に持って帰りたくなる。 でもそうした衝動の背後に、どんな破滅が待ち受けているものか、分からない‥。 あーうー、どうしよう〜?

「これの写真を撮ってもいいですか?」うさぎは出し抜けに尋ねた。 売主のおばさんはゆっくりと頷いた。 おお、これは良かった。 迷ったら、まずは写真だ。 それがうさぎの鉄則である。 写真を撮れば、半分持ち帰ったような気分になれる。 写真を撮らせてもらえたものは、諦めがつけやすい。

実際、写真を撮らせてもらったら、買って帰ることに、ちょっと諦めがついた。 よかった、これで、覚せい剤持込みでムショ入りする危険は去った。 人を食ってきたような顔でマラソン大会に出場する危険も去った。

うさぎはビンロウジの代わりに、すりつぶしたタロイモと、甘そうな揚げ菓子、 それにクレープらしきものを買った。 「そんなもの買って、誰が食べるの?」 きりんが非難がましく言った。

ところが予想に反し、部屋に帰り着いて袋をあけると、皆はたいそう揚げ菓子が気に入り、 すぐに食べきって「もっとないの?」と聞いた。 何かジャムのようなものが入ったクレープも好評だった。

タロイモのすりつぶしは、乾いてポソポソだったので不人気だったが、 ふかし直してステーキと一緒に食べたらさぞおいしかいことだろうと、うさぎは思った。 あいにくキッチンがなかったので、実現できなかったけれど。

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