100万語の半分、50万語まできました。40万語を越えたあたりから、明らかに読書傾向が変わってきました。。40万語までは英語学習者向けの読み物ばかり読んでいましたが、40万語以降は、ネイティヴ向けの児童書がかなり入ってきています(読書記録参照)。
つまり、わたしもようやく、GR(グレーデッド・リーダーズ)のぽちゃぽちゃ池から、ちょっと抜け出せるようになったということ。とはいえ、外の世界で怖い目に遭ったらいつでも戻れる安心感あってこその冒険心です。
児童書とはいえ、ネイティブ向けの普通の本が読めるようになったのは、ものすごい開放感です。さすが世界の英語、本の出版数はハンパじゃありません。児童書に限ってみても、本当にたくさんある! その中から、好きな本を選んで読めるのです。
GRしか読めないと思っていた頃は、常に「追われる恐怖」がありました。早く普通の本が読めるようにならないと、GRを読みつくしてしまう、という危機感です。日本で手に入るGRは数百冊程度。多読に於いて3ケタって、そんなに多い数ではありません。わたし自身、この1、2ヶ月ですでに数十冊読んでいるのですから。入手の問題まで考え合わせると、更に選択肢は狭まってくる。この先100冊くらいは手持ちの本や図書館などで凌ぐとしても、その先を考えると、憂鬱でなりませんでした。
この閉塞感から逃れるため、GR以外のものも読んでみようと思い立ちました。そして、思い切って読んでみたら、読めた!!
たしかに、GRとは違い、簡単そうに見える絵本でも、知らない単語や表現がちょくちょく出てきます。しかも、辞書をひいても、載っていないことがある。
たとえば。「Booger」ってどういう意味か分かりますか? 実はね、「鼻くそ」っていう意味なんです。でも、わたしの電子辞書には載っていませんでした。
で、どうするか。
わたしには二つの選択肢がありました。もっといい辞書を買うか、辞書を引くのを諦めるか。
わたしは後者を取りました。だってそのほうが、お金がかからないんだもん^^;。
実はねえ、この単語と、「pick one’s nose」という表現の、たった二つが分からなかったため、わたしは物語のあらすじがはっきりつかめないまま、読まざるを得なかったんです。この二つは、この物語に於けるキーワードだったので、それが分からないことには、物語全体の意味がいまいちよく分からない。繰り返し出てくるこの二つに、これは何だろう、どういう意味だろう、と悩まされつつ、それでも3000語くらい読みました。それで物語の後半に差し掛かり、十何度目かに出てきたとき、前後の文章からの類推で、突然、その意味がわかりました!
そのときです。いい辞書を買うより、辞書を引かないほうを選んだのは。
物語のキーワードですら、意味が分からなくてもなんとかなるのだから、他の脇の単語などなおのこと、辞書を引かなくてもなんとかなるんじゃね?と思ったのです。・・・っていうか、せっかく引いても載っていないかもしれないと思ったら、辞書を引くのがばかばかしくなっちゃった。そんなわけで、辞書依存度はむしろ下がりました。
GRオンリー読書からの脱皮は、「物語の隅から隅まで分かる」ことからの脱皮だったと思います。「辞書を引かない・分からない部分は飛ばす・つまらなかったらやめる」という多読三原則の意義が、50万語読んだ今、やっと分かってきた気がします。
「多読」は、他の英語学習法と比べると、非常に挫折率が低いメソッドではあると思いますが、全く挫折しないわけではないと思います。
多読で挫折するとしたら、それは、「読めるもの」と「読みたいもの」のギャップが大きすぎる場合ではないでしょうか。つまり「自分が読める範囲に読めるものがなく、読みたいものは難しすぎて読めない」状態。これでは読む気が起きなくて当たり前ですから。
多読も、最初は少しガマンが必要なんじゃないかとわたしは思います。あんまり面白いと思わないものでも、我慢して読む。英語力をある程度引き上げないことには、どうにもならないからです。詰まらなくてもバカバカしくても、ツベコベ言わず、読めるものからとりあえず読む。
わたしも、これまで読んだものの中には、今から思うと、ちっとも面白くなかった本もあります。最初は読める範囲が狭かったから、そういう本も読まざるを得ませんでした。ただ幸い、最初の頃は「英語を読む」という気持ちの高揚感があるのと、「語数数え」という経験値上げに燃えていたので、それほど興味のないものでも、読むのを苦痛とは感じませんでした。
でも、そうした「英語を読む」高揚感や、「語数数え」への情熱は、次第に失われていきます。そうなると、「手当たり次第、好き嫌い言わずに何でも読む」というのは、少々しんどくなってきます。
わたしも、最初はあんなに楽しかった語数数えが、最近はちょっと面倒になってきました。「英語が読める」というのもだんだん当たり前になってきて、達成感も薄れてきた。だからなのか、ちょっと贅沢になり、面白いと思えるもの意外はだんだん読む気がしなくなってきました。
ただ幸い、時を同じくして、一般児童書が読めるようになり、選択肢が広がったので、好き嫌いが言えるようになったんですね。GRの狭い世界のみから本を選ぶとなると、そうそう贅沢ばかりは言ってもいられませんが、一般児童書は星の数ほどあるので、面白いと思えるものだけ選んで読んでも、それなりに数が確保できる。
つまりわたしは、「多読」で一番挫折しそうな部分を、うまく「逃げ切れた」んじゃないかな、と思っています。「英語を読む」高揚感や、「語数数え」への情熱というビギナーズ・ラックが持続している間に、読めるものの範囲を広げるのに成功したんじゃないかな、と思うのです。
「読めるもの」の範囲が、「読みたいもの」に追いついた今、もう「挫折」はありえない。それどころか、ある意味、すでに目標に到達しているとも言える気がします。
「多読」でよく言われる達成目標は「一般(大人向け)ペーパーバックが無理なく読めること」ですが、実際は「読みたいものが読めるようになればいい」わけで、児童書が好きなら、児童書が読めれば充分なわけです。
わたしの場合、まだまだ読めるものの範囲は狭く、「読みたい」ものがすべて「読める」わけではないけれど、「読める」ものの中に「読みたい」ものがたくさんあるということは、半分くらい、目標達成かな?と思うのです。
だからこれからは、英語力アップを考えず、読みたいとき、読みたい本を、楽しんで読もうと思います。
尤も、それを「多読」と呼ぶかどうかは別ですが。読みたいときに読みたい本だけ読む、というのは普通の読書とどこも変わりませんからねえ・・・。「たくさん読む」とすら言ってないですしね^^;。
でもまあ最近、「お話を読む」ことの楽しみに目覚めたので、当面、「多読」にはなるんじゃないかと思っています。
既存の建物に、光を投影している模様