2003年7月17日 ブルネイ旅行記(その8)

なんと物好きな方がいらっしゃるもので、 作りかけのバリのページのURLにあたりをつけて アドレス欄に打ち込み、探し当ててしまった方が、何人かおられます。

だあれ? そゆことするのは〜っ!
掲示板 で白状しなさいッ!

‥なんてね。うさぎも人のことは言えませんが。
他所のページにリンク切れがあったりなんかすると、 同じことをやってみてたりなんかして(照)。

でもってその相手がたまたまプロテクトの堅いサイトだったりすると、

「ハッカーは即刻立ち去れ!」

なんて叱られちゃったりなんかして‥(汗)。

◆◆◆

【 ブルネイ旅行記8 王宮参賀 】

部屋で出かける準備を整えてロビーへ戻ると、ちょうど古屋さんもやってきたところだった。
彼は、ネネとチャアのゆかた姿を目にすると、みるみるうちに顔をほころばせた。

あら、なーんだ、ちゃんと笑えるんじゃないの。
笑った顔の方がずっと素敵。

さっきは気難しい顔の哲学青年だった古屋さんは、 これを機会に‥なのかどうか、弁舌爽やかな快活ガイドに変身した。

◆◆◆

ブルネイの王宮は、かのバチカンをも凌ぎ、世界最大であるという。 長さ525メートル、幅228メートル、部屋数1788室。 それを守るのは、1000人の屈強なグルカ兵たち。

「グルカ兵」とはその昔、 その比類なき勇猛果敢さと忠誠心を買われ、大英帝国の守りとして要衝に配備された ネパール人の傭兵たちのことである。 この呼称をガイドブックで見たときには、 「この21世紀にあって、まだそう呼ばれる人々がいたのか!」と驚き、 歴史の教科書の中に迷い込んだような気分になったものだ。

だから、王宮に到着すると、うさぎはまずグルカ兵の姿を探した。 うさぎの想像では、彼らは迷彩色の軍服を身に纏い、弾薬を両肩にかけ、銃を構えたまま、 周囲に鋭い視線を放っているはずであった。

ところが実際には、そんなモノモノしい兵隊さんたちの姿はどこにもなかった。 歴史の教科書というより、ディズニーランドの正門付近に限りなく近いその雰囲気に、 うさぎはちょっと拍子抜け。 ディズニーランドと違っているのは、人々の容姿と服装で、 褐色の肌と大きな瞳を持った人々が、色とりどりのヴェールと華やかな色の民族衣装に 身を包み、夏祭りの縁日さながらに、ワイワイとはしゃいでいる。

門から宮殿までは緩やかな坂。 正門付近からは宮殿が見えなかったし、シャトルバスも出ていたので、 これはちょっと距離があるかなとは思ったが、歩いて登ることにした。 幸い今日は花曇り。赤道直下の昼間とあって、気温は高いが、日差しはさほど強くない。

歩いて登る人は少なくなく、色とりどりのスカーフが一緒に坂を登っていった。 マレーの民族衣装はどれもとても色鮮やか。 女性は腰までかくれるくらいの長さの上着と、くるぶしまである長いスカートを履いている。 たいていそれらは共布でできており、華やかな柄ものの柔らかな生地で作られている。 頭には、スカーフを被り、ラインストーンのついたブローチやピンで髪に留めつけている。

どこの国にも、おしゃれな人とそうでない人がいるもので、 この華やかな民族衣装の一群にも、どことなくやぼったい人もいれば、 頭の先から足の爪の先まで計算しつくされたお洒落を楽しんでいる人もいた。
最も感心したのは、 可憐な花をちりばめたクリーム色の正絹の縫い目に金糸入りの紺のブレードを施し、 手刺繍の入った同じ色のスカーフを、凝った細工のピンで留めつけていた人。 どちらかというとお年を召した方の方がオシャレで、 しなの良いものを着ているような気がしたのはたまたまだろうか。

一方、男性の方も女性同様、ゆったりとした上着と共布のズボンを履き、 腰にどんすを巻いていた。 柄はないものの、男性の服も色鮮やかで、 初老の男性がきれいな薄ピンクや鮮やかなオレンジを着ていたりする。 みな一様に、黒いビロードでつくった楕円形の帽子を頭の上に乗せている。 エンパイアのドアマンが被っていたのと同じタイプの帽子である。
働き盛りの男性はシャツに普通のズボンといったいでたちの人も多いが、 老人と子供はおしなべてマレーの民族衣装姿で、 異邦人であるうさぎたちの目を楽しませてくれた。

また、こちらがマレーの民族衣装を珍しがれば、 向こうは日本の着物が珍らしいらしく、 周りの人はゆかた姿のネネやチャアをチラチラ見ていった。 小さな子供は無遠慮に後ろを振り返ってしげしげと見る。 ある一群の若者の一人は「アリガト!」と声を掛けてきた。 おそらく彼の知っている唯一の日本語なのだろう。

10分ほど歩いただろうか。宮殿にようやくたどりついた。 宮殿の建物は、お城のようでもなく、モスクのようでもなく、 なんとなく公民館のようだった。 エンパイアのような華やかさや豪華さはない。 大きいけれど、さして装飾のない、ごく普通の建物だ。

王宮の入り口には、民族衣装で正装した十数人ほどの受付の男性がずらりと並んでいた。 けれど、そこに立ち寄る人はあまりおらず、 うさぎたちを含めた大半の人々は、名前を記帳するでもなく、建物の中へと入っていった。
男女別の入り口には空港で見るのと同じセキュリティチェックの枠が設けられ、 係員が一人一人チェックしていた。 まあ当然よね。見知らぬ客を王宮に招きいれるのだから。

別なのは入り口だけで、中はまた男女一緒だった。 明るい外から来たせいだろうか、建物の中は薄暗く感じられる。
ビュッフェコーナーのアーチをくぐると、 屋台のようにブースが10ほど並んでおり、それぞれに別の料理が置いてあった。 入り口で大きな皿を各自もらい、それを持って通路を進むと、 各ブースごとにいる係りの人が皿に料理を取り分けてくれた。 長粒米の米飯や、野菜や肉の煮物、スパゲッティやコロッケのような洋風料理など。 比較的庶民的な感じのする料理。 それを、これまた庶民的な雰囲気の係員が装ってくれる。 黙っているとたくさん盛られてしまい、大きな皿はたちまち料理で埋まってしまった。 最後の方は、「少しでいいです」と言ってまわったものの、 それでも皿は山盛りてんこ盛り。 料理の上にまた別の料理を載せられてしまい、 何がなにやら分からないぐちゃぐちゃ状態になってしまった。

ビュッフェコーナーを抜け、ものすごい人の数でガヤガヤしている大広間に出ると、 フォークとスプーン、それに紙ナプキンが置いてあった。
が、これがまたすごい。 おびただしい数のカトラリーが、濡れたまま無造作に容器に投げ込まれているのだ。 あっけにとられていると、係りの人が、
「そこのナプキンで自分で拭いて持っていって」と言った。 周りの人の様子を伺っていると、なるほど、皆そうしている。 それでうさぎたちも紙ナプキンで自分たちの分を拭き始めた。

大広間は、色とりどりの民族衣装を着たお客と 食事の終わった皿をかたずける係員とで、混み合っていた。 注意して歩かないことには、人にぶつかって皿を落としてしまいそう。
フロアのところどころに大きな丸テーブルがあり、そこに皿を置いての立食形式なのだが、 子ども連れの人々は、隅の方の地べたに座り込んで食べている。

脇の方に少しばかりベンチが置いてあったので、 うさぎたちはそこに座って食べることにした。
人の話すガヤガヤ声だけでも充分賑やかなのに、 中庭に設えられたばかでかいBosseのスピーカーが大音響でロックをがなりたてている。 まるでバーゲン初日のような賑やかさである。

中庭の周りにはでっかい扇風機がずらりと並べられ、 屋内に向かって風を送ってくれている。
中庭の向こう側を見やれば、そこにもものすごい数の人たちがいて、 びっしりと並んだ椅子にこしかけていた。 どうやら、王族謁見の順番を待つ人たちらしい。 食事が終わったら、うさぎたちもあの椅子に座って順番を待つことになるのだろう。

さて、ビュッフェでもらってきた料理は、マレー料理にしては辛いものが少なかった。 皿の上で料理が混ざって見た目はあまり良くないけれど、味は悪くない。 とは言うものの、エスニックの苦手な子どもたちときりんは、ほとんど口をつけなかった。 唯一喜んで食べたのが、デザート用の小さなケーキ。 ネネ曰く、「これは日本のと変わらなくて美味しい!」なのですと。

軽く食事を終えると、中庭のまわりをぐるりと回って、 王族謁見の列に加わることにした。
中庭周りには、制服を着用した丸腰の誘導係員さんたちなら大勢たけれど、 ここにもグルカ兵らしき人の姿は見当たらず、 うさぎはそれが却って不気味に感じられた。 だって、もしうさぎがテロリストだったら、こんなチャンスを逃すはずはないもの。 きっとどこかでなりをひそめながら、不穏な動きがないかどうか、 一人一人のお客をチェックしている兵士がいるに違いない。 ちょっとでも怪しい動作をしようものなら、突然スナイパーで狙い撃ちされたりして。 ハハ‥、ちょっと考えすぎ?

ぎっしりと椅子が並べられた広い待合室の入り口には険しい顔の男性が立っていて、 「カメラ・ビデオをバッグにしまいなさい」と威厳をもって命じた。 このお方はちょいとばかり他の人とは格が違いそう。 宮内庁のお役人さんといったところだろうか。
うさぎたちは彼に従い、おとなしくカメラ・ビデオをバッグにしまった。

さてここからは、撮影禁止となったばかりでなく、男女も別になった。 男性は王様をはじめとする男性の王族、 女性は2人の王妃さまをはじめとする女性の王族にしか会えないことになっているのだ。 なので古屋さんときりんは男性、あとの3人は女性の列に加わった。

王宮の門をくぐりぬけたときから なんとなく男性より女性の方が多いような気がしていたが、 整然と並べられた椅子に腰かけてみると、女性は男性の少なくとも倍はいることが分かった。 うさぎたちは1列が100席くらいある列の5列目くらいに座ったけれど、 ロープで隔てられた向こう側の男性用待合い椅子は、 2列目までしか埋まっていない。

30分くらい座って待っただろうか。 少しづつつ椅子の位置がずれてきて、ようやく待合いフロアから出ることができた。 古屋さんときりんはもうとっくにここから出て行ってしまっている。

だけど、「もうすぐ王妃さまに会える!」と期待したのもつかの間、 大変なのはここからだった。 真ん中に渡したロープで男子と女子に分けられた長い渡り廊下の ロープの向こう側の男子の列はどんどん前へと進むのに、 こちら側の女子の列はなかなか進まない。 狭いところにおびただしい数の女がひしめきあい、 おしくらまんじゅうしながらほんのちょっとづつ前へとずれていく感じだ。

しかも、うかうかしていると、後ろの人に追い越されてしまう。 並ぶ以外他に何もすることのないこの状態で皆が考えていることといえば、 スキあらば少しでも前へ前へと進もうということだけ。 ふと気づくと、さっきまでうさぎたちの後ろにいたはずの人が横にきて、 あれよあれよという間にずいぶん前の方へと進んでしまっていた。
通路の両側からは行儀良く並んだ扇風機が風を吹き付けてくれるけれど、 赤道直下の気温と、この人いきれの暑さはそんなものでは収まらない。 うさぎたち3人は、慣れない暑さで頭がボ〜ッっとしてしまい、 どうしても遅れをとってしまう。 汗で額に髪がはりついているチャアはすでにグロッキー状態。機嫌は最悪。

少しでも前へ進もうと、目をらんらんと輝かせ、 他人のスキを狙っている肝っ玉かあさんたちに手を引かれてついてゆく小さな女の子たちは みなネネとチャアのゆかたが気になる様子。 母親たちは、ネネたちのゆかたを振り返ってばかりの娘たちを叱り飛ばしながら、 我がちに前へ前へと突き進んでいった。

あるとき、視線を感じて後ろを振り返ると、 小さな姉妹がやはり、ネネとチャアのゆかたをしげしげと眺めていた。 その様子が可愛らしかったものだから、うさぎは英語で話し掛けた。
「これ、ユカタっていうの。夏のキモノなのよ」と言うと、 上品な雰囲気の母親が、「日本からいらしたの?」と尋ねた。
「ええそうです。あなたはブルネイの方ですか?」と尋ね返すと、そうだと言う。

小さな娘たちが可愛かったので、ツルでも折って渡そうと思い、 千代紙をバッグから取り出し、チャアと一緒に折った。 けれど、モタモタとそんなことをしながらふと気付いたら、 この母娘たちもいつの間にやらうさぎたちを追い越し、 ツルを渡せないほどはるか遠くへと進んで行ってしまっていた。

ようやく長い渡り廊下から、別の建物の中に入り、床に敷かれた毛氈の上を歩いた。 人で埋め尽くされた回廊から、左右に広いスペースの空いた場所に出たことで、 ようやく暑さは和らぎ、雰囲気もなんとなく王宮らしい荘厳さに変わってきた。 映画ならば家臣が頭を垂れているはずの毛氈の両脇には、 エンジ色した東芝の家庭用扇風機が何十台も型を揃えて折り目正しく並び、 風を送ることで、お客たちに歓迎の意を示していた。

回廊を進み始めてから小1時間経った頃、 ようやく王族方のおわす謁見の間の扉が見えてきた。 4〜5メートルはあろうかという重厚な扉。あの向こうに王妃さま方はおいでなのだ。

ここまでくると、列の進み方は今まで以上に遅くなり、 部屋まであとほんの10メートルだというのに、だいぶ待つことになった。 列の脇には黄色いプラスチックの箱が山と積まれ、 謁見を終えて部屋から出てきた人たちに一つ一つ手渡されていた。 どうやらお土産らしい。 おみやげ配布所の脇には、 古屋さんときりんがすでにきいろいお土産のつづらを手にして、うさぎたちを待っている。

男性陣をお待たせして申し訳ないと思いつつ、なかなか進まない列にイライラしていると、 突然、列の後ろの方から数人の女性たちが、 毛氈の上に作った列からバラバラと走り出た。

一体何事?!

と思いつつその行動を見守ると、彼女たちはおみやげコーナーへ直行。 どうやら王族謁見を諦め、ちゃっかりおみやげだけもらって帰ろうという魂胆らしい。 動かない列に痺れを切らしていた他の人たちも、 それにつられて次から次へと列から飛び出した。 まあ無理もない。王妃さまと握手したい一心で日本からはるばるやってきたうさぎですら、 暑さと疲れで気が変になってて、一瞬そうしようかと思ったもの。 毎年王妃さまと会うチャンスのある地元の人たちが「今年はいいや」と思うのも分かる。
とはいえ、何もそこで走っておみやげを取りにいく必要はどこにもないのだけれど。 でも、走りたい衝動にかられる気持ちは、何となく分かる。 うさぎも、のろのろの列に並ぶこと以外だったら、何でもやってみたいと思ったもの。

さて、王妃さまのおわす部屋の扉がようやく目の前に来た。 うさぎたちは他の人々同様、扉の前で荷物を預け、ついに扉の中へと招きいれられた。
「ママが先頭になって」と子どもたちが言うので、 うさぎを先頭に、どきどきしながら部屋に入った。

部屋の奥に女性が数人並んでいるのが見えた。 扉近くにも何人か。 場所からすると、扉近くにいるのはたぶん女官たちで、 上座におわすのが王族方だとは思うのだけれど、意外に違いが感じられない。 特に服がずば抜けて豪華なわけでもないし、この部屋においでの方の物腰はみな優雅で上品。 女官と王族の区別がつかないくらいだから、 王族の中のどなたが王妃さまなのか、分かるわけがない。 ――これは困った!

「どうしよう! どの方が王妃さまだか分からない!」 背後にいたネネに耳打ちすると、ネネがこともなげに言った。
「上座の最初の二人が王妃さまよ」と。
「あんたどうしてそんなことがわかるの?」とうさぎが尋ねると、
「だってホテルに王様と2人の王妃さまの写真が飾ってあったもん」とネネ。
あら、そうなんだ。 「じゃきっと、偉い順に並んでいるのね。そうするとおそらく最初が第一夫人ね」 そんなことを言い合いながら、王妃さまの御前に進んだ。

近くで拝見すれば、どちらが第一夫人かはすぐに分かった。 第一夫人は見るからに威厳をたたえておられたからだ。 王様のいとこ君にして、生まれながらにして王妃の地位を約束されていた第一夫人。 ブルネイ航空のスチュワーデスで、たまたま王様に見初められた第二夫人。 そのお二人の経歴の違いは、外見にもはっきりと現れていた。

重厚なエンジ色の模様入りの服をお召しの第一夫人の前でまず挨拶。 握手をかわしながら「日本からやってまいりました」と英語で挨拶すると、 いかにもマレー人らしい大きな瞳の第一夫人はネネのゆかたに目を向けられ、 「まあ、そう?」と軽く頷かれた。

次に、爽やかな若草色の衣装をお召しの第二夫人と握手をしながら 同じフレーズを繰り返すと、
「ブルネイへようこそ」と、日本人に似た涼やかなお顔つきの第二夫人は、 目を細めてきれいな英語でおっしゃった。 その一言でうさぎは舞い上がり、第二夫人のファンになってしまった。

第二夫人の脇には、まだ中学生から高校生くらいのプリンセスが3人並んでいた。 手を差し出すと、みなその先にほんのすこし指をふれた。 それでおしまい。握手なんてものではない。 表情からも「ああつかれた」というのが一目で読み取れる。
無理もない。ネネと同じくらいの年頃なんだもの。 くる日もくる日も毎日何時間も立ちっぱなしで 何万人の謁見客と握手させられたのでは、仏頂面になるなという方がムリだ。

歳若きプリンセスの脇には、年配の、王様の妹君とおぼしき女性が二人ばかりおわした。 けれどこちらも若年のプリンセス同様、不機嫌さを隠さない。 今日は最終日の午後。 1時間半並んだだけのこっちでさえこんなに疲れているのだから、 それを迎える方の疲れはお察し申し上げる。

それにしても、一人ごとに笑顔を向けられる第一夫人と第二夫人は実にご立派。 おそらくお二人はご存知なのだろう。 1000人のグルカ兵だけではこの王権を支えきれないことを。 ご自身にとってはバカバカしいような年に数日のこの儀式が 何より王権を支えるものであるということに、きっと気付いておいでなのだ。

謁見の間を出ると、黄色いプラスチックの玉手箱と、王様のプロマイドをいただいた。 それに加えてチャアは、 ミドリの封筒に入ったお年玉をピン札のブルネイドルで5ドルもらった。 ネネにももらえるかと思ったら「子供だけ」。ネネは子供じゃないらしい。

王様のプロマイドが張ってあるカードには通し番号が振ってあった。 うさぎの番号は、6万2000番台。 王宮はこの4日間でこれだけのお客を向かえたわけだ。

「しかし、1時間半も並ぶとはねー。最終日だから混んでいたのかしら?」 と言ったら、
「いや、今日はまだいい方です。初日は3時間待ちですからねー」と古屋さん。

3時間!!

うさぎは卒倒しそうになった。

帰りしな、坂を歩いて下りつつ、きりんに
「王様との握手はどうだった?」と尋ねると、
「どの人が王様だか分からなかった」。
「あらやだ。どうして古屋さんに尋ねなかったの?!」と言うと、
「いや、謁見が終わって、部屋から出てから最初の人が王様だって聞いたんだ。 だけど、その時にはもうあんまりよく覚えてなくって‥」ですと。もうガッカリ‥。

門までの坂は、登ってきた道とは違う道らしく、 立派な庭園のあちらこちらには、 黄色いプラスチック製のヤシの木が立っていた。 手元の黄色い玉手箱にどこか感じが似ている。 そういえばカードに張ってある王様の写真も、王様の背後が派手な黄色だ。 ヤシの木、お土産の箱、王様の写真‥皆同じ黄色である。

これは何かある――。そうピンときて、日本に帰ってから大使館に尋ねてみた。 そしたら、黄色は王様のテーマカラーなのだそうだ。 マレーの人々は家ごとに"家紋"ならぬ"家色"を持っているのだそうで、 王様のそれは黄色なのだそう。 それで派手な黄色の謎は解けた。

つづく