ふとんの中で、久しぶりに「書きたい!」という気持ちになったとき、 うさぎは、起きてパソコンに向かおうかと一瞬考えました。 でもやめました。 だって、書き急ぐ必要なんて、どこにもない。 まだ人生は長いんだもの。 その日はそのまま眠ることにしました。
――そう、人生は長い。
うさぎにとって、文章を書くということは、
「今日明日終えて、ハイおしまい!」というようなものではないはず。
細く長く、ずっと付き合っていきたいものだったはず。
なのに、今まで何を焦っていたのでしょう。
そもそも「いつものきりんとうさぎ」を始めたのは、 文章を書き続けるための枠組みが欲しかったからでした。 面白かったこと、目をとめたこと、心にひっかかったこと。 なにげない光景、なにげない誰かのセリフ、おぼろげな自分の思い。 ――そういったものを、書きたいときに書きたいだけ書くための枠組みが欲しかった。 だから最初は、不定期更新のつもりでした。だから、
ときどき雑文を書きます。
気長にお付き合いください。
と、タイトル名の下に書きました。
けれど、実際に書きはじめてみたら、書くことはいくらでもあって、
毎日書いても、まだ書ききれないことがあるくらいでした。
それでうさぎは
「なんだ、これなら"ときどき"なんてものじゃあなく、毎日でも書ける!」と思い、
上の紹介文を消し、旅行サイトのトップページに、
いつものきりんとうさぎは毎日が更新日
と書きました。 荷が重くなったらすぐに書きかえればいいや、という軽い気持ちで。
ところが、「毎日が更新日」というキャッチフレーズは思いのほか人の目をひきました。 このキャッチフレーズを掲げてからというもの、 旅行サイトから来る人の数が目に見えて増えました。 そして、その何割かは、毎日読みにきてくれるようになりました。 うさぎは、ちょっと思いついただけのはずだったこの看板を、 簡単には下ろせないような気分になりました。
それでも書く意欲満々だったときには、この看板の重さもどうってことはありませんでした。
その重さは却ってよい刺激になり、毎日どんどん書きました。
書くことが、楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。
「あ、これを書きたい!」と何かを思いついては、パソコンの前で書きました。
自分の書きたいことをうまく表現できないこともあったけれど、
それは力量の問題だから仕方がない。とりあえず書けるものからどんどん書きました。
ブルネイ旅行記を1月半に渡り連載したときには、他のものを書きたくて書きたくて、 仕方がありませんでした。 だってブルネイへ行ったのは半年も前のことで、現在進行形ではないんですもの。 珍しい国だったからって、王妃さまと握手したって、関係ない。 もう終わってしまったこと。 ブルネイ旅行記を呼び覚まして言葉にしているうちに、 現在の関心事が、書かないままにぽろぽろと指の間からこぼれ落ちて 消えていってしまうのが、勿体なくて仕方がありませんでした。
やっとブルネイ旅行記が書き終わったときは、だから、 「さあ、これからは好きなことを書くぞーっ!」と張り切ったものです。 とはいえ、それを書きあがって数日後にはバリへ旅立ったものだから、 その意欲はお預けとなりました。 そして、バリから帰ってきたときには、しばらく旅行記には手をつけず、 日々新しく沸き起こる様々な出来事について書こうと思いました。
なのに。ふと気付いたら、何も書けなくなっていました。 あんなに書くことが楽しみだったのに。 「バリから帰ってきたら、何を書こう!」と、楽しみにしていたのに。
◆◆◆
その通知が届いたのは、9月のはじめのことでした。
6月に出した「旅のエッセイ」の公募の落選通知。
当選しても落選しても、
Nothing to lose"(失うものは何もなし)
と思って、ダメ元で出した公募でした。
でも、落選によって失うものはあったのです。"期待と自信"。 ダメ元で出したつもりだったのに、どこかで入選することを期待していた。 その期待が潰えたとき、後に残ったのは劣等感でした。
わたしなんかが文章を書いたところで、意味なんかあるのだろうか。
まして、人に見せることに、意味なんて――。
それでも、うさぎはきりんに明るく言いました。
「ダメ元で出したんだし、また次回頑張ればいいよね!
送料は無駄になっちゃったけど、それ以外に元手はかかってないんだもんね!」
自分でも、そう思おうとしました。
そして、ちゃんとそう思えているつもりでした。
9月には、大きなホームページコンテストのノミネート作品の発表もありました。 発表を見に行くと、 お付き合いのあるウェブマスターさんのサイトがいくつもノミネートされていました。 うさぎは、自分まで誇らしい気分になりました。
「みんな、さすがだなあ〜! よーし、うさぎも頑張るぞー!!」
‥でも本当は、同時にとっても寂しかった。 肩を並べて一緒に歩んできたつもりだったのに、うさぎは落選し、周りの皆は認められ‥。 自分だけ取り残されていくようで、寂しくて寂しくて、どうしようもありませんでした。 でも、うさぎは「寂しい」と言葉にして考えることをしませんでした。
ヘタな鉄砲も数打ちゃ当たる!
次に何かに応募したら、今度こそいい結果が出るかもしれない!
いい結果が出なかったとしても、そこはそれ、"ダメ元、ダメ元〜!"
うさぎはそう思って、別のホームページコンテストに応募することにしました。
今から思えば、それがいけなかったのかもしれません。 落選の傷が癒えず、本当なら安静にして冷やさなければならないときに、 傷をわざわざ刺激して温めてしまったようなものでした。 本当は、うんと悔しがって、泣いて騒いで、 「もう二度と公募なんかに応募するものか!」といきまいて‥。 そういう気持ちを全部言葉に乗せて乗り越えなければいけなかった。 なのにうさぎは、そういう気持ちにフタをして、何食わぬ顔で通り過ぎようとしたのです。
でも本当は、うさぎはもう二度と落選したくありませんでした。 「ダメ元」なんて、口では簡単にいえても、そう簡単に思えるものではない。 ホームページコンテストに応募してからというもの、 審査までになんとかもうちょっと良いサイトにならないものかと思いはじめました。 何か目をひくものができないか、何か珍しいコンテンツをつくらなくちゃ!と思い、 「繰上げ返済体験記」なんていうのは珍しいんじゃないかと思って、 上手く書けないのでしばらく放っておいたそれに取り掛かることにしました。
でも、書く必要に迫られようが何しようが、力量が足りないものはやっぱり書けない。 自分の中でちゃんと言葉になっていないことは、パソコンの前にいくら座ったからといって、 書けるわけがない。 だけど、ここのところ、いつもよりちょっと頑張り屋さんに変身していたうさぎは、 自分の"努力"というものを、過信していました。 "成せば成る"と思いました。
でも、実際は、成しても全然、成りませんでした。
◆◆◆
「うさぎが休む」と掲示板で宣言すると、みんなが励ましのレスをくれました。 その中に、
体も心もゆっくり休ませてあげてください
という一文がありました。
心? 心?? 体はともかく、心??
うさぎはその"心"という言葉にドキッとしました。
やだなあ、zeroさん、
うさぎ、首が痛いとは書いたけれど、心がどうのなんてことは一言も‥(汗)
エイミーに到っては、
本当に首が痛いの?
仮病じゃないの?
というメールをくれました。
ハハハ‥、やだなあ、エイミー、
ホントに首が痛いのよ〜!
とレスしましたが、本当に痛かったのは、"首"よりも"心"でした。 書くことしかできないのに、そのたった一つのことができない自分が情けなかった。
最近文章が荒れていることは、自分でも分かっていました。 エイミーはうさぎの文章を見て、「こりゃ、そうとう疲れているな」と思ったのでしょう。 尤も、うさぎが仮病を使えるなんて思うのは、エイミーの買いかぶり。 うさぎは、本当に首が痛み出すまで、休むことを思いつかなかったのですから。
でも。言葉にしなくてさえ、自分の状態を察してくれる仲間の存在がいるなんて、 うさぎはなんて果報者なのでしょう。 そういう仲間を得ることのできた自分を、ちょっと褒めてあげたい気がしました。
◆◆◆
接骨院に行ったのが良かったのか、整形外科に行ったのが良かったのか、 パソコンの前から離れたのが良かったのか、仲間のセリフが嬉しかったからなのか――。 いろんなことが重なって、今では、首と一緒に気持ちもだいぶ軽くなりました。
今にして思えば、 どうしてパソコンの前に座っていれば書けるだなんて思ったのだか、本当に不思議。 うさぎがキーボードを叩くのはいつだって、 書きたいことが8割方固まってからじゃありませんか。
そしてそれが固まるのはパソコンの前なんかじゃなく、 部屋で洗濯物をたたんでいるときだったり、 台所で大根を刻んでいるときだったり、 外を自転車で走り回っているときだったり。 もしくは、何もせずにぼんやりしているときだったり。 ――そういう時間がなかったら、何も書けなくて当たり前。 どんなに変わった経験をしても、ぼんやりモノを考える時間がなかったら、 何も頭に浮かばない。 パソコンの前で四苦八苦して、書くことが思い浮かぶわけがない。 うさぎは怠け者だから、ヒマだから、平凡な毎日だから、だから書きたくなるのです。
それはあまりに当たり前なことだったから、一度やり方を忘れてしまったら、 以前はどうやって書いたものだったか、すっかり判らなくなっちゃった。
でも、もう大丈夫。 今、ここにちゃんと書いたから、 次に同じことが起きたら、これを読んでちゃんと思い出せます。 "うさぎはカメじゃないんだから、お昼寝しないと走れない"、って。
平凡な生活の中に珍しいことなんか何もないのは当たり前。 人の目をひくようなことがなくて当たり前。 いつもの当たり前な生活の中で、 嬉しい気持ちも、悲しい気持ちも、功名心も、劣等感も、 ただ心から溢れ出たものをスプーンですくって文字に換えればそれでいい。 たとえそれが他人にとって、面白かろうがつまらなかろうが。
だって、サイトの題名は、「"いつもの"きりんとうさぎ」なのだから――。
おわり