2003年5月17日 車社会の憂鬱

うさぎんちには車がありません。
きりんは独身時代には車を持っていましたが、結婚して今のマンションに入居したとき 駐車場の抽選に外れてしまい、数年後、それがきっかけで手放しました。

それ以来10数年、車をもたない生活をしているわけですが、 特に不満はありません。
だってうさぎ、車酔いがひどいんだもん。
車の維持費って高すぎると思うんだもん。
それにきりんって、まだ車を持ってたときだって、4キロ先のダイエーでさえ、 「道路が混むから嫌だ」とか言って、一度も連れて行ってくれなかったんだもん。

それにもう一つ、車を持たない理由があります。
車を持つと、車による"見栄の張り合い"に巻き込まれそうな気がしてなんだか怖い。 車にプライドをかけている人は多いし、 誰がどんな車に乗っているかにやたらと詳しい人も多い。 そういう雑音の多い世の中にあって「うちは安い車でいいわ」って思っていられる 自信がいまいちないから。

――でもどうして、みんなそんなに車の車種にこだわるのかな?

その答えの一端が、昨日見えたような気がしました。
ボルボが愛車の友達がきのう言ってたから。
「車同士でどちらかが避けなくちゃならないときってあるじゃない? そういう時、ボルボに乗ってると、必ず相手の方が道を開けてくれるの」って。 「事故防止にもなるし、ま、気分もいいわよねえ」

車社会に疎いうさぎは言いました。
「へええ、どうしてかな?
もしかしてひょっとして、"ヤーさんが乗ってるかも"って思われてたりしない?」

でも、家に帰ってきてきりんにこの話をしたら、 「いや、必ずしもそういうことじゃないな」ですと。
「外車をかすりでもしたら、修理代がいくら請求されるかと思ったら、 恐ろしくてつい避けちゃうよね。 それに、やっぱり高い車に乗ってる人は金持ちである可能性が高いわけで、 もし相手が海千山千の会社の社長なんかだったりしたら、 そういう人と渡り合うのはやだな、っていう意識が自然と働くよね。 やっぱり金を持ってる人というのはなにかと立場が強いから」

ははあ、なるほど。
だけどうさぎはいやだな。 対等であるべき立場が、乗ってる車の値段によって対等じゃなくなるなんて。

でもそれを聞いて、みんなが高い車に乗りたがるわけが分かりました。 うさぎにしてみれば、「車なんて動きゃいいじゃん!」って感じですが、 どうしてみんなが「いつかはクラウン」などと言って 高額のローンを組んでまで高い車を欲しがるのか。

高くても外車、燃費が悪くても外車、って思うのは、 ボディが堅牢な分、安全性が高いからなのかな、 うさぎには違いが分からなくても、きっとエンジンの音とか、馬力とか、 クラッチの具合とか、そういう仕様がいいのかな、って思っていたけれど、 それとはまた違った理由があったのですね。

そういえば、以前、ベンツを愛用している別の友達も言ってましたっけ。
「車でホテルに乗り付けるでしょ、そうするとドアマンの対応が他の車とは明らかに違う。 どうしてだと思う? それは車がベンツだからなのよ」
だから、一度ベンツに乗ってしまったら、国産の車なんぞには乗り換えられない、 とその友達は言います。

う〜ん、なんか悲しい社会だなあ、とうさぎは思いました。
たかだか400〜500万円の車で、 計り知れない価値を秘めている人間がランク付けされてしまうなんて。

そして、窮屈な社会だなあ、とも思いました。
その時々の家計方針によって、車のグレードアップもあれば グレードダウンもあっていいはず。 なのに、そういう選択肢を手放さなくてはならないなんて。

うさぎはそういう呪縛から逃れたい。序列化されるなんてまっぴらゴメン。 だから、車を持っていなくてよかったな、と思いました。
だって車と歩行者、立場の強さなんて比べられないもん。
どんなに高い車だって、歩行者をひき殺せば罪になるもん。

ホントはね、駐車場の抽選に外れたとき、 "うさぎってなんて運が悪いんだろう"、って思ったの。 だって7割程度の人が通る抽選だったんですもの。 どうしてわざわざ少数派の落選組に入るかなあ、って思いました。

でも今考えれば、 車社会のヒエラルヒーに取り込まれることなく、 心穏やかに日々を過ごせる自由を手放さずに済んだ。 これはこれでラッキーだったのかも〜?
――そう思いました。