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基礎の「あと付け」

 次女のちゃあが、第一志望の大学に合格しました。気にかけてくださった方、本当にありがとうございます。本人が「絶対ココ!」と決めて頑張ってきた大学なので、合格できて親子共々ホッとしています。

  

 ところで今回、娘の受験を機会に、わたしは外国語学習にも通じる発見をしました。それは「基礎はいつでもやり直せる」という事実です。

娘の体験

 娘は理系。でも少し前まで物理が苦手でした。頑張れば頑張っただけ成果がついてくる数学に対し、物理はやってもやっても成績が伸びませんでした。まるで重たいおもりがついているかのよう。なぜこれだけ頑張っているのに成果がついてこないのだろう? 不思議でなりませんでした。

 その謎が解けたのは、1月も半ばになってから。ある日、ぽろっと娘が言ったのです。「2年生のとき、学校の物理の授業が全くわからなかったんだよね・・・」と。ただ、自分だけでなく周りも理解できていなかったので、物理ってそんなものなのだろうと思って放置していたのだそうです。

 そういえば、当時も「物理が分からない」というセリフを聞いたことがあったなあ、とわたしも思い出しました。そのとき自分が返した返事まで覚えている。「大丈夫。塾に入れば、また塾で一から教えてもらえるよ」。

 ところがこれが甘かった。2年の終わりに途中から塾に入ったとき、すでに基礎事項の説明は終わっていたらしい。そんなわけで、基礎が空白のまま応用と演習の世界に投げ込まれ、そのまま受験シーズンまで来てしまったというわけです。

 そうか、基礎が分かっていない。だからいくらやっても積みあがらなかったんだ・・・。

 センター試験を数日後に控えた1月の中旬にもなって初めて気づいた重大な事実でありました。

 さあこれからどうしよう? センターは諦めるとして、私大入試までもあとひと月しかない。それまでに基礎からやり直し、もう一度応用・演習を経て、物理を完成させる・・・。通常2年がかりで行う作業をたったひと月でできるのだろうか?

 とはいうものの、基礎からやり直す以外に選択肢はない。基礎のないところにいくら応用・演習を重ねても成果が見えてこないことは、ここ数ヶ月、イヤというほど思い知らされていたからです。

 とにかく基礎をやり直す以外に道はない。

 そんなわけで、センター試験を終えるとすぐ、物理の基礎を徹底的に解説してくれる参考書を5冊ほど単元別に買い求め、1月中に読み終えるよう娘に言いました。

 最初に読んだのは入試の要である「力学」。これを読み終えたあと、娘が言ったセリフが傑作でした。

 「なんだ、今までこういうことやってたんだーー!」

 今まで、問題を解きつつ、一体なにをやっているのか、なにをやらされているのか、さっぱり分からなかったのですと。一体何を求めているのか、なぜその公式を使うのかも・・・。

 使う公式さえわかれば、計算はできる。でも、どの公式を使えばよいのかが分からない。だからこれまで「こういう問題はこの公式を使う」というパターンで解いていたのだそうです。でもそのやり方だと、やったことのある問題はできても、ちょっとひねってあるともうお手上げ。しかも闇雲に公式に数値を放り込んでいるだけだから、面白くもなんともない。

 「物理って、実は面白いんだね!」

 これが、基礎を一からやり直したあとの娘の感想です。1冊目で目の覚めるような体験をしたため、2冊目以降は確信を持って読み、予定通り1月中に5冊読み終えることができました。

 とはいえ、丁寧にステップアップしている時間はない。入試開始まであと2週間。なので基礎を終えた途端、途中を全部すっとばし、いきなり私大の過去の入試問題に着手しました。潜在的な力は上がっているに違いないとはいえ、この荒療治。目に見える形で成果が出るかどうか・・・。内心不安でした。

 ところがあら不思議、これが出たんですねえ~! ひと月前はセンター試験ですらろくにできなかったのに、それより格段に難しい私大の過去問が解けた。これには本人も驚いたようです。

 結果、試験本番でも物理が立派な戦力となり、次々と合格を勝ち取ることができました。基礎をやり直したことで、今まで積み上げてきた応用・演習の成果が一気に開花した、そんな感じでした。

 柱は1本より2本のほうがはるかに強い。これまで数学の孤軍奮闘状態だったところに物理という強力な援軍を得て、数学でも落ち着いて本番に臨めるようになったようです。こうして私立入試で次々と白星を挙げ、第一志望の国立大学にも無事合格しました。

この体験から分かること

 娘のこの体験から、わたしが得たものは、

  1. 基礎の大切さ
  2. 基礎は「あと付け」が可能であるという確信

です。

 基礎の大切さに関して異論を挟む人は少ないと思います。でも「基礎のあと付けが可能である」というのは、わたし自身これまで確証が持てずにいたことで、今回はからずも、娘を実験台に初めてその確証が得られました。

 「基礎からやり直す」と聞くと、今まで積み上げた分は一旦ご破算にして、また一から積み上げ直すイメージがあるのではないでしょうか。

 ・・・いや、イメージ以前に、この言葉はまさにそういう意味ですね。「基礎からやり直す」ですから、要するに、基礎から今のレベルまで全部やり直すわけです。

 でも今回分かったのは「基礎だけやり直す」のも有効であるということ。基礎をやり直すことで、これまでの積み上げが生きてくることもある、ということです。

 「基礎のあと付けが可能」というのは、立ち上がった家に、あとから筋交いを入れるようなもの。あとから行う耐震工事のようなもの。学習においてもそれもアリだと分かったのです。

順序が違っても大丈夫

 最初の出だしを間違えるともう取り返しがつかない、と思っている人は多いと思います。そういう宣伝文句で人を震え上がらせる教材の押し売り・学習方法の押し付けも多い。

 第二言語習得論(外国語学習の方法論)には「化石化(fossilization) 」という言葉もあります。間違えて覚えてしまったことが固定化し、矯正の難しい状態になることを指します。

 こうした言葉が独り歩きし「間違えたことを覚えてはいけない」「順序良く、正しいやり方で学ばないと、あとから取り返しがつかなくなる」という強迫観念をお持ちの方も多いのではないでしょうか。

 でも、実際はそんなことはない、と今回分かりました。いつだって基礎はやり直せる。どんなやり方で学習を始めても、本人さえその気なら足りない部分はあとからいくらでも補えると。

 確かに、効率の良い順序というのはあるかもしれない。娘だって最初から基礎が理解できていれば、モア・ベターだったでしょう。

 でも順序が違ったら全部オジャンということはない。順序が前後していたとしても積み上げたものは決して無駄にはならない

 それさえ分かっていれば、これまでの自分のやり方を振り返るのは怖くない。どんなやり方にも利点はある。欠点もある。そして欠点は、これから補えばよいのです。

娘が一年間にこなしたプリント・問題集。
積み上げると1メートル40センチあります

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