外国語学習に関して聞こえてくる、どうも好きになれない言い回し3つ。
こんなことを言うのは日本人だけかと思ったら、そうじゃないらしい。先生方もよく聞くそうです。ビックリ。
< Three phrases I do not like >
There are three phrases about language learning learning a language which annoy me.
no.1 : “Native speakers never use such an expression”
no.2 : “Languages are nothing more than a tool”
no.3 : “The important thing is not language skills but the contents of what you are going to say”
Every time I hear these phrases, I think “Oh, no, not again !”
※ お二人の先生にみていただきました。
その1:「ネイティブはそんな言い方をしません」
英語に関してよく聞くセリフ。
「間違ってはいないが、こなれていない(堅い)」という意味で、学校の教科書に載っているような定番フレーズを揶揄するのによく使われる。
本場志向を強調したいようだが、なぜかその「本場」というのはアメリカもしくはイギリスの大都市限定。他の場所は本場のうちに入らないらしい。
でもあとの二つに比べると、このフレーズのイライラ度は低い。
なぜかというと、わたしは英語ネイティブではないから。そもそも英語ネイティブじゃないんだから、らしくないと思われても、一向に痛くもかゆくもない。
今どきのニューヨーカーが使うような表現を使ってみたい気持ちはわたしにもある。
でもそれにはリスクが伴う。微妙なニュアンスやニッチなTPOまで掴んで使えるネイティブとは違い、非ネイティブは、堅すぎるくらいの定番表現のほうが、誤解を招くことなく、場所や相手を選ばず使えて、安全でいいとも思う。
その2:「言葉(言語)は道具にすぎない」
これも実によく聞く言葉。
この一言だけでは何が争点なのか全く分からず、誰か有名な人が言ったことの一部が、ソースも分からないまま、そこだけ切り取られて独り歩きをしているのではないか、という印象を受ける。
よって、この言葉の是非を問われても、前後の文脈が分からない以上、答えようがない。
これほどバクゼンとしているにもかかわらず、物知り顔で使う人が非常に多いのはどうしたことか。
特に外国語に苦手意識がある人がよく使う。おそらく、「~にすぎない」という部分が日ごろのうっぷん晴らしに最適なのだと思われる。
苦労してまで外国語を学びたくない。外国語なんてできなくてもいい。外国語なんてできたって、ちっともエラくないよ。言葉なんて、道具にすぎないんだから。・・・というコンテクストで使われることが多く、要するに負け惜しみ。
逆に言うと、この言葉によって、外国語コンプレックスの根深さが浮き彫りになる。だからこの言葉を聞くたびにウンザリする。
ちなみに、もう少し具体的に「言葉は伝達の道具にすぎないか」と問われたら、わたしの答えは「ノー」。
理由は、言葉は「伝達の道具」である以前に、まず「思考の道具」だと思うから。言葉なくしては複雑な思考はできない。たとえ一言もその言語を口から発するチャンスがなかったとしても、一つの言語を知っていることには充分価値があると思う。
その3:「大事なのは外国語のスキルではなく、話す内容だ」
これも摩訶不思議なフレーズ。なぜそこを比べるのか。なぜ二者択一なのか。
一つ考えられるのは、これは「限られた時間を使って、最大限、誰かを感心させる発言をするには、何を重視して準備をしたら最も効率が良いか」という問いへの答えだということ。そういう究極の選択への答えとしては、こういう意見があってもおかしくないと思う。
しかしそんな場面は稀で、たいていの場合、人は、誰かを感心させるために言葉を発するのではなく、そもそも何か伝えたいことがあるからこそ、言葉を発するのではなかろうか。
もし「話す内容」というのが「話の順序や話術」を含んでのことだとしたら、こういう言い方も分からなくはないが、それは、伝えたいことの順序や流れを母語で考え、それを外国語に翻訳して話すことが前提にあるのだと思う。
伝えたいイメージをそのまま外国語で思考し言語化する場合、話の順序、話術も「外国語スキル」のうち。この言葉は意味をなさない。
いずれにせよ、この発言もなにか負け惜しみっぽく、聞いているとこっちまで情けなくなってくる。
でも、こういうフレーズにいちいちイラッとする自分もなんだか情けない。
・・・と、ここまで書いて思いましたとさ。