昨日はさぼってしまったけれど、今日は真面目に書きました。
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【 ブルネイ旅行記19 リゾートの風景 】
うさぎたちは日差しの強い時間を敬遠し、 毎日夕方になってから、プールに遊びにいったものだった。 数箇所ある広大なプールはいずれも昼間のうちに南国の陽の光をたっぷり吸い込み、 日が暮れてもなお、お湯のように温かかった。
ビーチタオルを借りてデッキチェアに陣取ると、
スタッフが、冷やしたおしぼりと、レモンを浮かべた冷たい水を持ってくるのが
ここの慣わしであった。
今日、水を持ってきたのは、イマーン。
ちょっと小柄で太ったジャカルタ出身のインドネシア人である。
今朝ここで浴衣を着た子供たちと散歩していたら、遠くの方から走ってきて、
「いっしょに写真を撮ろう! 現像したら送ってね」と言いながら
二人の間に割り込んだちゃっかり者だ。
彼はうさぎがおしぼりを取り上げると、
「顔もそれで拭いていいからね!」と言った。
その言葉に従い、ひんやりとしたタオルの感触に顔を埋めると、
「ね? 気持ちがいいでしょ?」とイマーンは言ってニコニコした。
部屋で用事を済ませてきたうさぎより一足先に、他の3人はプールに浸かっていた。
50メートルプールで精力的に泳ぐチャア、それに付き合うきりん。
‥おや、ネネは?、と思ったら、いたいた。
温水ジャグジーにまったり浸かっていた。
「いやだ、アンタってほんとに年寄りくさいわね」と言いつつ近づくと、ネネが二人! 若い娘が仲良く肩を並べて湯に浸かっていた。 逆光の中、額に手をあて刺すような夕日を遮りつつよく見ると、 ネネの隣りにいるのは、彫りの深い顔立ちの女の子だった。
「あら、お友達?」うさぎはとっさに英語が出てこなくて、日本語でネネに尋ねた。
「うん、そう」とネネ。
「そちらさんも中学生なの?」
「ううん、大学に行ってるんだって」
「大学!」うさぎは思わずその子の顔をまじまじと見た。
見つめてしまってから、これは失礼なことをしたと気付き、挨拶をした。
「はじめまして。わたしはこの子の母親よ」
「はじめまして」と向こうも挨拶をした。
「学生さんなんですって? どちらからいらしたの?」と尋ねると、
「ムアラからよ」と彼女は答えた。
ムアラ‥ムアラ? 一体どこの国かしら?と思いつつ、
「遠くからいらしたの?」と尋ねると、
「そうでもないわ。車で10分くらいかしら?」ときたものだ。
うさぎは思わず笑った。
「ああ、ブルネイの方なのね!」と。
「ええ、そう。インド系ブルネイ人なの。
生まれたのはインドだけど、小さい頃に家族でここに引っ越してきたのよ」と彼女。
「すると、大学もブルネイ大学?」
「そう。コンピュータの勉強をしているの。
でも来年はカナダに留学しようと思っているの」
「あら素敵! 海外にはよく行かれるの?」と尋ねると、
「ええ、インド、マレーシア、シンガポール。それに香港にも行ったことがあるわ」と
彼女は指を折りながら答えた。
そのとき、
「ルビー! そろそろ時間だよ!」
と、スタッフが彼女を呼び、乾いたビーチタオルを彼女に投げてよこした。
「あっ、もう行かなくちゃ! わたし、姉を車で迎えにきたのよ。
姉はフロントで働いているの。そろそろ仕事が引ける時間だから、またね!」
そう言って彼女は行ってしまった。
おやおや、彼女はゲストではなく、ホテル関係者だったのね。
うさぎはフロントに立っている女性の顔を一人一人思い浮かべて考えた。
ああきっと、彼女のお姉さんは、彫りの深いあの女性だわ――。
と。
数日前エンパイアを訪れたとき、うさぎはちょっと心配になったものだ。
「こんなおとぎ話に出てくるお城のようなホテルで、
スタッフに恭しくかしずかれでもしたら、どうしよう」と。
なんせこちらは普段は庶民の"にわか奥様"だから、疲れてしまう。
だけれどそんな心配は無用だった。 この上なく恭しいのは、ブルネイ人スタッフで固めたロビー周りだけで、 ロビーから離れるほどに、スタッフは国際色豊かになり、気楽で陽気になっていった。
このあと夕食を食べにいったプール脇のレストランでだってそうだった。
うさぎがお喋り好きなタイプだと分かると、
これまた人懐こいインドネシア人のスタッフが、なんだかんだと話し掛けてきた。
「日本から来たの? ボク日本語知ってるよ。
ハナ、サケ、コオヒイ、オチャ‥えーと、サクラっていうのは何の意味だっけ?」
「チェリーブラッサムよ」
「あー、そうだっけ。あとはー、カミカゼ」
「神風?!」うさぎは笑った。一体誰が彼にそんな言葉を教えたのだろう。
「数字だって言えるよ。イチ、ニ、サン、シ‥、ジュウ、ジュウニ」
「ジュウイチが抜けたわ」
「あ、そうか、ジュウ、ジュウイチ、ジュウニ‥、ジュウシチ、ジュウロク‥」
「ジュウロク、ジュウシチ」
「あ、そうか、ジュウロク、ジュウシチ、ジュウハチ、ジュウク、ニジュウ!」
「そうそう、上手! わたしにもインドネシア語を教えて?」
「分かった。じゃ、テリマカシ! サンキューっていう意味だよ」
「ふうん、"テリマカシ"。これでいい?」
「そう、テリマカシ」
彼はそこでうさぎの料理が全然減っていないのに気付くと、日本語で言った。
「ドウゾ、タベナサーイ」
「テリマカシ!」うさぎがインドネシア語でそう返すと、彼は行ってしまった。
うさぎが食事を終える頃、彼はころあいを見計らったようにまた現われて言った。
「もっといかが? サラダを取ってきてあげようか?」
「いえいえ、もう充分! もう食べられないわ」と言うと、
彼は満足したようにまたお喋りを始めた。
「バリには行ったことある?
ぼく、ブルネイに来る前はクタのレギャンビーチホテルにいたんだよ」
「あー、聞いたことある! まだバリは行ったことないけれど」
「ぜひ行くといいよ! ブルネイもいいけど、バリもいいよー!」
‥‥
人との楽しいお喋りは、このおとぎの城のようなホテル滞在に現実味を与えてくれた。 これがなかったら、この滞在はきっと、ただのおとぎ話になってしまったに違いない。
「ブルネイでハリラヤを過ごしたあとはオーストラリアに飛んで、
そこでクリスマスを過ごすのよ」と楽しそうに話していたイギリス人の老婦人、
「きみ、シンガポーリアン?」とロビーで話し掛けてきた、
シンガポーリアンの電気工事の配線屋さん。
ゲスト、スタッフの別なく、
ここはいろんな国からいろんな目的でやってきた人々の出会う場所だった。
そして、こんな高級ホテルのゲストにしてはちょっとばかり庶民的すぎるうさぎも、
周囲からちゃんと受け入れてもらえたのだった。