多言語

外国語脳の降臨

 「外国語脳」「外国語モード」という言葉をご存知でしょうか。

 実際には、英語なら「英語脳」とか「英語モード」、フランス語なら「フランス語脳」「フランス語モード」といった言い方で使われることが多いようです。わたし自身、この感覚を経験していて、その状態を表すのにこうした言葉がぴったりだと思って使っています。

 ではその状態、感覚とはどのようなものでしょうか。

 先日読んだ本には以下のような説明がありました。

中国人と中国語で話しはじめると、不思議にも、そのときだけ中国語の「モード」に切りかわったかのように言葉が自然と口から出てくるようになるのです。とはいえ、日本語も消えている感じはしません。影のように脳の中に残っていて、中国語モードが終わるやいなや襲来してきます。

7カ国語をモノにした人の勉強法 p.19

 一方、「おじさん、語学する」には「フランス語モード」「フランス語回路」という呼び名で以下のように記されています。

完全にフランス語モードに入ると、日本語意識が消えるらしい。すると、手持ちの語彙だけでもけっこう用をたすことができる

おじさん、語学する

 かたや「日本語意識も消えている感じはしません」、かたや「日本語意識が消える」。一見違った事象のようにも受け取れますが、これは感じ方、表現方法の個人差で、基本的にはどちらも同じものだと思っています。

 なぜそう思うかというと、自分がこの状態を表現するとすると、どちらとも書きうる気がするからです。

 日本語意識が完全に消えるかどうか。・・・うーん、難しいところです。消える気もするし、消えない気もする。しいて言えば間をとって「薄くなる」・・・?

 いずれにせよ、このポイントは重要ではない気がします。日本語が残っているかどうかはどうでもよく、ただ日本語と外国語が切り離される、それまで日本語に頼って理解していた外国語が一人歩きを始める。そこが○○語脳・○○語モード、或いは○○語回路の本質だと思っています。


 ちなみにわたしがこの外国語脳を意識的に体感したのは、アラビア語が最初です。フルに学校に通っていた頃だから、5年くらい前。ある日突然、授業中にいつもとは違った感じになりました。

 なんだかちょっと、水の中にいるみたいな感じ。時間の流れがゆっくりとなったように感じられ、アラビア語の言葉が自分の周囲にぶら下がっていて、手を伸ばせば取れるような、そんな感じがしました。不思議なことに、うろ覚えのボキャ、忘れかけたボキャまでが簡単に思い出せ、サラッと口から出てきて、スーパーマリオ状態(笑)。

 一度これを経験すると、それからはしばしばこのモードに入るようになりました。でも長くは続かない。入ろうと思って入れるものでもなく、せっかく入っても、モードが途切れるとがっかり~、の繰り返しでした。

 最初に入ったときはとても不思議な感覚で、一種のトランス状態のように感じましたが、慣れてくると、その不思議感は急速に薄れていきました。あの大きな水の固まりの中にいるような不思議感は全く感じなくなり、モードの切れ目もよく分からなくなりました。

 一つの言語でこの感覚を体得すると、他の言語でもその言語脳になれるのか、昨年のスペイン語や、今の英語のスカイプレッスンではもう、なんの苦労もなくこのモードになります。これも、入ろうと思って入れるか、というと微妙ですが、先生と通話が繋がった途端に自動的に入り、レッスンが終わると夢から醒める。途中でけっこうバタバタ落ちている気もしますが、落ちてもまたすぐ入りなおせる。

 まだ下手くそなトルコ語ですら、レッスン中「あれっ? もしかして今入ったかな?」と感じることがあります。25分のレッスン中1度か2度、それもほんの数秒ですが。

 何か、コツみたいなものを体得するのでしょうか。とはいえ、意識的に自分で入れるわけではありませんが。勝手に向こうからやってくる感じ。言うなれば降臨する感じ? 向こうから勝手にやってきて、勝手に去っていく。ただ一度覚えると、降臨を引き起こしやすい体質になるようです。

 この外国語モードは会話で一番実感していますが、外国語を聞いたり読んだりしているときも、地味にこのモードに入っているのかもしれません。自覚はありませんが。

 はじめて聞き読みができるようになったとき、これも最初の一時期だけですが、水の中にいるような感じを覚えました(過去記事参照)。これも同じものかもしれません。

 最近のアラビア語は、もう会話はひどいもので、アラビア語脳もへったくれもありませんが、ネイティブスピードの講義にまがりなりにもついていけるのは、日本語を介さず、アラビア語をアラビア語のまま理解しているからだと思います。

 ・・・って、あ。今気づいたけど、日本語、わたしの場合、完全に消えるとは限らないわ。なぜって、アラビア語で講義を聞きながら、メモを日本語で取れるからです。すっごい集中力が必要ですが。何が大変って、日本語をメモが取れる程度のギリギリの低出力に抑えるのが大変。

 もちろん、自分のレベルに合った講義だからこんなアクロバットも可能なのであって、シンポジウムの講演などは、ただ聞くだけだってほぼお手上げです。アラビア語モード降臨どころの騒ぎではなく、「あ、無理。ついてけない」と思った途端、耳が閉じてしまい、もはや子守唄にしか聞こえない(笑)。

 英語など、他の言語でもそう。自分にとって難しすぎるものでこのモードに入るのはほぼ不可能。なんとか自分の手におえる状況でのみ、発生するようです。

 長くなってきたので今日はこの辺で。続きは次記事に持ち越します。

チュニス・シディブサイドにて。地中海を臨む
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