2004年2月18日 アメリカからの手紙

先日、アメリカからエアメールが届きました。
28年前、ホームステイに行ったときにお世話になったホストファミリーのマム(お母さん) からでした。

それは代筆の手紙でした。 本人の手によるのは最後のサインだけで、 その筆の運びが、彼女の老いを伝えていました。 手の震えを懸命に抑えつつ、やっとの思いで書き上げたサイン。 それは91歳で逝った祖母が晩年くれた手紙の文字にそっくりでした。

マムももうそろそろ80歳。 体の不調を訴えるようなことは何も書かれていないけれど、 たどたどしいサインが彼女の体の調子が思わしくないことを物語っている。 わたしは今すぐアメリカに飛んでいきたくなりました。 だって、今彼女に会わなかったら、もう会えないかもしれない。

十数年前、ダッド(お父さん)が不治の病に冒されたとき、 わたしは彼に会いに行きませんでした。 子供がまだ小さかったし、まだ住宅のローンを抱えていて渡航費用が気になったし、 航空券の買い方も分からない。 様々な障壁がことさらにアメリカを遠く感じさせました。 なので検討すらしなかった。行かれるわけがない、とハナから諦めて。

でも今にして思う。
天国の遠さに比べたら、アメリカの遠さなんて、と。

確かに、会ってどうなるものでもないし、わたしがして上げられることなんて、一つもない。 きっと、"老い"というものの重みを感じて帰ってくるだけの旅になるでしょう。

だけど彼女に会いたい。 会ってお礼が言いたい。 多感な時期にマムと出会ったことで、わたしの人生は何らかの影響を受けたと思うから。 これまでの人生、幸せだったと思うから。

まだ本当に行かれるかどうか分かりません。
どうやって行くのか、そもそもいま彼女の住む街がどこにあるのか、それすら知らない。
いつなら行かれるのか。春か、夏か、それとも冬か。今年中に行かれるのか。
そして、行くことが、マムにとって、わたしにとって、本当に良いことなのかどうか。 ――まだ何にも分かってはいません。

だけど今回は、何も考えないうちに諦めるのだけはよそうと思います。