ブルネイ川の上に作られたカンポンアイール(マレー語で"水の村"の意)は、 世界最大の水上集落だそうだ。 東洋のベニスと呼ばれるこの集落は14世紀頃からここにあり、 今なお3万人もの人々が住んでいるという。 つまり、ブルネイの総人口の約1割、首都バンダルスリブガワンの人口の約3割が 水の上に住んでいることになる。
ブルネイ川はバンダルスリブガワンの東側を流れる比較的大きな河川で、 集落はその両岸にある。 だから川のこちら側にも集落はあるのだが、 「カンポンアイールに行きたい」と言ったら、 カエリさんは当然のようにうさぎたちをブルネイ川の船着場へと案内してくれた。 おそらく、向こう岸の集落の方が規模が大きいのだろう。
でも、不思議なことが一つあった。
案内されたのが、地元の人たちで賑わう船着場ではなく、
そこから少しばかり離れた別の船着場であったこと。
日よけの屋根や待つためのベンチがあり、ちょっと特別な感じの船着場だ。
こんな閑散としたところで待っていて、本当にボートが来るんだろうか――。
とうさぎは心配になった。
けれど、その心配は杞憂に終わった。 しばらくすると、華やかな水しぶきを上げて、うさぎたちのところにも、 ボートが一台やってきたのだ。 公園の池のボートと大して変わらないボディ。それにモーターを積んでいる。 これが世に名高いブルネイ川の"水上タクシー"である。
よしよし、なかなか良い風情だぞ――。
そう満足して、舟に乗り込もうとした途端、また別の不安が襲ってきた。
行きはいいけれど、帰りはどうやってこの場所に帰ってくればいいのだろう。
と。 ブルネイ川には橋がない。 向こう岸からこちら側に帰ってくる唯一の手段は、 俗に"水上タクシー"と呼ばれる渡し舟だけだ。
うさぎは、車の方へと帰りかけたカエリさんを引き止めて尋ねた。
「この船着場は、なんていう名前なの?」
「向こう岸のカンポンアイールを歩いたあと、
どこでどうやって水上タクシーを捕まえればいいの?」などと。
うさぎがカエリさんを質問攻めにしている間、
水上タクシーのおっちゃんはじっとそこで待っていた。
ちょっと離れた船着場には、他にたくさんお客がいるのに。
どうしてそっちへ行かないで、ここで待っているのかな?
自分のためにそこで待機してくれている渡し守のおっちゃんに気兼ねしつつも、
うさぎは帰りの足が不安で、カエリさんにあれこれ尋ねた。
カエリさんはうさぎのゴチャゴチャをきいているうちに、 これは自分もついていった方がいいと判断したらしい。 車を駐車場にちゃんと止めなおして、一緒についてきてくれることになった。 その間も、船頭のおっちゃんはじっとそこで待っていてくれた。
さて、カエリさんが駐車場から戻ってくると、 皆はゆらゆら揺れる小舟に危なっかしい足取りで乗りこんだ。
モーターのレバーを入れると、舟は水を切り裂いて走リ始めた。
船体は小さいけれど、モーターがついているので、速い速い!
水しぶきを高くあげ、風を切って、えらい勢いで河を縦横無尽に走る!
このスピード感と、髪をなびかせる心地よい風に、みなはもう大喜びだ。
河の向こう岸には、河に打ち込んだ杭の上に、家がたくさん建っていた。
その家々の合い間の水路を通り、粗末な橋をくぐり抜け、舟はさらにひた走る!
船頭のおっちゃんはわざと鋭角に角を曲がる。
そのたび舟は右に左に大きく傾ぐ。それがまた楽しい。
角を曲がるときも、細い水路に入るときも、
舟は全くスピードを緩めることがなく、全力疾走だ。
水の上を走ること、ほんの数分。
船頭のおっちゃんは、
船着場と言うにはあまりにも粗末すぎる1本のハシゴの下に舟を寄せ、
そこでこの楽しいクルージングは終わった。
カエリさんは、彼に45分ほどで迎えにくるようにいい、
うさぎたちは水面ラインから水上集落の道の高さまで、ハシゴを登った。
そうか、このおっちゃんに同じ場所まで迎えにきてもらえばよかったんだ――。
うさぎはお手本を示されてはじめて気がついた。