最近よく思い出す人がいる。もう10年近く会っていないクラスメート。
同じ女性で年齢も近く、同じ外国語オタク。海外旅行が大好きなところも似ていた。クラスの中で特別仲が良かったわけではない。でもチャンスがあればもっと仲良くなりたい存在だった。
わたしとは全くタイプが違い、何事も丁寧に、真面目に、辛抱強く、きちんと積み上げて行く人だった。今でも覚えているのは、字がとてもきれいだったこと。彼女のノートはまるで砂糖菓子のようにきれいなアラビア文字がきちんと並んでいた。ノートにはけっこう人柄が出る。彼女のノートは彼女そのものだった。
月曜から金曜まで週に5日、毎日4時間の授業の後、7時間の会社勤めをこなす人だった。なのにいつも予習は完璧。遅刻も欠席もしない。どうやって時間をやりくりしているんだか、わたしには皆目見当もつかなかった。
そもそも学業を優先したそんな変則的な勤務をよく認めてもらえたものだと思うが、学校に入ったら辞めるつもりでいたら、勤務先がそういうシフトを提案してくれたのだそうだ。「ラッキーだった」と彼女は言うが、本当にラッキーなのは、有能な人材に辞められずに済んだ会社の方だと思う。
当時はわたしも学業と家事の両立でそれなりに忙しかった。毎日同じ時間に眠り、同じ時間に起きる。一度でも怠け心を起こし生活が乱れたら、そう簡単に立て直すことはできない緊張感があった。読みたい本があっても夜更かしはできない。自分を律し、毎日規則的であることが何よりも大事だった。そんなメトロノームのような生活に疲れてくると、自分よりはるかにタイトな生活を、愚痴も言わず、辛抱強く淡々と送っている彼女の存在が励みになった。
向こうも少しはわたしを気にしてくれていたらしい。あるとき「単語を一度見ただけで覚えちゃうんでしょ?」と言われたことがある。「まさか。んなわけないじゃん」と返答したが、人からはそう見えるのか、と思った。せっかちなわたしは目に見える成果を出すのが早い。彼女は彼女でそういうわたしを評価してくれていたのかもしれない。
わたしは一見社交的。いろんな人と組んで劇や人形劇をやったり会話クラブに参加したり、賑やかな学校生活を送っていた。でもどれも全て人から声がかかったことばかり。誘われれば何でもやるが、自分から人を集めて何かをしようというタイプでは全くない。
一方、彼女は一見リーダータイプには見えない。でもあるとき毎朝の単語レッスンを主催し、同じクラスの仲間だけでなく、口コミで他のクラスからもたくさん人が集まった。それは卒業まで続いた。彼女は声高に自己を主張するタイプではない。でもみんな誰が信頼できるのか、ちゃんと見ている。
彼女、今ごろどうしているかなあ? 今は何語をやっているのかなあ? 当時40数ヶ国だった渡航先はあれからいくつに増えたかなあ?
同じくらいの年齢で、語学オタクで旅行好き。そういうプロフィールに当てはまる人はおそらく他にも大勢いるけれど、彼女はたった一人。かけがえのない彼女の人間性が懐かしい。
アラビア語を学んで一番良かったと思うのは、こういう人と知り合えたこと。普通なら知り合えなかったはずの人々と机を並べ、同じ目標を持って歩めたことが、アラビア語の習得以上に、わたしの何より一番の宝物です。