2003年10月16日 発表会の風景(3) 楽しいお仕事

ところで今年、うさぎには新しい仕事がありました。 前日の夜に、突然頼まれた仕事です。

男性ゲストが衣装を身につけたあと、その背中を縫うんですって。 そうしないと、踊っているうちに、 背中のホックがはじけて脱げてしまうことがあるからなんだそうです。

えへへ、いいお仕事貰っちゃったっ♪

これはバレエミーハーのうさぎにとって、堪えられない仕事でした。 だって、憧れの男性ゲストに至近距離で接せられるなんて! こんなに楽しい仕事はありません。 だからうさぎは、この仕事を二つ返事で引き受けたのです。 「ただでさえ忙しいのに、男性ゲストの世話までしているヒマなんてあるのかしら」 と思いつつも。

でも、今回ゲスト出演する男性ダンサーは6人。 うさぎ一人ではとても手が足りません。 だれかもう一人くらい、相方を選ばなくては――。

誰にしよう?
折角だから、この仕事を"お役目"ではなく"役得"と思える人がいいわね。

うさぎは、瑞希ちゃんのお母さんに決めました。 バレエへのミーハーさにおいては、うさぎといい勝負の。
「よそのバレエの発表会に行ったら、ロビーで上野水香を見ちゃった♪」って 楽しそうに話していたことがあるから、こういう仕事はうってつけ。 彼女とならきっと、この仕事の楽しさを分かち合えるでしょう。

◆◆◆

さて、今日最初に背中縫いが必要になるダンサーは佐藤禎徳さんでした。 本番30分前に、「ごめんくださーい!」とゲスト用の楽屋の扉をノックすると、 中から「はい、どうぞ〜っ」という声が。
「では失礼しまーす」とドアを開けたら‥。

きゃあああ〜っ!
全身肌色な方が〜〜〜〜っ!

「失礼しましたっ!」うさぎは慌ててドアの戸を閉めました。そして、
ドアの外で声を張り上げて叫びました。

「すみませーん! 佐藤先生、部屋の外へお願いしまーす! 佐藤先生〜〜〜っ!」

しばらくすると、やっと佐藤さんがドアから顔を出しました。
「すみません、衣装の背中を縫いにまいりました」とうさぎが言うと、
「ああ、いままだ衣装を着ていないので、またあとでお願いします」とのこと。 うさぎは「わかりました。ではのちほど」と言うと、子どもたちの楽屋に飛んで帰りました。

楽屋に戻ると、

「あー、びっくりした〜っ! 見ちゃった見ちゃった!
ミシューチン先生のヌードみちゃった! 全身肌色だった〜っ!」

と早速、瑞希ちゃんのお母さんにご報告。

「肌色? 肌色ーっ?! それってもしや全裸っ?! スッポンポンっ?!」と、瑞希ちゃんのお母さん。
「どうかなあ〜? 後ろ姿だったから〜。 全裸だったのかなあ? ‥かなあぁ? とにかく全身肌色だった〜」
「きゃあああ〜っ、いや〜ん!」

瑞希ちゃんのお母さんの期待通りの反応に、うさぎは大満足! うさぎの人選は間違っていなかった。 つくづく、彼女を相方に選んでよかったと思いました。

◆◆◆

しばらくすると、佐藤さんが、「では背中をお願いします」といいながら現れました。 そして、下半身にはいているタイツをズルッとずりさげました。

‥え!!

一瞬たじろぐうさぎ。おそらく上着と一緒にタイツまで縫いつけられては、 と思ったのでしょうが、先生、なんだかものすごい格好です。

うさぎが佐藤さんの上着の背中を縫っていると、ネネと相棒のユリちゃんが現れました。 この二人と佐藤さんは今回3人で"パ・ド・トロワ"を踊るのです。 二人は、このあられもない格好の先生を前に、平気な顔。 「もうすぐ本番だね。先生、緊張してる?」なんてあっけらかんと世話話です。 うさぎの方がよっぽど恥じらいがあるではないの。 まったく、近頃の女子中学生は‥。

わが子のネネが新人類に見えたのは、今日だけではありません。
「今回は男性ゲストと初めて踊るんだから、 発表会までに二度や三度は泣くことになるわよ。覚悟しておいてね」と、 バレエの先生がおっしゃったことがありました。
「え? どうして? どうして泣くの? ゲストの先生意地悪なの?」とユリちゃん。
「叱られて泣くとか、そういうことじゃないの。 男性と踊るのはすごく難しいから、うまく踊れないのが悔しくて泣くのよ」
「悔しくて泣く?! ふーん、そういうものかなあ」とネネ。
「‥なんだか自信なくなってきた」と先生。 「先生があなたがたくらいのときにはもう、悔しくてしょっちゅう泣いてたけど、 あなたたちはどうかな〜? 近頃の子は、そんなことじゃ泣かないのかもしれない」

結局、ネネもユリちゃんも、佐藤先生について楽しくレッスンをし、 一度も悔し涙を流すことはありませんでした。
発表会の前日には、3人でプリクラまで撮りに行っちゃって。
「やっぱりあの人たちは泣かなかったわねえ‥。 いいんだか悪いんだか、そういうノリじゃないのねえ、近頃の子は」 うさぎと同世代の先生は、そう苦笑していましたっけ。

さて、佐藤さんと入れ替わりに現れたのはエンバー・ウィリス氏。
「コレ、オオキスギル、縫ッテ」
またまたたじろぐうさぎ。 こちらは上半身が素っ裸です。 腰のベルトを調整してほしいようだけれど、でもこのベルト、ものすごく硬い! 力任せに刺せば針が通らないことはないけれど、 それでは勢い余って肌に突き刺してしまいそう。
「すみません、これ脱いでいただけますか。 その方が縫いやすいので」とうさぎが言うと、エンバーさんは、
「イイ、針貸シテ。チカラのあるダンセイにヤッテモラウ」と言って、 悪戯っぽい茶目っ気を含んだ表情で、ベルトをパタパタさせました。 それをみて思わず顔が赤らむうさぎ。 どうやらこの衣装はベルトがズボンと一体になっているらしい。 ハハ‥、つまりベルトを脱ぐというのは、ズボンを脱ぐことなわけで――。

◆◆◆

若き男性ゲストを6人も迎えた舞台は大いに沸きました。 今回の舞台で最も人気があったのは、NBAバレエ団の若きダンサー、森仲健智氏。 彼が跳んだり跳ねたりするたびに、観客席の一部から派手な拍手が沸き起こりました。 どうやら彼、シンパを引き連れてきたみたい。 確かに、ジャンプは高いわ、回転は速いわ、実に"魅せる"ダンサーです。 ネネの話では、発表会間際に足を痛めて腫らしていたというのですが、 ゲネプロのときから元気いっぱいに跳んだり跳ねたり! 足を故障しているとは思えない元気さでした。

ヘタクソな素人集団の発表会を、皆が喜んで見にきてくれるのは、 ひとえに男性ゲストのおかげです。 通常では何千円もするチケットを買わなくては見られない彼らの踊りを、 発表会ならタダで見られるから。

その代わり、その彼らのギャラを観客の代わりに支払うのは出演者たち。 発表会の費用の、一人何万、何十万という金額の大半は 男性ゲストのギャラと指導料です。特に、男性ゲストと踊る人の負担は大きい。 ネネは今回、"パートナー代"の名目だけで10万円を支払いました。

うふふ、これだから発表会は楽しい。 それは今年も無事に幕を閉じました。

尤も、幕が下りてもまだ油断はできない。 最後にとんだハプニングがありました。 カーテンコールなんてないものと、出演者も観客も思っていたのに、 出演者が舞台袖にひきあげかけた途端、緞帳が上がり、 観客にとんだ舞台裏を見せてしまいました。

それでも今年のハプニングはまだマシなほう。 数十名が身につけた髪飾りや胸飾りがそっくり行方不明になり、 翌日まで皆で探し回ったこともあるらしい。 結局、ゴミ袋の中に紛れ込んでいたのですって。 最後の最後まで気が抜けないのが、発表会です。

踊りの振りを間違えたり、舞台の上で滑って転ぶくらいは日常茶飯事。 レッグウォーマーを脱ぎ忘れたまま舞台に上がってしまった人がいたり、 トウシューズのリボンが解けてしまったりすることも。 みんな気を引き締めて、最大限に頑張っていても、それでも何かしら起こる。 でも、そういうハプニングを含めて、発表会は本当に楽しい。 毎年、「客席にただ座っているだけでわが子の発表を見られたら、どんなに楽かしら」 と思ったりするけれど、 大人の生徒、子供の生徒、男性ゲストや舞台監督さんと一緒になって、 一つの舞台を作り上げていくその醍醐味は、何物にも替えられません。

ネネとチャアときりんの3人の発表会。
舞台に立つのは3人ですが、バレエの発表会は、 うさぎにとっても、大事な舞台なのです。