アラブイスラーム学院に週5で通っていたときこと、めっぽう英語のできる人がクラスに一人いました。
高校の英語の先生だそうですが、この英語がすごかった。何でも英語で説明できちゃう。どんなに込み入ったことでも。クリアな発音、明快な論理で、何でも説明しちゃう。後にも先にも、あんなに英語のできる日本人にわたしは出会ったことがありません。卒業後は仕事に復帰したようで、ここ数年会っていませんが、英語というと、彼女のことを思い出します。
とはいえ、この人がすごいのは英語だけではないかもしれない。たぶん頭の回転がめっぽう速く、思考が論理的なのだと思います。ああいう説明を、そもそも普通の人は日本語でもできない。「節分」が何か、外国人に分かるように日本語でよどみなく説明できますか? 「コタツ」はどう? 普通できないでしょう。少なくとも、わたしには無理。
でも彼女は、日本の文物・習慣のみならず、とにかくありとあらゆることを英語で説明してしまう。誰かが遅刻してきた理由、誰かの質問の内容など、クラスを代弁して、何でも英語で言っちゃう。彼女が「エー」とか「アー」とか「ウェ~ル」などと言いよどんでいるところを見たことがない。彼女の説明は常に簡潔・明解。過不足なし。その英語の説明を聞くたびに、「ああ、そういう説明のしかたがあったのか」と驚いてばかりでした。
彼女が英語で何かを説明し始めると、クラスがしーんと静まり、全員が集中して彼女の英語に聞き入るのですが、面白いことに、彼女の言っていることは全員が分かる。英語に超苦手意識を持っている人も含め、みんなが分かる。
なぜってボキャが平易だから。文法もシンプルだから。難しい言葉は使わない。分詞構文とか、そういう込み入った文法も使わない。喋るスピードも、遅くはないが、速すぎもしない。発音もクリア。だからたやすく理解できるのです。
「あんなに簡単な単語だけで、あんなに難しいことが説明できちゃうんだね」と、授業が終わったあと、他のクラスメートたちとよく感心していたものです。
難しい単語を知らなかったわけではないと思います。英検一級を持っていると言っていましたから。でもアラブ人の先生に何かを説明するとき、彼女はわたしが知らないようなボキャはついぞ使っていませんでした。使う必要がなかったんだと思います。だって簡単なボキャだけでも充分説明できるのですから。
第一、難しい単語を使ったら、相手に通じないかもしれないじゃないですか。相手だって英語ネイティブじゃないのだから。
人より優位に立つ英語ではなく、みんなに分かる英語。あれがわたしが目指すべき英語のような気がします。