英語

英語で喋ってみた

 前回の記事の続きです。今回はソウルで英語を喋ってみて気づいたことを書きます。

非英語圏で英語を使う

 ソウルで英語を使ってまず感じたのは、英語の気楽さです。

 その気楽さは二通りあって、一つは韓国語と比較しての気楽さ。大して学んだことのない韓国語で話すより、長年慣れ親しんだ英語で話すほうが気楽なのは、そりゃあ当然といえば当然ですね。

 もう一つは、英語圏と比較しての気楽さです。5月のニュージーランドがまだ記憶に新しい状態で8月にソウルへ行き、英語圏より非英語圏のほうが、気楽に英語が話せることを発見しました。

 それはなぜか。相手が英語ネイティブではないからです。ネイティブではないから英語を話すスピードが緩やか。なので聞き取りやすい。

 それに、もし聞き取れなくても、気軽に聞き返せる。逆に相手から聞き返されても「自分の発音が悪いから~」などと落ち込む必要がない。だって相手も英語ネイティブではないのだから。

 要は「お互い様」。お互い不完全な英語を持ち寄っているのだから、結果的にコミュニケーションが取れればそれで良しと思える。だからすごく気が楽でした。

 これが英語圏だと、相手の言っていることが分からないと「わたしの英語理解力が足りないばっかりに、スミマセン」、相手に訊き返されると「わたしの発音が悪いばっかりに、スミマセン」という気分になる。常に自分を責めるわけです。だって英語圏では右を向いても左を向いても英語ネイティブ、その中で自分の英語が一番下手くそなんだもの。「下手くそな英語に付き合っていただいて申し訳ない」という思いが根底にあるので、人との関わりにもう一つ積極的になれない。

 まあ、こうした英語ストレスは前々から感じていたわけではなく、今回ソウルであまりにも英語が気楽に話せ、いつもより積極的に人との関わりが持てたので、それは一体どうして?と考えた結果、その存在に気づいたのです。常に背負っていた荷物を初めて下ろした結果、その重さに気づいた。

ソウル駅の旧駅舎

ソウルの英語事情

 ソウルでは英語が良く通じました。わたしの個人的な感触ですが、ソウルのほうが、東京より英語が流暢な人の割合がはるかに高い気がしました。

 道を尋ねるとき、3人組に声をかけると、だいたいそのうちの一人は英語が流暢。東京では3人に一人が英語ペラペラってことはいないんじゃないでしょうか。・・・いや、東京で人に英語で話しかけたことないから、実際のところは分からないけれども(笑)

 推しの展覧会でも、3人に一人くらいの割合で英語が流暢でした。英語が話せない人は全く話せないけれど、周囲の誰かしらが話せるので、通訳してもらいました。英語の得意な生徒さんたちが通訳してくれて、推しとも会話を交わしたり、質問することができました。

 特に今回は絵に関して推しや生徒さんに聞きたいことがたくさんあったので、意思の疎通が図れて助かりました。「何年くらい絵を描き続けているのか」「なぜオイルパステルを画材に選んだのか」「なぜこの絵を描きたいと思ったのか」「どうしたら自分のフォーカスしていないものを簡略化することができるのか」などなど、思いつくままに質問しました。「While painting, I say to myself all the time: I’m no good, I’m no good, I’m no good…(絵を描いている間じゅう『下手くそ、下手くそ、下手くそ』って、ずーっと自分に向かって言ってる)」と言ったら、通訳なしでもそこだけ分かったのか、推しが思わず吹き出したのが印象的でした。

 ちなみに、生徒さんたちは海外によく行く人が多いようで、ヨーロッパや日本など、旅先で描いた絵も多かったです。道を尋ねたり、建築コンペなどで話した英語の流暢な大学生さんたちも、英語圏に留学・もしくは住んだことがあると言っていました。日本人よりも海外志向は明らかに強いと思います。

 で、たぶんそれは韓国が日本よりも小国だからだと思います。日本の国土は変化に富んでいて見どころ満載ですが、韓国は日本に比べると国土が狭く、国内旅行だけでは飽きてしまう。日本に比べ人口も少ないので、ビジネスも国内需要だけではやっていかれない。だから海外に出ていくモチベーションが高く、よって英語も上達するのだと思います。

めっちゃ美味しかったNakwon(楽園)のラズベリーラテ

ソウルの対日感情

 推しの展覧会という抜き差しならぬ事情?により、ろくに考えもせずにソウル行きを決めたわたしですが、航空券を取った後になってちょっと心配になったのは、対日感情です。

 韓国人は反日教育の中で育つとも聞くし、日本人だと分かった途端、嫌な顔をされるかも、という不安がありました。

 でも全くの杞憂に終わりました。お店などでアニョハセヨーと言われてアニョハセヨーと返すと、そこからいきなり怒涛の韓国語が降ってくるので(もしかして、わたしのアニョハセヨーは完璧すぎるのか?🤣)、慌ててチョヌンイルボンサラミエヨ(わたしは日本人です)と言うのですが、一度も嫌な顔をされたことはありませんでした。

 むしろ「あ、そうなんだ」という感じで、親しみを持ってもらえ、日本のどこに住んでいるのか聞かれ、日本には何回行ったことがあるなど、話が弾みました。

 いやみなさんすごいです。韓国へ行く日本人もそう少なくはありませんが、日本に来る韓国人の比ではない。しかも日本の各地へ散るんですね。首都圏のみならず、函館、新潟、鹿児島、福岡、福島、名古屋・・・。大阪や京都の名が一度も上がらなかったのは、たまたまかもしれませんが、不思議~! DMM英会話の先生が日本に来るとなったら八割方、関空に飛んできて首都圏には寄らず、そのまま関空から帰るのに。

 旅の目的も様々。「酒好きだから新潟へ」「温泉入りに鹿児島へ」「絵の展覧会を見に〇〇へ」(わたしと同じ!) 

 帰りに仁川空港の電光掲示板を見ても驚きました。第一ターミナルの出発便の半数以上が日本行きだったからです。地方都市への直行便もたくさん。たった2時間の間に、北海道、本州、四国、九州行きの便が全部揃ってるって、すごい・・・。

ピンクのラインマーカーを引いてあるのが日本行きの便
(画像をクリックすると大きく表示されます)

韓国人はフレンドリー

 いままであまり接点がありませんでしたが、韓国人って日本人に似ていますね。容姿だけでなく、軽く会釈する仕草とか、相手への気配りとか、雰囲気が似ている。言葉が通じないのが不思議なくらい。

 ただ日本人よりだいぶフレンドリーだと思いました。4日間の滞在中、地下鉄で隣の人に二度話しかけられました。一度目は年上の男性、二度目は年上の女性。英語は通じませんでしたが、カタコトの韓国語とVoiceTraの自動翻訳で意思の疎通を図れました。前々回の記事で書いたアメリカ人カップルの言っていたことが裏付けられました。

 ちなみにその記事で「西洋人じゃなくても韓国で親切にしてもらえるかどうか」というような疑問を書きましたが、やはり違いは感じました。

 大学対抗の建築コンペみたいなのにたまたま出くわしたのですが、ある大学のブースで、わたしと同じくらいの歳の西洋人女性が3人くらいの女子学生に大歓迎を受けていたので、自分だったらどうだろうと好奇心を抱き、ちょっと行ってみたのです。そしたら明らかに対応が違った。

 まあ別に邪険にされたわけではないですよ。でも割と面倒くさそうというか、テンションの差が凄かった。西洋人相手でその日のハイテンションを全て使い切ったのかもしれませんが、「いやー、存在するだけで相手をここまで喜ばすことができるなんて、わたしも西洋人になりたいわ」と思いましたとさ。

 とはいえ他のブースではわたしも歓迎してもらいましたよ。もしわたしが外国人じゃなかったらここまで歓迎されなかったかもしれません。

 面白いもので、こちらが韓国語はできない、英語は話すとわかると、スーッと陰に隠れる学生さんと、英語を喋るチャーンス!とばかり俄然張り切る学生さんと二手に分かれるんですね。だいたい各ブースに2,3人の学生さんがいて、そのうち一人が暗黙の「英語係」らしい。外国人が来たら「英語係に全振り」みたいな感じが学生アルアル🤣

 でも英語係以外の学生さんも、英語係の背中の影からじっと英会話を聞いてるんですよね。これを機会に「自分も英語を頑張ろう」と思うのかな。そしてもしかしたら次回のコンペで英語係になるのはその人かもしれません。

 好ましいと思ったのは、英語力が不十分でも、翻訳アプリを使って一生懸命説明してくれた学生さんたち。そういうのっていいなと思いました。誠意と熱意はその姿勢から伝わり、伝えたい内容は翻訳アプリがほぼ完ぺきに訳してくれました。きょうびの翻訳アプリは本当に優秀ですね。10年前はありえなかった世界です。 

英語という安全ネット

 ソウルで英語はコミュニケーションツールとして大活躍したのみならず、韓国語の安全ネットとなってくれました。

 会話をしていて、韓国語で言えないな、と思ったらすぐ英語に持ち込んじゃう。つまり二、三言目にはもう英語に切り替えてました🤣 だって韓国語で言えることはごくわずかなんだもの。

 逆に言えば、英語という安全ネットがあったからこそ、韓国語という綱渡りができたのだと思っています。いざとなったら英語に持ち込めるという安心感が、韓国語の使用を後押ししてくれたのです。

 英語よ、なんか今までごめん💦 今まで、英語という選択肢があると現地の言葉を使う妨げになると苦々しく思っていた。実は陰ながら援護してくれていたのね・・・!

 英語と韓国語の合わせ技が良かったのか、展覧会では数人の方と仲良くなることができ、そのうちの一人とは、帰国後もメッセージをやり取りしています。もし英語で会話ができなかったら、たとえ韓国語を二言三言話したとしても、おそらくこんなに仲良くはなれなかったのではないかと思います。

 南アフリカの第8代大統領にしてノーベル平和賞受賞者のネルソン・マンデラの有名な言葉に

If you talk to a man in a language he understands, that goes to his head. If you talk to him in his own language, that goes to his heart.
(相手の分かる言語で話せば、それは相手の頭に届く。相手の母語で話せば、それは相手の心に届く) 

というのがあります(実際にはマンデラの言葉を拡大解釈したものらしいが、それはさておき)。

 この言葉は主に後半に重きが置かれているのだと思いますが、わたしは頭に届くこと(英語)も相手の心に届くこと(韓国語)も両方大事と感じました。

 というか、英語が母語ではない日本人にとって、英語で話すこと自体がすでに他者への歩み寄り。英語ネイティブが英語を話すのとは意味が違う。

 今後は英語という安全ネットをより盤石にしつつ、他の言語も頑張ろうと思います。

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