DMM英会話での会話時間が、スパニッシモ(スペイン語オンラインレッスン)時代の会話時間と並び、2万4000分に達しました。
「ついに」というよりは「え、まだその程度?」という感じ。もうずいぶんとDMMにいる気がしているから。けっこうスペイン語も長くやっていたんですね。しかもまだ二年前のこと。ずいぶん昔のことのように思えます。
昨日はスペイン語時代を思い出しながら久々に着物でレッスンを受けました。そして着物を着始めたきっかけについて話しました。
わたしが着物を着始めたのは、スペイン語のスカイプレッスンがきっかけです。先生方は全員、中米のグアテマラ人。その昔、マヤ文明が栄えたところです。
グアテマラでは人口の約半数の人々が、日常的にウィルピルと呼ばれる民族衣装を身に着け、マヤ系の言葉を話しながら伝統的な生活を送っています。街を一歩出れば、そこはマヤ系言語の世界。公用語であるスペイン語が通じないこともあるといいます。
でも街で近代的な生活を営むわたしの先生方は、誰一人としてマヤ系の言葉を話せませんでした。「おじいちゃんなら話せる」という先生はいましたが、ご自身は生まれついたときからスペイン語が母語。マヤ系の言語は全く分からない。「グアテマラ人なのに、なぜマヤ語が話せないの?」とよく尋ねたものです。
でも人のことは言えない。わたしもよく先生方に聞かれました。「日本人なのに、なぜ着物が着られないの?」
その問いが、着物を着始めるきっかけとなりました。ある日、一念発起して着付けに挑戦、それ以来、毎日着物でレッスンを受けるようになりました。
特に最初の数ヶ月は、頭の中は着物でいっぱい。四六時中、着物のことばっかり考えていました。スペイン語なんて正直どうでもよく、レッスンでも毎回、着物のことばかり喋り続けました。もっとまじめにスペイン語をやらなきゃと思いつつ、着物への情熱が止められなかった。
でもそうやって毎日熱っぽく着物について語るうちに、気づいたらスペイン語が喋れるようになっていました。実感として一番スペイン語が上達したのは、予習も復習もせず、着物のことばかり考えてはスペイン語で吐き出していたこの時期でした。
昨日はこんな話もしました。
着物を着る人が減り、需要と供給のバランスが崩れているので、中古なら状態のよい上等な絹物がいくらでも安く手に入ること。でも着物を着て出かけるのは最初、大変な勇気が要ったこと。男性は概ねとても好意的、でも女性は時として非常に批判的なこと。その根底にはおそらく嫉妬心があること・・・等々。
「問題はいつも同性。女なのよね・・・」とタメイキをつくと、先生は、「わかる~~~~!!」と思いっきり深く頷き、女同士の確執に話が及び、大盛り上がり。
嬉しかったです。話してよかった。こういう話題は年齢の近い女同士ならではですね。若い男性の先生相手にはちょっと話せない。
スペイン語時代もこうして、年齢の近い女の先生とよく盛り上がりましたっけ。「やれルールがどうのと人の着物にケチをつける保守的な人たちが怖い」とこぼすと、「大丈夫。1年もして着物が着慣れたら、あなたも他の女の着物姿に文句をつける女になってるから」とからかわれた。
「やだ、わたしはぜ~~ったいそんな女にはならない!」と言い返すと、「そうお~? あ、ほら、ここに丁度いい文が載ってる。練習してみ」と、文法テキストの『あの娘のやり方はなってない』という例文を何度も言わされたっけ(笑)。
「この人となら、この点に関して同じ感覚を共有しあえるはず」という目論見が当たったとき、わたしは言葉が通じる醍醐味を感じます。
誰とも分かり合えるわけじゃないから。同じ日本人だって、言葉は通じても、話が通じない人は山ほどいる。
話題にもよりけりで、夫にしか話せない話題もあれば、夫よりもむしろ女友達と話したい話もある。日本人同士だからこそ分かり合える話もあれば、日本人には話せない話題もある。
政治や宗教といった話題は、日本人より外国人相手のほうが気軽に話せます。それも、どこの国の人でもいいわけではない。例えば領土問題などはフィリピンの先生では近すぎ、ちょっと話題にしづらい。日本がフィリピンを侵略する可能性も、彼らにしてみればゼロではないからです。
話したい話題、話したい相手を得ると、わたしはまるで羽根が生えたみたいに自由になり、思ったことがそのまま口に出せます。すると英語にも羽根が生える。
DMMを始めた昨年の4月は、againの発音さえ先生に直されましたが、今は、言いたいことがけっこう何でも言えます。2コマ続けて50分喋っても、まだ全然喋り足りない。
喋るから喋れるようになり、喋れるからもっと喋り、更に喋れるようになる。
喋るから話題が生まれ、話題があるから喋り、喋るともっと話題が広がる。
こうしてどこまでも転がっていけたらいいな、と思っています。