タイ語

タイ語の思い出

 今回は、ほんの一時期夢中になったタイ語の思い出を語ります。


 タイ語にハマったのは2006年晩秋のこと。本屋さんで素敵なタイ語の入門書を見つけたのがきっかけです。当時ちょうど出たばかり。最寄りの本屋さんに山積みになっていました。

タイ語の目
(絶版)

 それは美しい本でした。タイトルは「タイ語の目」。文字に特化した本でした。その斬新なタイトル、シックな装丁、クリーム色がかった紙のすべすべした手触り、ゆったりとった余白に紫色やマゼンダ色で描かれたエキゾチックなタイ文字・・・。すべてがわたし好み。まだカラーの語学本がほとんどなかった当時、一瞬で魅了されました。

タイ語の目

 別言語の試験前だったのですぐには買わず、試験を終えた日、待ってましたとばかりワクワクしながら購入したのを覚えています。「試験を頑張った自分へのご褒美」という名目で。

 この本をしょっちゅう眺め、エクセルを使って自分でまとめ直したりもしたので、1週間もすると、使われる頻度の高い子音文字を覚え、母音記号の規則もなんとなく頭に入りました。

 文字を覚えると簡単な文章が読めるかどうかを試したくなり、タイ語で書かれた薄い絵本を1冊買いました。別の入門テキストも追加で2冊購入しました。

 絵本を読むためには辞書が必要です。タイ語の辞書は高価なので、ネットで無料の辞書データをダウンロードしました。辞書を引くためにタイ文字キーボードも導入しました。ノートも、文字用に用意した一冊目に加え、二冊目のテキスト用、単語用の二冊を新調しました。

 テキスト、ノート、辞書、絵本。タイ語を学ぶための立派な環境が出来上がりました。

 けれども、タイ語熱は長くは続きませんでした。ほんの2、3週間ほどで急速に冷め、そのままフェイドアウト。あとに残ったのは、最初の数ページだけアンダーラインが引かれ、残りのページは開いた形跡すらないテキストと、最初の数ページにしか記入のないノート。「タイ語」と聞けば「挫折」、「挫折」と聞くとタイ語を思い出す、苦い思い出となりました。


 わたしはなぜタイ語をやめてしまったのでしょうか。

 それは、声調があったからだと思います。英語やフランス語など、これまで学んだヨーロッパ言語にはない「声調」という特徴を前に、どうすればよいのか分からなかった。

 ハマった期間は短かったものの、タイ語には達成もありました。

 まず、最初に購入した「タイ語の目」は十分活用し、文字の読み方を一通り覚えることができました。

 次に、絵本を一冊読んだことです。絵本の内容をノートに写し、辞書で意味を調べて書きました。辞書データを参照するには覚えたてのタイ文字をキーボードに打ち込まなければならず、苦労しましたが、なんとか絵本一冊、最後まで意味を調べとおすことができました。ノートも一冊目は最後まで使い切りました。

タイ語の絵本とノート

 同じやめるにしても、ここでやめておけば後味は良かったと思います。ただわたしは深追いしてしまった。矢継ぎ早に二冊目、三冊目のテキストを購入したのは完全な失敗でした。

 タイ語の後味の悪さは「続けなかったこと」ではなく「中途半端にやめたこと」に起因するものです。使いかけのノートや参考書が後に残ったから、この経験を「挫折」と感じるのです。

 ではなぜ深追いしてしまったのか。

 おそらく、タイ語で二匹目のどじょうを狙おうとしたのだと思います。フランス語の成功をタイ語でまた味わおうとした。

 それは二冊目に買ったテキストにも表れています。「CDエクスプレス タイ語」。フランス語で一番最初に使ったテキストと同じシリーズです。当時からタイ語に検定試験があることも知っていましたから、「タイ語もCDエクスプレスで勉強して、検定試験に受かって・・・」と目論んだのだと思います。

 でもその夢は、タイ語検定の一番下の級ではせっかく覚えたタイ文字が使われないと知ったとき、早くも破れたのでした。


 この苦い思い出は、今では良い教訓です。検定試験対策という大義名分があると、財布のヒモが急に緩むと知り、以来、テキストを買うことに慎重になりました。

 今後またタイ語に取り組む予定はありません。でももし将来、中国語で声調を乗り越えることができたら、タイ語も、と思い立つ日が来るかもしれません。

 それにしても、マイナー言語の入門書がなぜ書店に山積みになっていたのでしょうか。今思うと相当シュールですね。そんな珍事に端を発した数週間のタイ語狂騒曲でした。

 

タイ・プーケットにて

 

 

 

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