フランス語多言語

多言語学習20周年

 外国語学習を始めて来月4月で20年を迎えます。今日はわたしの62歳の誕生日でもあるので、この機会に20年の多言語学習を振り返ろうと思います。

なぜ多言語なのか

 多言語学習に目覚めたきっかけは、2005年にフランス語を始めたことです。半ば必要に迫られて始めたのですが、意外にも学ぶ過程が楽しく、ハマってしまいました。その後、フランス語は1年ほどで飽きてしまいましたが、2006年にドイツ語、2008年にアラビア語、2010年にインドネシア語、2012年にスペイン語・・・というように、だいたい2年置きに新しい言語にハマることとなりました。

 なぜ一つの言語を極めず、次々と新しい言語に気を移したかというと、それはわたしが根性なしだったからです。

 言語学習は、最初は簡単で楽しい。真新しいテキストを開くときのワクワク感。見るもの聞くもの、何もかもが新しく、キラキラ輝いて見える。全く何も分からないところから始めるので、フレーズを幾つ覚えただけでも、やけに上達したような気になれる。楽しい楽しい入門時代。

 けれどもテキストはだんだん難しくなってくる。一ページあたりの文字の数が増えてきて、読むのが億劫。最初はサクサク進んだテキストが、一課進むのに何日もかかるようになる。最初は全部覚えられたフレーズも、どんどん長くなってきて覚えきれない。上達が感じられなくてイライラが溜まる。

 そんな時、ふと別の言語を見やると、そこには青々とした手つかずの芝生。新鮮で楽しげで、キラキラ輝いて見える。その楽しさに誘われフラフラと気を移す。その繰り返し。

 そんなわけで、20年経った今、ハマった言語は10を超えました。入門の頃(A1レベル)はハッピー全開、初級(A2レベル)もまだ大丈夫。でも中級の入り口(B1レベル)くらいから雲行きが怪しくなり、楽しさよりもストレスが勝って他の言語に移る、というパターンが定着しています。

 でもそんな20年を後悔しているかといえば、いいえ、全く。だって本当に楽しい20年でしたから。入門、初級という、外国語学習の一番美味しいところをスプーンですくって食べてきたのだから、何の不満もありません。

 おそらく今後も時折新しい言語を加えつつ、死ぬまで楽しく多言語学習を続けていくのだろうなあと思います。

2005年フランスにて。

中途半端でも役に立つ

 多言語と戯れるのは楽しい。とはいえ、最初から割り切れていたわけではありません。

 多言語学習を始めて最初の数年は、一つの言語に腰を落ち着けられないことに後ろめたさを感じていました。それまで学んでいた言語に見切りをつけ、別の言語に気を移すのは、前の言語に対する裏切りのような気がしていました。自分はコウモリなんじゃないか、と思ったりして。

 今から考えると変なんですけれどね。相手は人間じゃないんだから、裏切ろうが何しようが屁とも思わない。でもなんとなく「語学は極めなければならない」みたいな思い込みがあって、多言語学習はあまり大っぴらにはしたくない趣味でした。だからこっそりブログに綴っていたのかも。なんだか中途半端な自分を責められているようで、恥ずかしかった。誰に責められているわけでもないのに自分から「すみません」と謝りたくなるような感覚でした。

 今はそういう気持ちはほとんどありません。「今やりたい言語をやるべき」と完全に開き直ってしまいました。明確な転機があったわけではない気がしますが、いつの間にか「別に極めなくても良くない?」と自然に思えるようになった。

 そう思えるようになった理由はおそらく中途半端な語学力でもけっこう役に立つと知ったからではないかと思います。

 ちょっとでもやっておくと、言語学習って本当に無駄にならないから。

 10数年前のこと。JR藤沢駅で電車を待っていたら、電車から降りてきた金髪の二人連れから外国語で話しかけられました。「すいません、出口はどこですか?」と。明らかに急いでいるのが分かったので、わたしも焦り、咄嗟に階段を指さしながら「登って!」と答えました。藤沢駅の改札はホームの上の階にあるので。

 礼を言うが早いか、バタバタと階段を登っていく二人組。その後ろ姿を見ながら「お役に立てて良かった」と思うと同時に、もうちょっとマシなことが言えなかったかと反省もし、自分の言ったことを反芻していたら気づきました。わたし「Montez!(登って!)」と言ったなあ、と。

 「え、なんでフランス語・・・?」と思って思い出してみたら、先方の質問もフランス語だったことに気づきました。「Où est la sortie?(出口はどこですか?)」と。質問がフランス語だったから、こっちもフランス語で答えたのです。

 おそらく、慌てていたので思わず母語が出てしまったのでしょう。日本国内で、英語ならまだしも、フランス語で話しかけられるなんてことがあるんだー、と驚くと同時に、よく反射的にフランス語で返せたなあと我ながら感心しました。当時フランス語の会話経験は極めて乏しく、しかも最後にフランス語で喋ってから数年は経っていた頃のことでした。そんなフランス語でも人様のお役に立てるのですね。ビックリ。

 そういう経験を繰り返し「別にペラペラじゃなくてもいいや」という開き直りが徐々に形成されたのだと思います。

なぜ外国語を学ぶのか

 言語学習を始めて最初の10年くらいは自分がなぜ外国語を学んでいるのかもわかりませんでした。だから「なぜ外国語を学ぶのか」と人から尋ねられてもうまく答えられませんでした。この質問は多くの場合「理由」ではなく「目的」を尋ねているのだと思います。「何のために外国語を学ぶのか」「学んだ外国語を使って何をしたいのか」を訊いている。

 最初の10年ほど、わたしには特に目的など何もなく、ただ学ぶことが楽しいから続けていました。だから学習の目的を問われると本当に困り、何も目的がないことにコンプレックスを感じていました。

 13年前オンラインレッスンを始めてから外国語で会話することの楽しさに気づき、これこそがわたしの外国語学習の目的と言えるのでは?と思うようになりました。わたしは外国語で人と会話したい。そのために外国語を学んでいるのだ、と。

 たぶん、これも人が求めている答えとは違うと思います。「なぜ外国語を学ぶのか」と言う問いは「学んだ外国語を使ってどんな社会貢献をしたいか」という意味のような気がするのです。社会貢献をしないことにはどうにも肩身が狭い。

 だからちょっと通訳案内士の資格を取得してもみたのですが、通訳ガイドとして活躍しようという気にはなれませんでした。東京オリンピックのときも、多くの知り合いが語学ボランティアに応募していたので、わたしもちょっと考えましたが、結局応募しませんでした。先に書いた藤沢駅でのエピソードのように、たまたまお役に立てたら嬉しいけれど、自ら進んで外国語を役立てたいという積極性はどうもわたしにはないようです。なのでもう諦めました。「外国語で人と会話したい」、それが目的ってことでいいかなー、と。

 わたしの場合、目的の達成に向けて頑張ったのではなく、目的を達成してから「これが目的だったらしい」と気づいたので、あまり目的っぽくありませんが、まあいいかな、と思っています。

オンラインレッスンと知り合って

 前述の通り、オンラインレッスンを始めて以来、わたしの言語学習は一変しました。会話の楽しさを知ったのみならず、ほかにも様々な変化がありました。

毎日が晴れ舞台

 オンラインレッスンの一番の魅力は「語学力を養う場であると同時に成果を披露する場でもある」ことだと思っています。

 オンラインレッスンがなかった頃、わたしは上達の遅さに苛立ち「もっと効果的な学習方法はないか」と探してばかりいました。ひょっとすると学習している時間よりも学習法を探している時間のほうが長かったかもしれない。効率の良い学習法を探すヒマがあったら、単語の一つでも覚えたほうが早いのですが、なんせ根性なしなので、ちょっとでもラクをしたい一心で「もっと楽な方法」と探し回っていました。

 従来の外国語学習で成果を実感する場といえば検定試験くらいしかありませんでしたから、何カ月も地味に学習を続け、ここ一番の晴れ舞台、検定試験に合格して喜んだのもつかの間、また地味な下積み生活に戻る。その繰り返しに飽き飽きしていました。

 でもオンラインレッスンは毎日が晴れ舞台。会話できる喜びを嚙み締めつつ、更に進歩を目指せる。学習の過程と成果の披露が同時進行。だから飽きない。特に辛抱のないわたしのようなタイプにはぴったりなのです。

ヤル気に依存しない

 わたしが契約しているDMM英会話のプランは毎日一回25分のレッスンが受けられるタイプです。今日のレッスンを明日に持ち越すことはできず、レッスンを受けても受けなくても月謝の額は変わらないので、ケチなわたしは旅行や病気など特別な理由がない限り、毎日欠かさずレッスンを受けています。

 学習意欲があろうがなかろうがレッスンは毎日必ず受けると決めているのです。

 オンラインレッスンを受ける前は、一日何時間も毎日学習し続けることがありました。一体何に焦っていたのだか、やってもやっても足りない気がしていた。

 そうかと思うと、一旦やる気が切れたら最後、何週間も放置。一日10分でもいいから語学に触れなきゃと思いつつ、ちょっとのやる気も起こすことはできなかった。

 思えば当時は「ヤル気」に依存していました。やる気が起きればガーッとやるし、起きなければ何週間でも放置。計画なんて立てるだけ無駄。「どうしたらヤル気が出るのだろう」「どうしたら意欲が保てるか」ばかり考えていました。

 でもオンラインレッスンを始めてから「ヤル気」に依存しなくなりました。

 やる気があろうがなかろうが、どのみち毎日25分のレッスンは受けるので、最低限の学習は毎日保たれる。ヤル気があれば、他にもいろいろやるわけですが、それはあくまで任意。やってもやらなくても良い、やりたきゃやればいいという程度なので「もっとやらなきゃ」「ヤル気を出さなきゃ」と焦る必要はない。自分のモチベーションに左右されないのは、気分的にとても楽です。

 尤も、「やる気を出さなきゃ」と思う必要がなくなったら逆に「やる気を出す方法」が分かったのですけれどね。

 わたしの「やる気を出す方法」、それは「始める」ことです。終わらせなくてもいい、継続しなくてもいいから、とりあえず「始める」。

 たとえばテキストを開いてみる。

 テキストを開いても読む気が起きなかったら、読まずにテキストを閉じていい。

 でもテキストを開くと、意外と高確率で一文くらいは読もうという気になるのです。で、一文読むと、もう一文、と思えてくる。そうなると「やる気」の着火に成功したと思って良い。

 たぶん「ヤル気」ってそんなにすごいエネルギーである必要はないのです。わたしは何かをやらないとずっとダラダラやらない。でも逆に何かをやりはじめるとずっとダラダラやり続けるクセがあるので、「やらない惰性」を断ち切って「やる惰性」に変えてやる。するとそれが「ヤル気が起きた」ってことになるのかな、と思っています。

孤立しない

 わたしが在籍するDMM英会話には常時100か国以上の講師が在籍していて、日本の我が家にいながらにして世界の様々な話を聞くことができます。こんなことは20年前にはありえなかったこと。本当に贅沢な環境だと感謝しています。

 中でも、しみじみ有難いと思ったのは2020年、コロナウィルスで世界中がロックダウンした年です。国に閉じこもるしかなかったあの時期、オンラインレッスンを通して世界と繋がり続けられたことには本当に感謝しています。

 孤立しても仕方がないような状況の中、わたしはむしろ人々との結びつきが強まったように感じました。通常なら関心のある事柄は人それぞれですが、あの頃は、世界中の人々の関心が例外なく一点に集中するという極めて稀な状況で、連帯感のようなものを感じました。もう毎回、レッスンの回線が繋がった途端、どちらからともなく「ウィルスの状況はどう?」「そっちは?」という話になる。半年か一年くらいの間、会話のトピックはコロナウィルス・オンリー。世界中の先生とひたすら毎日コロナウィルスの蔓延状況、ロックダウン状況の情報交換をしていました。

 ニュースで流れる情報は米国や英国など大国の状況に偏っていましたが、オンラインレッスンには中東や旧ソやアジアやアフリカ、中南米など、日本ではあまり馴染みのない国の先生が大勢いて、世界中の様子が分かりました。市井の人間が、報道を介することなく世界中の情報を手にしていたのです。

 また、パンデミックを境に、先進国・発展途上国間の垣根が取り払われたような気がしています。それまではなんとなく先進国に引け目を感じ、時には卑屈に見えた発展途上国出身の先生方が、コロナをきっかけに急に対等になった、そんな感じがしました。

 もしかしたらそれまで発展途上国の人々の目には、日本のような先進国は全てがうまく回り、どんな問題でも解決できる優等生に見えていたのかもしれません。でも世界中が同時に大問題に直面した時、先進国にもなすすべはなく、むしろ高齢化が進んでいるがゆえに先進国のほうが悲惨な状況だった。それを目の当たりにし、対等な意識が芽生えたのかもしれません。

 そのわたしの肌感が客観的に正しいかどうかはさておき、そうしたことが日本の我が家にいながらにして感じられるって、すごいことだなと思います。

ブログも20周年

 こうしてこの20年を振り返ってみると、特に最初の頃は様々なストレスを抱えていたなあと思い出します。一つの言語に腰を落ち着けられないことがコンプレックスだったし、目的がないこともコンプレックスでした。やる気が出ないと悩んでいたし、学習法に関しても迷走していました。

 このブログはそんなわたしの思いや悩みを吐き出す場でした。このブログも2005年の4月に始め、あと半月で20周年を迎えます。日常のあれこれを綴るブログとして始めましたが、ブログを始めてすぐフランス語にハマり、結果的に多言語学習の記録の場となりました。

 この記事を書くにあたって過去のブログを読み返してみると、最近のブログよりも昔のブログのほうがずっと面白いなと思います。当時はあちこち迷走し、いろんな学習法を試してはブログに綴っていました。様々な発見に喜んだり、見えない成果に落ち込んだり、気分の浮き沈みも激しかった。当時すでに40代でしたが、今から思うと若かったなあ、と思います。

 今はすっかり落ち着いてしまい、言語は違えど、淡々と同じことを繰り返すのみ。学習法がすっかり確立してしまったので、新しい言語を始めても何も迷わない。気持ちの浮き沈みもない。だからブログに書くことも大してなく、毎度同じようなことしか書いていない。

 そんなつまらないブログを読みに来てくださる皆さま、いつも本当にありがとうございます。

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