しばらく前から、こんな本を読んでいます。『Guide Pratique de la Communication』。フランスで出版されたフランス語会話のテキストです。
初心者には読めない入門書
これ、ちょっと不思議な本です。わたしにはちょうど良いのですが、わたし以外に、一体どういう人が読む本なのか、いまいち分からない。
最初のレッスンは「Bonjour Monsieur. Comment allez-vous? (こんにちは。ご機嫌いかが?)」から始まります。初心者向けのテキストです。
ただし、説明もフランス語。これが難しい。だって初っ端からこんな感じ :
On peut demander à quelqu’un de saluer une personne absente. Cela se fait en général si les deux personnes sont de la même famille, ou si elles sont amies.
この説明を理解するのは、ちょっと初心者には無理でしょう。(訳:そこにいない人への挨拶を誰かに頼むこともできます。通常、その二人が同じ家族、或いは友達同士である場合です。)
「分かるところだけ読む」という手もありますが、ちょっと危険。なぜなら簡単なフレーズのあとに「このフレーズは攻撃的な印象を与えるので、なるべく使わないほうがよい」という但し書きがフランス語で書かれていたりするからです。
つまりこの本は「学ぶ内容は初心者向け、でも初心者には読めない」本なのです。一体この本、どういう人向けに書かれたのでしょう??
フランスのフランス語初心者クラス
その謎は、フランス留学中の娘にこの本の話をしたら、あっさり解けました。
「それはきっと、ヨーロッパ人の初心者向けだね」とネネは言うのです。
彼女が言うには、「こっちのフランス語の初心者クラスがまさにそんな感じ」なのですと。
「初心者クラスなので教わる内容は簡単。だけど説明がフランス語なので、日本人の初心者はいま習っているフレーズがどういう意味なのか、先生が今どういう指示を出したのかさっぱり分からない。頭の上にハテナマークをたくさん浮かべたまま、ただただ戸惑っている」のだそう。
「で、フランス語の説明が分かって、先生の指示に従えるような人には、その授業は簡単すぎてつまらない。だから中級クラスに行く」
「じゃあ、その授業は一体どういう層の受講を想定しているクラスなわけ?」と尋ねたところ、これがまさに「ヨーロッパ出身の初心者」なのですと。
ヨーロッパ出身の初心者は、こういう授業でも大丈夫なのだそうです。彼らはフランス語が初めてで、全く喋れなかったとしても、聞いたことの意味は分かるらしい。だから、フランス語で説明されてもなんとなく分かるし、先生の指示にも従えるのですと!
「でも、全く初めての言語なのに、どうして『聞けば分かる』なんてことがあるのかしら?」と尋ねると、
「さあー? でもヨーロッパの言語はどれもまず語彙が似ているし、それに文化が似ているから、雰囲気で分かるんじゃないの?」とのこと。
ところが日本人は、フランス人教師が経験的に「これくらいは言葉が通じなくてもわかるはず」と思うことが分からないから、ハンデがある。ネネによれば「中級以上のクラスはやっている内容と、説明や指示の難しさのギャップが縮まるから矛盾はそんなにないけれど、留学当初、初級クラスの日本人留学生は、授業中みんな涙目になっていて、放課後もやたら暗かった」そうです。
「喋れない」にも二つある
・・・で、この話にはまだ先がある。
初心者が「フランス語が喋れない」のは、日本人もヨーロッパ人も同じ。ところが、同じ「喋れない」でも、日本人の「喋れない」とヨーロッパ人の「喋れない」は、意味が違うのだそうです。
日本人の「喋れない」は、とにかく「喋れない」。一言も声を発することなく押し黙ってしまうのが、日本人の「喋れない」状態。
ヨーロッパ人の「喋れない」は、とりあえず「喋ってはいる」。いや、それどころかベラベラ喋る。ただ全く通じない。それがヨーロッパ人の「喋れない」状態なのだそうです。
彼らは、何語だか分からないけれど、とにかくベラベラ喋る。自信満々に喋る。で、どうやら本人は、フランス語を喋っているつもりらしい。ただ周囲からすると、それは全くフランス語に聞こえないし、何度繰り返してもフランス人にさっぱり通じない。そういう状態なんだそうで・・・。
もう、これには爆笑しました。フランス語ではない。でも話者の母語でもない。ではそれは一体何語なのかと^^;。
たぶんそれは、わたしが関西弁を喋るようなものかもしれません。
関東で生まれ関東で育ったわたしでも、関西弁を聞けば意味はだいたい分かります。それが関西弁であることももちろん分かるし、関西弁の漫才で笑える。
でも「関西弁で喋れ」といわれたら、それは無理。それでも無理して喋ったとしたら、おそらく日本中の方言をごった煮にしたような、関西の人からみたら到底関西弁とは思えないシロモノが出来上がるでありましょう。
初心者ヨーロッパ人の喋る「自称フランス語」も、それに近いものがあるのではないかと。「20カ国語くらい喋れる人は、ヨーロッパにはザラ」なんて話をよく聞きますが、その中にはかなり無謀な自己申告が含まれているのかもしれないなあ、とちょっと思いました。
やり直しにぴったり
まあしかし、そんなわけで「初心者には読めない初心者用テキストの謎」が解けた、というわけです。一口に「外国語を学ぶ」といっても、母語と似た言語を学ぶのと、全く系統の異なる言語を学ぶのとでは、天と地ほども違うのですね。
「フランス語をフランス語で学ぶ」というのは一見理想的なようだけれど、こういうテキストを実際目の前にしてみると、初っ端からこれだったら、かなりきついものがあるだろうなあ、と感じます。
但し、わたしのような「やり直し」にはぴったりなんですよね、こういうの。「やり直し者」というのは「初心者であって、初心者ではない、一種、レベルを超越した存在」(お、カッコイイ!)なので、そういう者にとっては、初歩的な決まり文句も新鮮だし、昔とったなんとやらで、難しい説明もなんとか読めなくもない。全てが糧となりうるのです。しかも、フランス語以外は書かれていないので気が散らず、存分にフランス語の世界に浸れる。
また、フランス語の説明を読んで理解するのは、フランス語の恩恵を享受することであり、「やっててよかった、フランス語!」が実感できるひと時です。だから多少難しくても、大喜びで読んでしまうのですよ、これが(笑)。説明が分からなくても、逆に、表現の羅列から説明の内容を類推することもできますしね。最初はなるべく辞書を引かず、そこに書かれていることだけをヒントに理解するようにしています。