英語のグレーデッドリーダーズを読み始めて3週間、語数も20万語を越え、毎日楽しく読んでいます。これまで、次に読む本の入手が大問題だったのですが、この問題もめでたく解決しました。昨日、コメントで教えていただいたフリーマーケットで、一冊50円~100円という安価にて数十冊一度に仕入れることができたからです。
さー、これでしばらく読むものに困らないぞー! 昨日買った本を全部あわせると20万語くらいありそう。それも今すぐに読める難易度のものばかり。図書館の蔵書検索で予約の入っていない本を探す苦行から、しばらく解放されそうです。
多読とは
ところで、最初に「多読」を始めたときは知らなかったのですが、最近「多読」の周辺が少し分かってきました。これまでわたしは「多読」という言葉は、「精読」とか「速読」といった言葉同様、普通名詞だと思っていたのですが、そうではないのですね。「多読」というのはもともと、一種の英語メソッドを示す固有名詞のようです。
例えて言えば、「ウォークマン」というのは、持ち運び用の音楽再生機全般のことを指すんだと思っていたら、実はソニーの一商品の名まえでした、みたいな感じ。
いままで「多読」というのは、単に「読みやすいものから、たくさん読む」というだけのことだと思っていたのですが、そうじゃないみたい? いろいろ読み方の決まりがあって、それを守って読まないと、「多読」とはいわないのかも??
つまり、厳密に言うと「多読」というのは「多読メソッドの実行」のことらしい、と気づきました。わたしもまだよくは分からないのですが、この方式を推進する団体や、中心になる人がいるようで、自然発生的に出てきたブームではないのですね。
とはいえ、今のところ、わたしはそんなにきっちり多読メソッドを遵守しようとは思っていなくて、自己流でいいかな、と思っています。
「そんなんじゃ英語力がアップしないよ」という声も聞こえてきそうですが、「次の本も読めそう」と思える状態が続いているので、ま、当面は今のままでいいかな、と。
順調に英語力が上がっていかないと、そのうち読むものがなくなっちゃいそうで怖いんですけど、でも今はいっぱい本を仕入れてきて気が大きくなっているので、そういう事態に陥ったら陥ったで、そのとき考えればいいや~、と気楽に構えています。
多読三原則とは
ちなみに、多読メソッドには、「多読三原則」というのがあって(英語多読研究会SSSによる)、
- 辞書は使わない
- 分からないところは飛ばす
- つまらなくなったらやめる
だそうです。
多読三原則を守っているか
つまらないときはやめる
この中で、3の「つまらなくなったらやめる」だけは完璧に守っています。いまいち面白くないと感じたら、挫折感を感じないうちに、なるべく早いうちに、読むのをやめます。
他の人の予約が入っていないというだけの理由で図書館の予約を入れてみたものの、実際手にしてみたら、細かい字がずら~~~~!なんて場合は、そのまま返却。貸出コーナーからとなりの返却コーナーへそのまま移動するのはバツが悪いので、図書館内を一周し、ほとぼりが醒めてから(?)返却コーナーに持って行きます。・・・完全にバレてる気はしますが^^;。「今借りたばかりの本、返しただろ」って。わざわざ他の図書館から取り寄せてもらったのに、ごめんなさーい!!
つい辞書を引いてしまう
1の辞書については、引くときはけっこう引いてしまいます。本を読み終わるまでガマンすることもあるけれど、すぐ引いてしまうことも。多読の先輩である夫が「読んでいるときに辞書をひくのは邪道」と言うのでちょっと後ろめたいのですが、ガマンするとイライラするので、本当はよくないのかな?と思いつつ、たいてい引きたいと思ったら、思う存分引いてしまいます。
たとえばDukeという単語が出てきて、たぶん「公爵」のことだと思っても、いや「侯爵」だったかも?と思うと、もう引かずにはいられない。公爵と侯爵の違いなんて日本語でも分からないクセに。そういう細かいことを気にすること自体、多読においては間違いみたいですが、でも気になるんだもん・・・。
あと、意味がわかっても、発音が分からないと、やっぱり辞書を引いてしまう。フォニックスを学んで以来の習慣で、英文を読むとき、頭の中で発音しながら読んでいるので、読めない単語があると、気持ちが悪いんです。たとえばさっき引いたのは、carriage。carridgeと発音するんだったよな、ということをどうしても確認したくて、辞書をひいてしまいました。
あー、やっぱダメですかね・・・。
わたし、日本語の本でも、辞書を引くことが多いんです。読み方の分からない漢字や、自分が知っている意味と若干ずれた使い方がされていたりすると気になって、すぐ辞書を引いてしまう。新聞もそう。わたしはテレビを見ないので、固有名詞の読み方が分からないんです。姉歯を「シバ」と読んで恥をかいた経験以来(汗)、ネットなどでチェックするようになりました^^;。
分からないとなんだかイヤ
2の「分からないところはとばす」も守れてないです。一読で分からない部分はどうしても何度も読み直してしまいます。読み直さなくてもそのうち分かってくるのかもしれないけれど、これも性分なのかなー。
読むスピード
多読メソッドには、読むスピードのガイドラインもあって、だいたい1分に100語以上が好ましいようです。わたしは読書にかかった時間を正確に測っていないし、家事の片手間に少しずつ読むことも多いので、どれくらいのスピードで読んでいるのか分からないのですが、好きな本ほど時間をかけて読むので、たぶん分速100語以下の場合も多いと思います。本屋で立ち読みしてるときは速いですけど(笑)。辞書も引かない(引けない)し(笑)。でも家で手持ちの本を読むときは、速く読もうという気は起きない。
特に推理小説は手がかりを見落とすまいとして、すでにめくったページを読み返したりなんだりで、1~2万語の本に丸一日かかることも。(その割にはちっとも推理が当たらない)
・・・とまあ、こんな感じです。たぶんこんなんじゃ、英語力はアップしないんでしょうねえ・・・。
先日、フリーマーケットに行ったとき、この多読メソッドを始められた酒井邦秀先生の講演も拝聴したのですが、そのとき、「1000万語読んでもtoeic万年700点台の人もいれば、かたや10万語でtoeicが短期間に200点、300点上がった例もある」とのことで、「量だけでなく、読み方の問題もあるのではないか」とおっしゃっておられました。
・・・ははは・・・。わたしは典型的前者?! ・・・ていうか、1000万語読んでも700点取れる気がしない^^;。だって700点て、けっこう凄いんじゃない? 実際の試験は受けたことがないので分かりませんが、5年くらい前にtoeicの模試とかいうのを夫が買ってきて、二人でやってみたとき、夫婦二人して400点くらいだった気がする(汗)。700点ってその倍近いんだから、相当英語ができるんじゃないかと思うのですが、それでもそれ以上上がらないとなると失敗例になるんなら、わたしなんかどんだけ失敗例なんだか・・・^^;。
でも今のわたしは「多読」の「とにかくたくさん読むだけ」という簡便さがラクなので、読み方とか、あんまり難しいことは考えないで、ただただゲーム感覚でたくさん読みたいです。自分が多読の成功例に属するのか、失敗例に属するのかなど、なるべく自分を客観視することなしに。読みたいものを読みたいように、ただただ愚直に読みたい。
とはいうものの、100万の目標ももう5分の1。俗っぽいわたしのことだから、今後100万語に近づくにつれ、なんの成果も感じないことに焦りを感じることもあるかもしれません(すごくありそう)。そんな未来の自分に向けて、まだまだ気楽でいられる今のうちに、ここにメッセージを記しておきます。
もし英語力に何の変化も見られなくても、100万語読んだというだけで、いいじゃない?
英語をたくさん読んで楽しかった。それで充分じゃない?
と。
それにしてもありがたいのは、読む本が安く手に入ったことです。本が高いと、ケチなわたしのことだから、「これだけ元手がかかったのに、ちっとも英語が上達しない」と思ってしまいそう~! そう思わなくて済むのは、本当にありがたいです。これまでにかけた本代はまだ5000円ちょっとだから、読んでいる間の楽しい時間を買ったと思えば、おつりがくるくらいです。
もしもその10倍の費用をかけたとしたら、「あー楽しかった」では済まず、何かはっきりとしたアウトプットが欲しくなるんじゃないかという気がするんですよね。もし10万もかけたら、「ロゼッタストーンのほうがまだ安かった」とか、そういう邪念に囚われる気がする。そういう目に遭わなくて済んだのは、本を安く(或いは無料で)譲ってくださった方々のおかげです。
本当に、本当に、ありがとうございます。
ここでお礼を言っても、届かないかもしれませんけれど・・・。
わたしのような読み方を「多読」と呼ぶのは邪道なのかもしれません。でも今後も「多読」と呼ぶことにします。さしあたってほかの呼び方が思いつかないので。
別にソニー製じゃなくても、持ち運び用の音楽再生機を「ウォークマン」と呼ぶのと同じ。化学調味料全般を「味の素」と呼ぶのと同じだと思ってください。