3週間の犠牲祭休暇が終わり、学校が始まりました。…が、わたしだけはまだ特別休暇中。実は娘が先週新型インフルエンザにかかってしまったので、私もすでに保菌者かもしれない。一週間は様子見ということで、自主欠席することにしたのです。
…というわけで、授業の進度が気になりつつも、一日中コタツでヌクヌク♪ わーい、ラッキー(?!)
でもヌクヌクしながら読んでいるのは、やっぱりアラビア語のテキストです。学校の課題は放っておきながら、さしあたって今読む必要のない市販のテキストは読みたくなるんだから、困ったものだ^^;。でもこれこそが休暇中ならではの過ごし方なのかなーと、思ってみたりなんかもして…^^;。
ペラペラでなくてもガイドになれる
先月の記事で「毎日学校に通っているのにペラペラにならない!」と嘆きましたが、最近心境の変化があり「ペラペラにならなくたっていいじゃん!」と思うようになりました。先週の北京旅行で、ガイドさんの日本語を聞いていて考えが変わったのです。
ガイドさんは中国人。訪れた世界遺産や車窓から見えるものについて一生懸命説明してくれましたが、決してペラペラとはいえない状態でした。意味は充分通じますが、過去形と現在形を間違える、「てにをは」もヘンだし、発音もいまいち。頭の中で正しい日本語に修正しながら聞く必要がありました。これなら私のアラビア語とそう変わらないんじゃないかしらん? そう思って、試しにガイドさんの説明を頭の中でアラビア語に訳してみることに。
すると、なんと、ほとんどアラビア語に直せました!! ガイドさんが話すのと同じスピードで、文章が組み立てられる! 実際に口に出したわけじゃなく、頭の中で考えただけですけど、それにしたって、わーお☆ すごいっ!
「真珠」とか「翡翠」などといった特殊な単語以外、たいていの訳語はすぐに思いつきました。「これは知っているべき」と思った単語で思いつかなかったものも、家に帰ってから辞書で引いてみると、ほとんどは知っている単語の組み合わせで表現できることが分かりました。たとえば:
特産品=最重要製品( أهم المنتجات )
年間パス=定期券( تذكرة اشتراك )
値下げ=値段の低下( خفض الأسعار )
という具合。へえー、意外とボキャあるじゃん♪
尤も、このガイドさんの日本語は特別、訳しやすかったと思います。たとえば
あちらの建物は新しいのに、こちらの建物が古いのはなぜかといいますと、それは清の時代から修復していないからです
日本人ガイドさんならこんな説明をするかもしれませんね。これをそのままアラビア語に直そうとすると、なんか難しそう。文の構造が、どこから手をつけていいものやらワカラナイ…。
でも、このガイドさんの言い方はこういう感じでした。
あちらの建物は新しいね。こちらの建物は古いです。なぜ古いですか? 清の時代から修復していませんからです
こんなふうに四つに分かれていれば、私でもアラビア語に直せる♪
中国人ガイドさんの日本語は、日本語ネイティブからするとたどたどしく、若干ヘンなところもあります。でも意味はバッチリ通じる。これで充分、日本語ガイドとしての役目は果たせるわけです。言葉って、まず意味が通じることが大事。だから無理をせず、自分の力量の範囲内で簡単な言い方を工夫すればいいんだ、とこのガイドさんを見ていて思いました。
なんか、外国語で仕事をするなんていうと、ペラペラじゃないとダメな気がするけれど、別にペラペラでなくたっていいんですね。最低限のボキャブラリーと文法理解さえあれば、あとはガッツと工夫で乗り切れるのかもしれません。今たとえばアラビア語ガイドの仕事をもらったら「とてもじゃないけど無理です」と断ってしまいそうですが(アラビア語よりちょっとはマシな英語でも無理な気がする)、ボキャブラリーも文法も、必要なことは全てちゃんと学校で習ってはいるはず。むしろ足りないのは場数と自信かなと思いました。特に自信ね。自信がない。
ともあれ休暇の効用とは、こういうことを考えられることかもしれません。学校に通っているときは日々の生活や学習に追われ、あれこれ考える余裕はありませんが、休暇だと家でのんびり過ごしながら様々なことを考えます。
アーンミーヤとフスハー、どちらを先にやるべきか
もうひとつ休暇の効用があります。それは「アーンミーヤ(方言)とフスハー(正則アラビア語)、どちらを先にやるべきか」という問題の答えが分かったことです。アラビア語学習者にとって永遠の問いですね。
エジプトあたりで実地経験を積んできた人曰く
フスハなんて役に立たないよ。カイロの下町で喋ってごらん、キチガイ扱いだよ
うちの学校の先生の弁
フスハができないうちにアーンミーヤなんかやってみろ。全てを失うぞ
どっちがホント?と思いつつ、敢えてこの問いには目を瞑りフスハを学んできた私、ようやく答えがでました。それは「どちらが先でもいんじゃない? 大して変わりはなさそうだし」です。
私が知る誰しもが、アーンミーヤとフスハはものすごく違うかのように言う。でも今日はじめてエジプト方言のテキスト(小池百合子著:3日でおぼえるアラビア語)を読んで私が感じたのは「それほど大差なさそう」です。そりゃあ違う部分に着目したら「ここが違う、あそこが違う」といろいろあるかもしれない。でも共通点との割合を考えたら、所詮どちらもアラビア語。迷ってるヒマがあったら、どちらでも好きなほうから始めればいい。どちらかができれば、もう一方に慣れるのも簡単なのでは、と思いました。
テキストを読んでいると、一見すごく違うように見えても、じっくり眺めると元は一緒ということがよくあります。そしてその変化の過程もおぼろげに想像つきます。たとえば「この本」をエジプト方言で言うと「エル・キターブ・ダ」ですが、フスハーで言えば「ハーザ・ル・キターブ」で、「ハーザ」が「ダ」に変わって、語順が変わっただけだな、と想像がつく。「今」を「ディルワーティ」と言うのも「ハーザ ル・ワクト(この時間)」のエジプト風発音のように思えます。「今日」の「インナハルダ」も「アン・ナハール・ダ(この昼間)」という意味かな、とかね。音だけ聞くと「ダキーカ(分)」が「ディイーア」だなんてずいぶん違うようですが、それは発音のクセの問題。エジプトではقを「ア」、جを「ガ」と発音するのだと知ると、元は同じだと納得がいきます。
基本単語こそ「ナアム」(はい)と「アイワ」のように単語が全く異なる場合もありますが、あまり使われない単語ほど共通です。よく遣われる動詞でも、エジプト方言では 「行く」が「ラーハ」、「見る」が「シャーファ」と聞くと、フスハのذهب(ザハバ)、رأى(ラアー)とずいぶん違うように思えますが、実はフスハにもراح(ラーハ)、شاف(シャーファ)という動詞があり、意味は同じ。ただ使用頻度が低いだけです。
今日は丸一日エジプトアーンミーヤのテキストを見ながらこんなことばかり考えていました。学校に通っていたらこんな悠長なことはとてもしていられません。こういう学習は休暇ならでは、ですね。