この週末、ロシア映画のDVD鑑賞会に参加してきました。
この催しは、先月末のロシア語能力検定のとき会場で頂いた冊子で知りました。
申し込みの決め手は「黒パン・紅茶付」だったこと。いえ、別に黒パンが食べたかったわけではなく、食べ物・飲み物付きということは、ただ単にDVDを見るだけでなく、参加者同士の交流があるのではないかと踏んだのです。
その読みは見事に当たり、DVD鑑賞の前後に他の参加者の方々とちょこっとお話することができました。
すっごく嬉しかったです^^。申し込んでからこの一か月、ものすごーく楽しみにしていたのですが、期待通りでした。
感動を分かち合う楽しさ
見たのは「私のちいさなお葬式」という映画。突然の余命宣告を受けた73歳のエレーナが自分のお葬式を準備するコメディです。ロシア語音声・日本語字幕で見ました。ところどころ短いセリフが聞き取れて嬉しかったです。
笑える場面が多々ありつつ、心がほっこりする穏やかなお話でした。最後はいわゆる「視聴者の解釈に任せる」タイプの終わり方で、はっきりと描かれてはおらず、察しの悪いわたしには結局何がどうなったのか、結末がさっぱり・・・。でも察しの良い方にはピンとくるんでしょうね。一緒にDVDを観賞した他の方々が「つまり最後はこういうこと?」とおっしゃるのを伺い、あー、なるほど、そういうことだったのか!と合点がいきました。
これだから、映画やドラマって、誰かと一緒に見るとより楽しいんですよね。自分では気づかなかったことや、違った見方に気づかせてもらえるから。
本もそう。映画やドラマとは違い、本を誰かと一緒に読むのは難しいけれど、読み終えたあと、その本のレビューをネットで探して読むのが大好きです。本を読んだだけでは、読み終えた気がしない。本のレビューを数十ほど読んで初めて、一冊の本を読み終えた気分になります。
今回は「ロシア」という同じ興味を持つ方々と一緒に映画鑑賞することができて良かったです。あー、楽しかった。またこうした機会があれば、ぜひ参加したいです。
学習者の横のつながり
映画を抜きにしても、ロシア語に興味のある方々とお話しすることができて大変良かったです。
わたしは、自分と同じ言語を学ぶ人々が、どんなきっかけで、どんなイメージを抱いてその言語を学んでいるのか、とても興味があります。それぞれの想いを覗かせてもらうと、自分の想いもリフレッシュされ、より自覚的に学習できる気がします。
特に学習に疲れたとき、他の学習者の想いは、自分の学習のカンフル剤になる。
検定試験を終え、わたしはちょっと燃え尽き気味。だから今回DVD鑑賞会に参加しようと思い立ったのです。
言語を学ぶとき、教室に通いさえすれば学習者同士の横のつながりはおのずと生まれますが、わたしは家で独習することが多いので、積極的に自分から作らない限り、なかなか横のつながりは持てません。だから時々こういうイベントを見つけては参加し、他の学習者さんと交流するようにしています。
フランス語にハマっていたときは、娘のツテで日仏学院(アンスティチュ・フランセ)のパーティにお邪魔したし、アラビア語も、まだアラビア語を始めて間もない頃、娘の大学でサウジアラビア大使館が開催したアラビアフェアに参加しました。
ドイツ語は、インスタグラムで知った「ドイツ語ボードゲーム大会」や「ドイツ語単語帳作りワークショップ」に参加しました。スペイン語は英語多読のご縁でスペイン語多読やスパニッシュ・オンラインのオフ会に参加したことがあります。トルコ語は東京ジャーミイやトルコ語検定後のオフ会、インドネシア語は地元の学習サークルに何度か参加しました。
わたしが学んでいるのはメジャー言語ばかりなので、このような場を探すのはそう難しくありません。
ちなみに、わたしが参加するのはいつも単発の催し。定期的な催しの会に入会するのはそれなりに覚悟が必要ですが、単発の会は気軽に申し込めます。
奇しくもこれらの催しは「何か食べ物・飲み物があった」という点で共通しています。お喋りしながら何かつまむものがあると、場が和みやすいのかもしれません。
語り継がれる記憶
今回「なぜロシアにご興味を抱かれたのですか?」という問いに、一人の方がこうおっしゃいました。「わたしの父はシベリア抑留者で、子どもの頃からその話を聞かされていたからかなと思います」と。
「でもシベリアでの悲惨な体験を聞いたら、興味を持つどころか、むしろロシアが嫌いになりそうな気がしますが」と率直につっこむと、「確かにシベリアでは寒さと飢餓で、同胞がバタバタ死んでいったそうです。その亡骸を埋めようにも、凍った土は固く、やせ細った日本人抑留者には掘れず、地面に置き去りにするより他はなかった。でもそれを見ていた大きな体のロシア兵たちが、死んだ日本人のために自分たちまで涙を流しながら土を掘ってくれたのだそうです」と。
鼻の奥がツンとしました。
日本人のために、涙しながら凍土を掘ってくれたロシアの人々。その記録は公式にはきっと残らない。でもその記憶は人の心にとどまり続け、次世代に語り継がれ、更にこうして人から人へと伝わっていくのでしょう。歩み寄りの種を蒔きながら。
相手の言葉を学ぶというのは、「歩み寄り」の最たるものです。
でもそれは容易なことではなく、時間もうんとかかる。しかも時間を湯水のようにつぎ込んだところで、得られる上達はたかが知れている。外国語を学ぶのをやめたら、代わりにどんなに多くのことができるだろうと、ときどき考えます。
でもそんなとき、折れそうになる気持ちを支えてくれるのは、こうした記憶です。私自身の記憶ではないけれど、同胞の胸に刻まれた記憶であり、縁あってわたしのところにやってきた。それはもう共有財産と言えるでしょう。
わたしは別に「ロシアと日本の架け橋になりたい」とか、そんな大それた夢を抱いているわけではありません。「架け橋」になれるほどロシア語が堪能になるとも思えない。でもそのシベリア抑留の話が、先の見えない私の外国語学習に、何らかの意味、意義、輪郭を与えたのは確かです。
これからも、ロシア語、そして外国語を学び続けていこうと思いました。