先日やっと終わらせた学校の課題の一つに、『日本の有名な作家について書け』というのがありました。いまいち書きたいことが思いつかなかったので、宮沢賢治について軽く触れ、あとは有名な『雨ニモ負ケズ』をアラビア語に訳してお茶を濁しました^^;。以前、先生に「詩を書いてごらん」と勧められたので、それに応えようというのもありました。
卒業式の前日、その作文を先生に見てもらいに行った日のこと。
「ぼくもこんなふうになりたい」。作文に手を入れつつ読み終わったあと、先生がおっしゃいました。思わずわたしも「あっ、わたしも!」と応えました。何か、とても嬉しかった。「・・・あ、伝わったかも」と思いました。
「雨にも負けず 風にも負けず」で始まった詩は、「日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き みんなにでくのぼーと呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず そういうものに わたしはなりたい」と締めくくられます。この最後の部分は誤訳だと思われるかもしれないと思っていました。そもそも日本とアラブでは気候風土が違うので、「日照り」はともかく、「寒さの夏(冷夏)」の辛さを分かってもらえるかどうか。まして「みんなにでくのぼーと呼ばれ」る、「そういうものに わたしはなりたい」とは。この辺はもう、日本人でも「えっ、なんで?」と思う人がたくさんいそうな部分です。わたし自身、この一種の達観に今でこそ共感しますが、20年前ははたしてどうだったかな、と思う。だから遠い異国からやってきた先生に誤訳だと思われても仕方がない、そしたらせいぜい頑張って説明しようと思っていました。そんなときのために、ウェブから拾ってきたこの詩の英訳まで、しかもそれぞれ別の人が訳したものを3種類も用意していたのです。
先生はわたしのアラビア語訳ばかりか、持って行った英訳にまで手を入れておられましたが(笑)、詩の基本イメージは伝わったのだと思います。だから「ぼくもこんなふうになりたい」というセリフを発されたのだと思います。それがわたしにはとても嬉しかった。わたしのつたないアラビア語訳で伝えられたのだとは思いませんが、「こんなふうになりたいね」「ええ、わたしも」。育った国も性別も異なる者同士がそんなふうに言い合えるのっていいなあ、と思ったのです。尤も、先生とわたしは年齢が近いので、世代的に通じあえる部分があったのかもしれません。
「共感って、決して簡単なことじゃない。分かり合うって、口で言うほどたやすくない」。これは一年半、学校に通って分かったことです。卒業はしたけれど、そして言葉こそ多少喋れるようになったけれど、文化的なことがらに関してはいまだに分からないことだらけ。むしろ余計に「分からない」ことがはっきりしたような・・・。どんな機軸の中で、いかなる価値観でモノを見、考えるのかが分からないから、先生方が、いつ、何を見て笑い、何を思うのか、いまだに測りきれない。察しきれない。
だから先生方と話すときには、言葉がアラビア語であるという点を差し引いても少々緊張しますし、腰が引けます。またそれで良いのかもしれません。文化の接触というのは、互いに様子を見ながら、付いては離れ、離れては付き、そうやって試行錯誤しながら距離感を測ってゆくものなのかもしれません。
先生方の思わぬ反応に出くわすたびに「ええ~? どうして~?」と真面目に不思議がったり、面白がったりしてきました。たとえば男の先生に近寄りすぎ「こらこら、わたしに近づくな」と机を盾に防御態勢をとられてしまったり、かと思えば、悪魔の顔を先生の似顔絵にしてしまい、どんな反応が待っているかとビクビクしていたら大ウケだったり、お疲れのようなのであんまり相手にしてもらえないかと思ったら、突然、期待以上の熱弁が返ってきたり。逆に、何か変わった反応があるかと思えば、どうということもなくフツーにスルーされてしまったり。ホント、どんな展開が待っているのか読めず、ドキドキワクワクのし通しでした。
先生方のほうもときどき、生徒の反応を見ては「わっかんないなー。コイツらの反応は~!」といった風に首をかしげ、笑います。その様子がまた見ていて面白い。お互いに理解できない・分からない部分を残したまま、お互いのやり方に慣れてゆくのだな、と思います。
そんな中で、ときどき通じ合える部分もある。それはほんとに嬉しい。ただし、互いの共通部分に寄りかかるのは禁物。似ている部分は「同じ同じ!」と素直に共感しあえばいいし、違っている部分は首をかしげ、互いに笑い合えばよろしい。そう思うのです。
لا يخنع ِللأمطارِ ولا يخنع لِلرِّياحِ
ولا يخنع ِللثلوجِ ولِحراراتِ الصَّيفِ
قويُّ الجسمِ ودونَ أطماعٍ
لا يغضب أبدًا وينتسم دائمًا
يأكل أربعةَ أكوابٍ منَ الأرزِ والميسو والخضارَ القليلَ
ويرى كلَّ شيءٍ بِدونِ تعصُّبٍ
ويسمعهُ ويفهمهُ ولا ينساهُ
يسكن في كوخٍ بسيطٍ وِراءَ شجيراتِ الصنوبر في بريَّةٍ
وإذا كان طفلٌ مريضٌ في الشَّرقِ، ذهب إليهِ ويمرِّضهُ
وإذا كانت أمٌّ منهوكةٌ في الغربِ، ذهب إليها ويحمل حزمَ الأرزِ لها
وإذا كان رجلٌ كاد يموت في الشمالِ، ذهب إليهِ ويقول له : لا تخفْ
وإذا كانوا تشاجروا أو شكوا في الجنوبِ، قال لهم : لا تشاجروا بِسببٍ تافةٍ
عند الجفافِ يدمع وفي الصيف البارد يظلُّ يمشي حائرًا
يدعى ” الحمارَ ” ولا يعجب أحدًا ولا يزعج شخصًا
إنِّي أريد أن أصبحَ رجلاً هكذا