昨日、待ちに待った人との再会がやっと叶いました。40年前のホストマザー、マムです。
わたしがアメリカにホームステイしたのは、中学二年の夏休み。マムに一ヶ月お世話になりました。
その後28年の時を経て11年前に会いに行き、再会。でも2年ほど前から手紙が宛先不明で戻ってくるようになりました。
一体マムはどこへ行ってしまったのか。調べようと思えば、手段はあったかもしれない。でも敢えて調べませんでした。怖かったんです。マムは90近い高齢。いつ何があってもおかしくないから。
ところが三ヶ月ほど前、メーラーにマムのフルネームを発見。思わず息を飲みました。いつもならろくに確認もせずに削除してしまう迷惑フォルダーをその日に限って確認し、そこで見つけたのです。
スパムメールである可能性は大。何年も前にアドレスは伝えてありましたが、マムはそもそもパソコンを持っていなかったし、メールが来たことは一度もなかったからです。でもどうしても気になり、思い切って開きました。
内容はたった一文。わたしへの呼びかけと、「このアドレス、まだ有効?」だけでした。ますます怪しい。でもメールアドレスが、マムの息子の名前だったこともあり、一縷の望みに賭けて返信しました。
すると向こうからまたすぐ返信があり、本当にマムからだと分かったのです。
そのメールによれば、2年前持病が悪化し、別の介護施設に移ったと。人間関係も途絶え、失意の日々だったけれど、数ヶ月前、ようやく病状が快方に向かい、息子が買ってくれたiPadでメールの送信方法を覚え、いま人間関係を取り戻している最中だということでした。
まったくマムにはびっくり。90近くになって、初めてiPadの操作を覚えるなんて!
数回のメールのやり取りの後、メールができるならもしかしてスカイプも、と思い、自分のアカウント名を伝えました。すると、息子に頼んで設定してもらった様子。先日ついにマムからコネクティングリスト追加要請がありました。
ただあいにく、それに気づいたのは数時間後。あとで折り返し連絡したものの、繋がらず、何度かのすれ違いの末、昨日ようやく会うことができたのです。
長い長い道のりでした。11年ぶりに、スカイプ上とはいえ、やっと再会することができました。
本当に、やっと、やっと、やっと。
これはお互いの歩み寄りの成果です。双方が会いたい一心で頑張ったから実現した。
マムは一生懸命iPadの操作を覚え、わたしは一生懸命、英会話を学びました。
スカイプでの会話は相手の顔が見える分、音声電話よりはマシですが、実際に会って話すのに比べると、やはりハードルが高い。実際の再会なら、ただ肩を抱き合っていれば伝わる喜びも、スカイプでは、言葉で伝えなくてはならないからです。
果たして自分に、英語でそれができるのか。正直、不安でした。マムに心から会いたいと願う一方、怖くて、逃げてしまい気持ちもありました。
ここ1年以上、毎日スカイプで英語を話してきましたが、それとこれとは話が違う。だっていつもの相手は、先生なのだから。先生方は生徒のヘタクソな英語に慣れているから、何か行き違いがあっても、英語のせいだろうと割引いて考えてくれる。第一、もし行き違いがあったとしても、先生の替えはいくらでもいるのですから。
でもマムは、わたしにとってかけがえのない人。絶対に気持ちを伝えなくてはならない人であり、万一にでも、誤解から悲しませるようなことがあってはならない。だから怖かったのです。
まあ結果からいうと、案ずるより産むがやすし。決して完璧な英語ではないでしょうが、特に困りもせず、マムの元気そうな様子が見られて安心しました。
もし英語のスカイプレッスンをやっていなかったら、マムとスカイプで話そうなんて、思いつきもしなかったでしょう。レッスンをしていて本当によかったと思いました。
一年前、わたしがDMMでスカイプレッスンを始めたのはトルコ語がやりたかったからで、今回のこととは関係がありません。当時のわたしは、マムが生きているのかどうかすら知らなかった。だからこれは「成功を信じて努力したから、夢が叶った」というより、「ただなんとなく続けてきたことが、思わぬところで役立った」というところでしょう。
それでも、正直言うと「英会話レッスンをいままで続けてきたのは、実は今日この日のためだったのでは」と思えてならない。もしいつものようにチェックせずに迷惑メールフォルダを空にしていたら・・・と思うと、運命の存在を信じそうになります。
マムは、iPadを「魔法の道具だ」と言います。地球のあっち側とこっち側、広い広い太平洋が、E-mailやskypeならひとっとび。「こんなことができるだなんて!」と、メールでもスカイプでも何度も言います。
でもわたしにとっては、太平洋の広さと同じくらい、いやもしかしたらそれ以上に、言葉の壁が厚かった。昔だって、電話なら太平洋はひとっとびでしたが、英語で電話するという選択肢は、あってないも同然でしたから。英語で電話をかけるくらいなら、太平洋を越えて会いにいくほうが、まだしもハードルが低かった。
そのどうしようもなく厚い壁の一端が、いま少し切り崩せたかな、と思います。