今週からまたアラブ文化講座(全10回)が始まりました。この講座の講師は基本、学院長先生ですが、先生がご不在の折には、他の先生が代打に立たれます。いろんな先生の講義が受けられるのが、この講座の美味しいところ。
今回はなんと、ニューフェイスのイハーブ先生でした!! 先生は先だって東京外大からアラブ・イスラーム学院に移ってこられたばかり。パスポート日本語アラビア語辞典を本田先生と共著で執筆された方です。
今回の講義のテーマは、「言語に見る文化の影響」。おなじみの挨拶フレーズの文化的背景を探る内容でした。
すごーくよかった!! 正しい意味やルーツを知らずに使ってきた慣用表現が整理できました。見よう見まねでなんとなく使っていたものだから、微妙にズレた使い方をしていた表現もありました。
先生にご了解をいただき、ここにまとめておきます。
الحمد لله(おかげさまで)
イスラム教徒が神に感謝するときに使う。具体的には、
1.体の調子を聞かれたときの返答として(おかげさまで)
2.食事や仕事など、何かを終えたとき(ごちそうさま)
3.窮地を切り抜けたとき・人が旅行から無事に帰還したときなど(助かった、間に合った、無事で何より)
「おかげさまでお腹いっぱいです」という意味で、勧められた食事を辞退する場合にも使える。
人に感謝するときの شكرًا(シュクラン)は、イスラム教徒は神への感謝には決して使わず、かならず「アルハムドリラー」。けれどもキリスト教徒のアラブ人は神にも شكرًا を使って以下のように言う。
شكرًا الربّ (主よ、感謝します)
بسم الله(神の御名において)
何かを始めるとき、イスラム教徒が声に出す・出さないは別として必ず唱える表現。たとえば、
- 家に帰ってドアのカギを開けたとき
- 車にエンジンキーを差し込んだとき
- 新しい靴を初めて履くとき
- 講演、授業を始めるとき
とにかく何かを始めるときにはとりあえずバスマラ。
神の名のときは اسم の最初のアリフを必ず落とし、بسم と綴らなくてはならない。
一方、人の名において、という場合は、~~ باسم と綴り、決してアリフと落とさない。(発音はどちらも同じビスミ)
الله أعلم(神のみぞ知る)
神が一番よく知っている( أعلم は عالم の最上級)= 神のみぞ知る
転じて「そんなこと知るか」( لا أعرف )という意味。
إن شاء الله(アッラーがお望みならば)
未来の予定・意志を言うときに使う。従って、このセリフには必ず未来形(~ س 又は~ سوف )が続く。
誤解している外国人が多いが、これが「~しますか?」という問いの返事に使われた場合、「否定( سلبي )」ではなく、「肯定( إيجابي )」である(※ 例外あり^^;)。
イスラム教では運命はあらかじめ決まっている( مقدّر )と考えられており、どんなに自分の意志が固かろうとも、神の意志によって5分後には死ぬかもしれない、という発想があるので、未来のことを述べるときは必ずこれをつけるのが慣わし。
しかしジョハ( جحا )の小話にこんなのがある(このページに原文あり):
ある日、ジョハが市場へと歩いていると、隣人に出くわした。「どこへ行くのか」と尋ねる隣人にジョハは答えた。「市場へ行って、牛を買う」と。隣人はジョハに尋ねた。「なぜおまえは未来のことを話すのに إن شاء الله(インシャーアッラー)をつけないのか」と。ジョハは言った。「金はポケットに入っているし、市場には牛がたくさんいる。自分が牛を買うのに、神の意志など関係ない」と。
ところが市場につくなり、ジョハーはスリに金を盗まれてしまった。牛を買わずに戻ってきたジョハに、隣人が理由を尋ねると、ジョハは言った。「金を盗まれてしまった、インシャーアッラー」と。必ず未来の話につけるべきセリフを、ジョハは過去の話につけたところが、この物語の妙味である。
ما شاء الله(神がお望みのとおり)
誰かを褒めるとき、必ず褒める前に使う。
- 立派な家にお住まいですね。
- 綺麗な奥さまをお持ちですね。
- 息子さんは頭がいいですね。
ما شاء الله なしで褒められると、アラブ人は邪視と受け取り、内心、心穏やかでいられなくなる。
邪視( حسد )と嫉妬( غيرة )は異なるもので、
- غيرة : 金持ちを見たら、自分もそうなりたいと思う感情。
- حسد : 金持ちを見たら、貧乏になればいいのにと思う感情=邪視。
邪視と受け取られないために、褒めるほうはما شاء الله を必ずつけなくてはならない。
ちなみに、人から褒められたら、الحمد لله(おかげさまで)、شكرًا(ありがとう)などと返答するのが一般的。
هذا من فضل ربّي(主のおかげです)
でも良い。
ちなみに、「いえいえ、とんでもないです(لا لا لا ليس كذلك)」などと、アラブ人も تواضع(謙遜)することがあるが、まず الحمد لله(アルハムドリラー)を言ってから謙遜の言葉を言うのが慣わし。
الله يبارك فيك(神の祝福がありますように)
مبروك(おめでとう)
に対する返答。
بارك الله فيك
でも良い。
返答は、相手の発言と語根を揃えるのがポイント(この場合は برك )。
الله يسلّمك(神のご加護がありますように)
الحمد لله على السلامة (ご無事でなによりです = お帰りなさい(旅行から帰ってきた人に))
مع السلامة (どうぞご無事で = さようなら)
~ سلّم لي على (~さんによろしくお伝えください)
これらに対する返答も、相手の発言に語根をあわせ(سلم)、一律 الله يسلّمك と返答する。
البقاء لله(今生は神のもの)
家族を亡くした人へのお悔やみのセリフとして、
إنّا لله وإنّا إليه راجعون (我らは神のものであり、神のもとに帰る)
の代わりに使ったり、その返答として使う。
سبحانَ الله(神に讃えあれ)
ヘンなものを見たとき、ビックリしたときなどに使う。سبحانَは特殊な単語で、常に対格。スブハーナ。
الله(おお神よ!)
美味しいものを食べたり、美しい景色を見たり、気持ちのよいマッサージを受けたりして極楽気分になったとき、アラブ人が思わずつぶやくセリフ。アッラーハ・・・。
لا حولَ و لا قوّةَ إلا بالله(神以外に権力も力もない)
アラブ人がなすすべもなく言葉を失ったときに言うセリフ。人間の我々に力はなく、手の打ちようがないので、この件は神の手にゆだねよう、という意味。
واللهِ(神に誓って)
最初のوはواو العطف(接続のワーウ)でもواو الحال(同時性のワーウ)でもなく、واو القسم(誓いのワーウ)。後ろに属格が続く。
والكعبة(カアバに誓って)、وأبي(父に誓って)のように、何かにつけ誓うイスラム以前の風習が残った用法。アーンミーヤ。
実際の意味は、حقًّا(マジ)と同じ。
واللهِ؟ (え、マジ?)
واللهِ (うん、マジ)
というように使う。ワッラーヒ? ワッラーヒ。