DMM英会話でギリシャの先生と話しました。
アテネ近くの海辺、アクロポリスのパルテノン神殿から車で15分ほどのところにお住まいだそう。庭を掘ったら遺跡や壷が出てきた、なんて話も珍しくはないらしい。ギリシャだなあ~!
そんな話を聞いていたら、古代ギリシア語が懐かしくなり、昔のテキストを図書館で借りてきました。。
昔、大学で古代ギリシャ語を受講したとき、テキストだった本です。ときどき図書館で借りてはパラパラめくります。実家を探せばまだどこかにあるはずですが、みつからないので(実家は迷宮^^;)。
最初の授業で、先生が受講者の一人ひとりに受講理由を尋ねて回ったとき、「○○研究に必要なので」と答えるほかの受講生に混じって一人だけ「あの文字が読めたらカッコイイと思って」と答えたものです。すると真面目そうな先生がニヤリとして、「確かにギリシャ語は恰好の知的アクセサリーですね」とおっしゃった。うまいことを言うものだ、と思ったので、30年経つ今も覚えています。
そんな不真面目な動機で始めたのにも係わらず、十人に一人と言われていた古代ギリシャ語単位取得者になれたらそれこそカッコよかったのですが、御多分に洩れず、前期でもう挫折。単位は取れませんでした。
でも、文字が一通り読めるようになり、今でも空で言える文が一つだけあります。
Ὁ θεὸς ἀγάπη ἐστιν.
(神は愛である God is love.)
新約聖書ギリシア語初歩改訂新版
「ホ・テオス・アガペー・エスティン」みたいな感じに読むんだったと思います。
「テオス」は「ゼウス(神)」、「アガペー」は「アガペーの愛」から意味が容易に想像できるので覚えやすかったんじゃないかな。ちなみに最初の「ホ」は定冠詞、最後の「エスティン」はbe動詞だったと思います。他の例文も音読して覚えたはずですが、いま覚えているのは練習問題の一番最初のこれだけです。
しかし、偏ってますよねえ。しょっぱなから「神は愛である」とか、なんかすごい(笑)。
ま、それも道理。書名からもお分かりの通り、これは新約聖書を古代ギリシャ語で読むためのテキストなので。普通の語学テキスト同様、文法説明や動詞活用表も載っていますが、例文はすべて新約聖書からとっているのです。
単語もそう。巻末の単語集を見ると「天使、黄泉、いばら、呪い、不信仰」など、およそ普通の入門テキストには出てこない単語がたくさん並んでいます。
逆に、普通の入門テキストに出てくるような、たとえば「スーパーマーケット」なんていう単語は出てこない。よって、このテキスト一冊きっちり読みきったとしても、スーパーまでの道は尋ねられそうにありません。
まあ2000年前のギリシャにスーパーがあったとも思えませんが(笑)。
第一、古代ギリシャ語は死語。タイムマシンにでも乗らない限り、この言葉を使うチャンスはない。まさしく「知的アクセサリー」以外の何物でもない。
でも、その役に立たなさ加減に、なんだかちょっと癒されるのですね。この使えなさが素敵、偏りが素敵。わたしにとって外国語を学ぶ原動力って、こういうファンタジーなんですね。もし2000年前のギリシャにタイムスリップしたら、この言葉を使ってやろうとか(笑)。
教養主義だとか衒学的だのと言われ、古代ギリシャ語やラテン語はよく槍玉にあげられます。でもこの本を見ていると、「何のために外国語を学ぶのか」なんていう問いが馬鹿らしく思えてくる。
だからときどき図書館から借りてきては、眺めたりさすったりしているのです。そして、わたしにとって唯一の古代ギリシャ語である「神は愛である」の一文が、まだそこにあるのを確認して安心するのです。