アラビア語はわたしにとって特別な言語。唯一学校に通って学んだ言語であり、習得の時間も一番かかっています。
アラビア語の学習環境はここ三年で大きく変わりました。アラビア語検定は廃止、アラブイスラーム学院は閉校し、今は昔となりました。今日は、そのセピア色の思い出を綴ります。
アラビア語を始めたのは2008年3月。「アラビア文字を覚える」という長女の春休みの余興に便乗したのがきっかけです。娘は僅か2日で飽きてしまいましたが、わたしは当時、親知らずの抜歯を控えており、頻繁に通う歯医者の待ち時間に「アラビア語を書いてみよう読んでみよう」(絶版)を眺め続けた結果、10日ほどでアラビア文字が読めるようになりました。
翌月4月、いよいよ抜歯で入院するとき、今度は「旅の指さし会話帳」とネットで見つけたアラビア語の単語集をプリントアウトして持っていきました。退屈しのぎに病院で目につくものの名前を調べてアラビア語で言ってみようと思ったのです。
だからアラビア語で覚えた最初の単語は「タビーブ アスナーン(歯医者)」。 病室に様子を見に来たドクターの顔を眺めながら、 頭の中で「この人はタビーブ アスナーン、タビーブ アスナーン」と繰り返しました。 食事時になると「タアーム(食事)だ、タアーム」、 洗面所でガラガラうがいをしながら「ダワ ガルガラ(うがい薬)、ダワ ガルガラ・・・」。
こうして5日間の入院で70~80の単語を覚えました。他に何もすることがなく、病室で目に入るものは限られていて、決まりきった単語を繰り返すしかなかったのが却ってよかったと思います。
退院して家に帰ってくると、今度は文の成り立ちが知りたくなり、図書館で入門書を片っ端から借り、読めそうなものから読み始めました。
アラビア語検定の存在を知ったのもこの頃です。試験は6月下旬。3年前、4月に始めて6月後半に検定試験に受かったフランス語の成功体験が再現したくて、一番下の6級に申し込みました。
検定試験は見事合格。その後もアラビア語の学習を続けました。市販の入門書を一通り読み終えると、NHKテレビやラジオ講座のバックナンバーを購入して読みました。
9月からは、アラブイスラーム学院に通うことに決めました。この学校はサウジアラビア政府が無償で提供する2年間のアラビア語教育で、昼間部と夜間部がありました。わたしは昼間部にしました。
入学前の面接で、初めてアラブ人とアラビア語で会話しました。「今日はどんな交通機関を利用して来ましたか」と訊かれ、「交通機関」という単語が分からなくて困っていると、先方が「飛行機で来たのですか?」とおどけて助け船を出してくれたのを覚えています。
レベルチェックの結果、レベル2に編入。それから卒業まで1年半、朝10時から午後2時まで、月曜から金曜まで週5日通いました。授業は会話、作文、読解、文法の4科目。先生は全員アラブ人で、「テキストを開いて」といった指示から文法説明まで、すべてアラビア語でした。
家に帰ると3、4時間の予復習。わたしは主婦なので家事もあり、大変忙しい日々でした。
この学校に入って何より良かったのは、文化を学べたことです。たとえば、アラビア語でイスラム教の始祖であるムハンマドに言及するときは、文書であれ口頭であれ、必ずصلى الله عليه وسلم(彼にアッラーの祝福と平安あれ)と付け加えなければなりません。そういった「アラブの常識」が学べました。また、アラブ人の先生やスタッフの仕草や習慣などを見ることができました。
通学に慣れてきた二期目からは、課外活動にも参加しました。演劇部や会話サークルなど。数か月に一度の「学生発表会」では、作文を読んだり、アラビア語落語をやったり、パワーポイントを使ってプレゼンをしたり。友達と組んでアラビア語劇や人形劇もよくやりました。
年に一度の「アラビア語オリンピック」では、一年目はアラビア語タイピングコンテストで二位に入賞。一位から三位までを同じクラスの仲間で独占し、放課後一緒に練習した甲斐があったと喜び合いました。二年目はクラスの代表に選ばれてスピーチをしました。
学校でイベントがあるときは、モロッコ人のシェフの元で、厨房のお手伝いをしました。サウジアラビアから使節団がいらしたときは、切り紙の実演をしました。アラビア語を学んで、使って・・・。忙しくも楽しい、文字通り、アラビア語漬けの一年半でした。
卒業するとき、アラビア語はこれで終わりにしようと思いました。あまりにも印象的な毎日だったので、アラビア語の思い出はこれ以上増やさず、この珠玉の日々を箱にしまって封印し、大事にとっておこうと思ったのです。
ところが実際には、卒業は第二章の幕開けにすぎませんでした。ちょうど「卒業生クラス」が創設され、友達に誘われて週に2度、引き続き学校に通うことになったのです。新しいクラスメートは、卒業してなおアラビア語を続けようという猛者たちですから、錚々たるメンバー。先生もやる気満々で、毎回アラビア語で活発なやり取りが繰り広げられる楽しいクラスとなりました。
一期目の卒業生クラスが終わった2009年の夏アラビア語検定が開催され、4級を取得しました。2012年夏には3級を取得。1級と2級は最後まで開催されずに終わりました。
3級を受ける前、「3級って留学経験のある人が受ける試験よ。わたしらには絶対無理よ」と同じ卒業生クラスの仲間である親友が言いました。でも結果は合格。「そんなにできる人だったとは!」と驚くので、「そんなにできないと思われていたとは!」と笑いました。
2015年に同窓会が新設されました。同窓会誌も創刊されることになり、わたしは編集委員に任命されました。
最初の大仕事は、主任の先生にアラビア語でインタビューし、日本語の対訳つきでアラビア語の記事にまとめたことです。企画会議では「そんなこと、本当にできるの?」と心配されましたが、やってみたらできました。一番大変だったのはアラビア語のテープ起こし。2時間のテープを30時間かけておこしました。
人に無理と言われても、やってみれば意外とできるものです。先例がないと不安になりますが、先例がないなら自分がその先例になればよいのです。
この仕事を果たしたことは、大きな自信になりました。同窓会誌第一号としても「アラブイスラーム学院を卒業すれば、これくらいのことができる」という実例が示せたと思います。
学院の閉校に伴い、今はこの同窓会誌も廃刊となってしまいましたが、取材を通して通常では知り合えない多くの方々にお話を伺うことができ、わたしの財産となっています。
アラブイスラーム学院の閉校によって、わたしのアラビア語も一時代が終わりました。現在はDMM英会話でときどきネイティブと話して、アラビア語スキルの維持をはかっています。