2003年5月19日 HOME、MY SWEET HOME(その1) 発端

きりんとうさぎがマンションを購入したのは、1987年のこと。 まだ二人が結婚する前でした。

きりんとうさぎは当時コンピュータメーカーに勤めていて、 (そうです、社内結婚です^^;) いつもは小さな事業所に勤務しているのですが、 ときどき大きな工場に出張しました。

1万人の従業員を擁する大きな工場は、さながら一つの街でした。
大きな大きな食堂があり、その近くには雑貨屋や本屋、食料品店があり、 お昼時には道にネクタイ売りの露天が出たりします。
病院、屋内プール、体育館、図書室。
正門前には大木が木陰を作り、よく手入れされた芝生で寝ている人もいます。
電算室では何十台という印刷端末がものすごい勢いでリスト用紙を吐き出しています。
汎用大型コンピュータが置いてあるエリアはいつも涼しくて、 冷却装置がゴウゴウ唸り声を上げています。
ちょっと奥へ迷い込むと、液体窒素が大きなボンベから噴き出しています。
面白いものがいっぱいあって、うさぎはこの工場が大好きでした。

一週間後にきりんとの結納を控えたある日のこと。 うさぎが工場に出張になりました。
そしてお昼どきの食堂でなにげなく掲示板を見ていたら、 不動産広告が目に入りました。

それはマンションの広告でした。横浜の郊外にある3DKの新築マンション。 値段がばかに安く、一瞬目を疑いました。

1987年と言えばすでにバブルが始まっていて、買うも地獄、借りるも地獄、 公団は高倍率で滅多に当たらず、社宅は5年の順番待ち、といった状況でした。
結納の日が近づくにつれ「結婚したらどこに住もうか」という話も自然と出てはいましたが、 マンションを買おうとまでは考えていませんでした。 趣味で不動産広告はよく見ていたから、なんとなく相場は知っていたけれど、 買えるマンションがあるとも思っていませんでした。

でも。工場の大食堂にかかっていたその広告を見た瞬間、 「これなら買えるかもしれない!」とうさぎは思ったの。 結婚したらうさぎは勤めを辞めようと思っていたし、20代半ばのきりんは安月給。 それでも「買えるかも!」と思わせる価格だったのです。

うさぎは食堂に置いてあったチラシを一部取り、早速持ってかえりました。 そして、その日のうちにすぐきりんに見せました。 それから「とりあえず問い合わせるだけでも」と思い、 チラシに書いてあった建設会社に電話をかけました。

ところが。
「そのマンションでしたら、抽選会も終わり、完売いたしておりますが」という答えが‥。

ガーン!
バカヤロー! どうして買えない住宅のチラシなんか置いとくんだよー!

誰とも分からない人を相手にそう罵倒しつつ、その日を終えました。

でも翌日、どうしても諦め切れなくて、会社の不動産部に問い合わせてみました。
そしたら。 「実はキャンセル住戸を三軒ほど、まかされているんですよ。 2軒は売れましたが、あと1軒のこっていますから、不動産部まで見にいらしてください」 という返事が帰ってきました。

そこでうさぎは大発奮!
すぐに出張事由をひねり出し、勇んで工場へと赴きました。

けれど不動産部の人は、気のなさそうな顔でうさぎを出迎えました。
「この物件ねえ、価格は手ごろなのに、なぜか社内での人気がいまひとつなんですよ。 この工場から通うにはちょっと遠いからですかねえ。 おかげで2週間前から食堂に広告を貼ってあるけど、いまいち問い合わせが少なくって」

ところが。 うさぎが横浜事業所勤務であること、 来年に結婚を控えていることを伝えると、その人は突然身を乗り出して目を輝かせ、 アッという間に資金計画を練り上げました。 こっちの貯金額を聞きもしないうちに。

出来上がった資金計画は次のようなものでした。

自己資金:
ご主人方のご両親から贈与‥300万円
奥様方のご両親から贈与‥300万円
融資:
住宅金融公庫融資
厚生年金住宅融資

「完璧!」といわんばかりの顔をして、その人はにんまり笑いました。
「あとはご両親を説得するだけです」

なんて他力本願な資金計画なんだ!
世の中ってそんなもん?

と、内心、うさぎは思いましたね。