最近コーヒーにハマっていますが、普段は割とお茶派です。先日コーヒーについて書いたので、今日はお茶について書きます。
お茶の起源
お茶には紅茶・緑茶・中国茶などがありますが、それらはすべて、加工方法が異なるだけで、本来同じものです。一本のお茶の木、一枚のお茶の葉が、加工のしかたによって紅茶にも緑茶にもなります。
お茶の語源は、中国南部・貴州省に住むミャオ族(苗族)が「tsua ta(ツァ・タ)」と呼んでいたことに由来するといわれています。
その音は中国各地に広まるうちに二派に分かれ、福建地方では「tê(テ)」、広東・北京地方では「cha(チャー)」と呼ばれるようになりました。そして「t」と「ch」、この二系統の発音がそのまま踏襲され、世界中に広まったのです。
世界中の「茶葉」を意味する語は、おおよそこの二つの系統に大別されます。
海路で伝わった tê(テ)
英語の「tea(ティー)」は、福建地方で話されていた閩南語(びんなんご)の「tê(テ)」から、オランダ語の「thee(テー)」を経由して伝わったものです。
大航海時代、17世紀初頭に船でこの地の港町アモイ(厦門)を訪れたオランダの東インド会社が茶葉を買い付けたのがそもそもの始まり。海路にて持ち帰られた茶葉は、その名とともに、近隣諸国に広まりました。
フランス語の「thé(テ)」、ドイツ語の「Tee(テ)」、スウェーデン語の「te(テ)」、フィンランド語の「tee(テー)」・・・。これらの西欧・北欧言語も、閩南語―オランダ語経由の「t」を踏襲した同じ仲間です。
南インドやスリランカ、マレー半島などにも、茶葉はヨーロッパ人の活躍により海路で伝わり、t音のついた名前で各地に定着しました。インドネシア語ではお茶のことを「teh(テ)」と呼びます。
陸路で伝わった cha(チャー)
けれども実は17世紀を待たずとも、すでに茶葉は陸路・或いは大陸棚沿いに伝わっていました。
日本へは、9世紀ごろ遣唐使が中国から持ち帰ったのが最初かと言われています。日本ではお茶は「cha(チャ)」。お茶を「cha(チャ)」と呼ぶ地域から持ち帰り、その名を踏襲したのでしょう。
日本のみならず、陸路で16世紀以前に伝わったお茶はchの音で伝わりました。たとえばロシア語では「чай(チャイ)」。更にはるか遠く、トルコ、ギリシャ、東欧へも、この音で伝わりました。そして北部インドへも。ヒンディー語では「चाय(チャイ)」です。
アラビア語ではお茶のことを「شاي (shāy シャーイ)」と呼びますが、これも同じ系統です。アラビア語には「ch」の音がないので「sh」で代用したと考えられます。
呼び名で分かる伝播経路
ユーラシア大陸の白地図に、それぞれの地域で呼ばれているお茶の名を書きいれてみました。茶色はch系統、紺色はt系統の言語です。海沿いに紺色、内陸部に茶色が多いような気がしませんか?
・・・あれれ? ベトナム語は「trà」、フィリピンのタガログ語は「tsaa」なのに、茶色になっています。これは間違いではなく、スペルには t が入っていても、実はどちらも「チャー(チャア)」と読み、音的には ch の系統なのです。
17世紀以降、遠距離の海路で伝わった茶葉はたいてい t の音を持ち、それより古い時代に陸路(近距離の海路を含む)で伝わった茶葉はたいてい ch を持ちます。呼び名で伝来経路と時期がおおよそ推し量れるのです。
とはいえ、例外もあります。ポルトガル語ではお茶を「chá(シャ)」と呼ぶそうですが、これは海路で運ばれました。海路で伝わったのに、なぜ ch の音を持っているかというと、オランダよりも先に別の場所で買い付けたからです。それは広東省のマカオだったとも、日本の平戸だったとも言われています。
英語の「ティー」という言葉の響きには、華やかなりし大航海時代のイメージが内包されています。紺碧の海に映える帆船の白いマスト、喜望峰経由の長い航海中、ときおり襲い来る嵐・・・。英国東インド会社の紅茶パッケージには今も帆船が描かれています。
トルコやインドの「チャイ」と聞くと、ヤクや駱駝を連ねた隊商が、険しい荒野の道なき道を黙々と行く姿が思い浮かびます。どこまでも続く広大な大陸のティーロード。古い時代から脈々と続く東西の文物交流の一端を垣間見る思いがします。
名前に刻まれた、伝播の記憶です。