入居を待つまでの楽しい一年間、
ただ一つだけ、きりんとうさぎが心配してものがありました。
"金利の変動"です。
融資を受ける前に、金利が上がってしまったらどうしよう――。
その一点だけが心配の種でした。
当時、1980年代後半は、日本経済が大きなジレンマをつきつけられた時期でした。
85年のプラザ合意以降、日本円の対ドルレートは、一年で240円台から150円台まで急上昇。
これには輸出産業が大打撃を受け、いわゆる「円高不況」が始まりました。
うさぎの勤めていた会社も典型的な輸出産業であったため、辛酸を舐めました。
この円高を受け、日銀は金融緩和に踏み切り、
87年、公定歩合を戦後の最低値にまで引き下げました。
けれど同じころ、日本は同時に「バブル景気」への道を着々と歩み始めていました。
すでに不動産価格はうなぎのぼり。
87年に入ると、不動産業界、そして円高の追い風を受けた輸入商社の好景気ぶりから、
株価が最高値を更新し始めました。
景気が上がれば、日銀が金融を引き締めにかかるのが道理。
日銀がいつ公定歩合を引き上げるか、新聞は連日その話題でもちきりでした。
日銀が公定歩合を引き上げれば、財投金利がそれに連動して上がり、 財投金利が上がれば、それを原資とする住宅金融公庫の金利もまた上がる。 公庫から1000万円以上の融資をこれから受けようとしているうさぎたちにとって、 それゆえ公定歩合の引き上げは大きな関心事でした。 小さな変動ならまだいいけれど、こうも株価が上昇しているのです。 大方の予想は、1パーセントくらいは一気に上がるだろう、というものでした。
うさぎたちの心配は、同じマンションを買った誰もが感じていたに違いありません。 しばらくすると、建設会社から、一通の案内が届きました。
「お問い合わせが非常に多いので、ご案内申し上げます。
公庫の金利がこの先もし上がりましても、本物件の融資に関しましては、
すでに史上最低金利の4.2%が適用されることが決定しております。
ご安心ください」
といった内容でした。
きりんとうさぎはこれを読んで、心底ホッっとしました。
そして、「史上最低金利」という幸運を掴んだことに、これまた大喜びしたものです。
現在の金利から考えると、4.2%という金利はずいぶん高いように思えるかもしれませんが、 物価上昇率の高かった当時の金利としては、それは破格の低金利でした。 ちょっとした金融商品に投資すれば、すぐにこれ以上の金利が稼げた時代だったのです。 仮に住宅資金が足りていたとしても、とりあえず借りておいてソンはない金利でした。
ちなみに。きりんとうさぎの心配をよそに、そして大方のエコノミストの予想に反し、 日銀は結局1989年の5月に到るまで、結局公定歩合の引き上げを行いませんでした。 すでにバブルが始まっていたにもかかわらず。 日銀は、不動産投資の過熱や株価の上昇には目を瞑り、 円高政策に重点を置き続けたのです。
これは、あとから見れば失策以外の何物でもありませんでした。 この長期に渡る低すぎる金利誘導が、不動産投資を更に過熱させ、 ひいてはその反動である不良債権問題の遠因となり、 その後の日本経済を狂わせたのでした。