スペイン旅行では最初ずっとスペイン語を使っていましたが、最後の二日間、英語メインになってしまいました。
今のわたしはスペイン語より英語のほうがラク。話すのがラクな上、非英語圏に関しては、まず相手が言うことが聞き取りやすい。向こうも英語ネイティブではないから難しいことは言わないし、話すスピードもゆっくりなので。
一方スペイン語は、もしかしたら必要なボキャが思い出せないかもしれない。相手の返答が聞き取れないかもしれない。なにしろ相手はスペイン語ネイティブ。早口で言われると、分からない。
それでも頑張ってずっとスペイン語メインで通してきたわけですが、最後バルセロナで、ちょっとトラウマになる一件があり、それでバランスが変わってしまいました。
それはグエル公園に行ったときのこと。
グエル公園って、広大な無料エリアの中に有料エリアがあるのです。有名なイグアナや、波のようなベンチなどは有料エリアにあります。
通常、公園の入り口で有料エリアのチケットを買い、有料エリアの入り口でそのチケットを係員に見せて入れてもらうしくみになっているのですが、有料エリアは一日の入場者数の上限が決まっているので、前日にネットで予約をしていきました。入場料も予約時にクレジットで支払うシステムです。
公園の入り口で、予約確認書(iPhoneのメール画面)を見せると、「有料エリアに入るときもこれで入れるから」とのことで、チケットの発券はありませんでした。窓口のスペイン語は早くて全部は聞き取れなかったけれど、確認メールを見せれば入れるという要旨は分かったので、そのまま有料エリアの入り口へ行きました。
ところが有料エリアの入り口で、行列の整理係にチケットの提示を求められ、予約番号を見せると、「公園の入り口で発券してきてください」とのこと。え、でもこれで入れるんじゃないの、と思って軽く抗弁しましたが、「とにかくチケットが必要」とのことなので、今来た道をまた公園の入り口まで戻りました。
再び訪れた窓口で「チケットください」と言うと、窓口の係員は、「チケットがなくても入れるって説明したでしょっ! スペイン語でちゃんと説明したのに! 分からなかったのッ?!」とおかんむり。
「そんなこと言ったって、入れてもらえないんだもん」と、抗弁しようとしましたが、こっちが言いよどんでいる隙にもまたワーーーーッと早口のスペイン語が返ってくる。このスペイン語に太刀打ちするのは無理だと思い、悔しかったけれど英語で事情を説明しました。
声の大きいものが勝つ、というのは本当のようで、こっちがワアワアまくしたてると、窓口のおばちゃんは少し寡黙になり、なんでなんだ、一体どうなってるの、となおもブツブツ言いつつもチケットを出し、無事有料エリアに入ることができました。
でも。
これがトラウマになったのか、それ以降、スペイン語で話そうとすると、何か気持ちにブレーキがかかるようになっちゃった。
「スペイン語でちゃんと説明したのに! 分からなかったのッ?!」というおばちゃんの言葉が忘れられない。
この顛末は不慣れな有料エリアの整列係の勘違いが原因で、窓口のおばちゃんが悪いわけでも、わたしが悪いわけでもない。
でも確かにおばちゃんの言うとおり、スペイン語が分かっていたかというと、しっかり分かってはいなかった。だからなんとなく不安で、整列係に「これで入れるはず」と強固に主張できなかったのです。
なんかもう、ものすごく恥ずかしかったです。ろくに理解できもしない言葉を生半可に使うから、こういうことになるんだ、と自分を責めました。
スペイン語しか通じないならともかく、バルセロナは大都会で、いくらでも英語が通じる。そんな場所で無理してスペイン語で頑張る必要はないのではないか。だいたいバルセロナの第一言語はカタルーニャ語。そこでスペイン語を使う意味があるのか・・・?
そう思ったら、スペイン語を使う気力が萎えてしまった。
「英語を使うか、スペイン語か」という問いは、実はスペインに着いた初日からずっとありました。でも僅差のところでスペイン語が勝ち、ここはスペインだから、という理由で、スペイン語を使っていた。
ところがこの一件以来、英語とスペイン語の間のバランスが微妙に変わり、英語のほうに傾いた。
ほんの少しでも傾くと、ググッと傾き、特に時間がないときや、誤解すると厄介なことになりそうな局面では迷わず英語。スペイン語で話そうかな、と思っても、「また面倒なことになったら・・・」という恐怖に襲われ、「英語にしとこう」となる。
英語なら夫も分かる、というのも大きかったです。わたしの理解が正しいかどうか、英語なら夫が検証できる。つまり夫という安全ネットがある。その味をしめたら最後、もう英語を手放せなくなった。
水は低きに流れ、人は易きに流れる。
日本語の通じるところで英語を使うのは大変。
同様に、英語の通じるところで他の言語を使うのは、これまた大変。
慣れない言語で話すのは多大な労力を要する上、「無理して頑張っている」という「照れ」もある。頑張る自分を冷ややかな目で見つめ、「なにそんなに必死になってんの?」と嘲笑するもう一人の自分がいる。
現地でさえそうなのだから、日本で外国語を学ぶのは、やっぱりとても大変なことなのだと改めて感じました。
外国語学習って恥ずかしい。
喋れない言葉を無理して話すのが恥ずかしい。
必要もないのに喋りたがる自分が恥ずかしい。
でも喋らなかったら、喋れるようにはならない。だから、無理をしても、必要がなくても喋るのです。
喋ろうかな、でも恥ずかしい。
恥ずかしい、でも喋ろっかな?
・・・そういうあぶなっかしいバランスの上で、やっと勇気を出して喋っているのです。だから些細なつまずき一つでもう懲りてしまう。
でも。
それでも喋るほうを選ぼうと思います。恥ずかしくても、失敗しても。
こんなことで懲りてたまるか!
日本語と英語なら英語。
英語と英語以外なら、英語じゃないほう。
何語で喋るか迷ったら、ハードルの高いほうを選ぼうと思います。