多言語

外国語を学ぶ理由

 今日はわたしが外国語を学ぶ理由について書きます。

 わたしが外国語を学ぶのは、面白いからです。

 学ぶこと自体が楽しい。

 「こういうことができるようになりたいから学ぶ」という目的意識も全くなくはありませんが、やっぱり学ぶこと自体が楽しいから、つい夢中になってしまうのだと思います。日々楽しいから、飽きずに続けているのです。

 勤勉な性格ではないので、「今は辛くても、頑張れば将来的に何かいいことがあるかも」という期待だけでは続けられていないと思う。将来なんて待ってられない。わたしは「今すぐ」楽しくなくちゃイヤです。

 とはいえ、100%楽しいことばかりではないのもまた事実。やっぱりちょっと面倒臭いなあと思う場面もあります。

 たとえば、言いたいことがうまく言えないとか。読んでも分からないとか。やりたいことができるようになりたいという気持ちが先走りすぎると、自分の上達が待てなくてじれったい。

 そういう時に支えてくれるのは、「ここをちょっと辛抱すれば、いいことがあるはず」という確信です。

 それは「いいことがあるかも」という根拠のない楽観ではありません。過去の経験に基づいた確信。いつもそうだったんだから、これからもそうだろう、という経験則です。

 そういう確信を得るまで、5年くらいかかりました。

 今でも時々揺らいでしまう。難しすぎることに直面すると、乗り越えられない気がする。「スペイン語の動詞活用はなんとか覚えられたけど、ロシア語の格変化は無理なのでは?」とか思うわけです。

 そういう時に役立つのは、「今はできることでも、最初は無理だと思えた」という事実です。自分を励ますには、「できた」という結果だけでは足りない。「最初は無理に思えた」という前フリが必要なのです。

 だから弱気な部分もブログに吐露しておくと、あとで役に立つ。あとから読み返すと恥ずかしいけどね。でも読み返すと恥ずかしいということは、どこかでその弱気を克服できた、ということでもある。だからとりあえず書いておきます。

 困難に遭遇した時の、もう一つの処方箋は、「放っておく」ことです。

 格変化につまづいたら、格変化は放っておき、動詞活用をやる。テキストも、面倒くさい課は飛ばし、興味をそそられるところだけつまみ食い。難しい教材はうっちゃっておき、もっと簡単なのを読む。

 読めないテキストを無理やり読もうとすると、苦痛で外国語学習の印象が悪くなる。「楽しい」という気持ちが継続の最大の動機なので、その好印象を守るのが最優先事項なのです。ちょっと頑張るのはいいけれど、頑張りすぎて印象を悪くしてしまっては、元もこうもない。

 いつも外国語学習を楽しいものにしておきたいから、やりたくないことはなるべくやらず、楽しいと思えることだけやるようにしています。

 不思議なもので、楽しいことだけ追いかけていても、何かにチャレンジしたくなるときはあるし、難しすぎると思っていたものも、いつの間にか読めるようになる。だからやりたいことだけやっていても大丈夫なのです。

 
 「なぜ外国語を学ぶのか」という問いは、「理由」を聞いているようで、本当は「目的」を聞かれているのかもしれない。もしそうなら、「面白いから」では答えになっていませんね。

 でもわたしは、確たる目的があって外国語を学んでいるわけではないので、「目的」は答えられない。目標はありますが、それはあとから派生したものだし、目的も、いろいろ考えてはみるものの、どれも後づけ。どう答えても、我ながら嘘くさい。

 やっぱりここは素直に「特に目的はない」と告白した上で、「日々楽しいから」という理由をあげるのが一番正直なところだと思います。

 あと、「外国語を学んでいる自分が好きだから」かな。

 昨日わたしが不安に押し潰されそうになっていると、夫が言いました。

「ママは余計なことを考えず、機嫌よく外国語をやってりゃいいんだ」

 その通りだと思いました。

 外国語を学んでいるときのわたしは機嫌が良い。過去も未来も考えず、ただこの瞬間の楽しさに没頭して機嫌良くいられる。わたしは機嫌が良い自分が好き。だからわたしは外国語が好きなのかな、と思いました。

 新年おめでとうございます。

 皆さまにとって楽しい一年になりますようにお祈り申し上げます。

 

メジロ
メジロ

 

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