昨日は今期最後のアラブ文化講座でした。でも先生が不在でした。
なんかそういう予感は薄々ありました。先週ラマダーン(断食月)が始まったので、夜の授業なんて軽く忘れられてしまうのではないかと。
見事に予感的中。
ま、そんなもんです。
ラマダーンじゃなくても、連絡不行き届きで先生が誰も来ないなんてのは、これが初めてではありません。そんなことにいちいち驚いているようでは、アラブと付き合っていかれない。
慌てず騒がず、みんなで和やかに自習し、イフタール(断食明けの食事)をつまんで帰りました。
自習で何をやったかというと、プレゼンです。元々プレゼンの予定だったので、予定通り、各自、自分の分担を発表しました。題目は、日本の政治、経済、農業、宗教などについて。先生不在のため、アラビア語に日本語訳を加えながら発表しました。
元商社マンが経済、政治畑の人が政治・・・と、強みのある分野についての発表が多かったので、内容自体、勉強になりました。パソコン&プロジェクターが使えなかったのが残念でしたが、一晩かけて画像をたくさん用意してきた人、レジュメを作って配ってくれた人など、みんなけっこう気合が入っていました。
でもわたしはというと、実は家を出るまでプレゼンのことを忘れていて、付け焼刃の準備でした。出掛けに慌ててwiki(日本語)で調べてメモし、電車の中で辞書を引き、学校についてから文章におこすという・・・。
プレゼンだけなら文章を起こす必要はないのですが、プレゼン後、内容を纏めたレポートを提出予定になっていたので一応書きました。(なのに先生が来ないって、わたしたち、可哀想すぎる・・・)
こんな付け焼刃でしたから、しごく簡単な発表しかできなかったのですが、たったこれだけでも、全然やらないよりはずいぶんマシ。アラビア語を思い出すきっかけになりました。
何かを説明しようとすると、どうしたってアラビア語で考えるんですよね。それがいい。
具体的に外国語で何かを説明するって、少なくともわたしにとって、最も効果的な外国語上達法な気がします。
スカイプレッスンでもいつも説明してばかり。日本の文物、文化、状況について説明したり、自分の意見、気持ちについて説明したり、昨日見たもの、やったこと、読んだ本について説明したり。とにかく年がら年中、説明、説明、説明。説明ばかりしている。
別に誰かに聞いてもらうのでなくても外国語で説明を組み立てるのは、理論的には可能ですが、現実的にはほぼ不可能。外国語で説明するのは大変なので、その大変なことを頑張るためには、やはり誰かが熱心に聴いてくれないと。その場を提供してくれる個人レッスンはまことにありがたい存在です。
一方、文化講座のようなグループレッスンは、個人レッスンに比べ、喋るチャンスは圧倒的に寡少です。
- 他の生徒が聞いていると思うと、恥ずかしさが先に立つ
- 他の生徒を差し置いて、自分ばかり喋ってしまってはいけないと遠慮する
お互い、遠慮と羞恥心で、あんまり話せないわけです。
でも発表は自分の独壇場。恥ずかしいなんて言ってられないし、他の生徒に遠慮する必要もないので、思う存分喋れる。
今期の文化講座は10回のうち、3、4回はプレゼンで、これって合理的だなあと思いました。特に、羞恥心と遠慮のかたまりである日本人を喋らせる手段として、プレゼンは非常に有効ではないかと。
あと、他の人の発表、これも参考になるんですね。「日本人のヘタなアラビア語なんか聞いてどうする」と思われるかもしれませんが、「ああ、そういうふうに言えばいいのか」と分かったり、「こういう発音は先生に通じない」と分かったりで、得るものは山ほどある。
たとえば今回の講座にはJICA(青年協力隊)から帰ってきたばかりのクラスメートがいて、彼女の話っぷりがすごく良かった。発音無視、文法無視、というかそもそもフスハ(正則アラビア語)じゃないんですが、バッチリ通じる。アラブ人の先生も、日本人生徒にも。
先生も彼女のアラビア語にはいつも大喜びで、あるときふと思い出したのか、彼女のプレゼンのあと、youtubeの動画を見せてくれました。それは、サウジアラビアに出稼ぎにやってきた家事使用人の動画。元々アラビア語を習ったことはなく、現地で見よう見まねで覚えた彼は、「食堂」を「皿」、「居間」を「テレビ」と呼ぶ。先生は大笑いで涙まで流しながら、「それでも通じるんだよ」「これでいいんだよ」とおっしゃっておられました。
確かにねえ、いくら潜在的なアラビア語力が高くとも、口の中でモゴモゴ言ってて何を言ってるんだかさっぱり分からないより、「食堂」が「皿」でも、とにかく通じさせちゃったもん勝ちだとわたしも思う。
そういうことが理屈じゃなく、体感的に分かるところが、やはり人を見ることの価値だと思います。だからグループレッスンも悪くないと思うんですよね。
まあなんであれ、今回の文化講座も楽しかった^^。何が出てくるか分からないところが、アラブの魅力であります。