のんびり屋のきりんとうさぎ一家としては、まったくよく動いた旅行だった。 完全に朝から晩までホテルで過ごしたのがたった1日とは‥!
だけど、一番印象に残っているブルネイの思い出といえば、 毎日同じレストランで朝食を食べ、毎日同じ池の魚にエサをやったこと。 それがうさぎたちの「ブルネイに於ける日常」だった。 この日課があったからこそ、様々なブルネイでのシーンがバラバラにならずに ひと纏まりになったような気もする。 無駄のように見えて、こうした日課は決して無駄ではないのだ。
うさぎたちが4日を過ごしたブルネイのホテル「ジ・エンパイア」は、その豪壮さに於いて 噂に違わぬものすごいホテルであった。 どう考えても、 うさぎたちが支払った一泊2万3000円という室料で 建築費の元が取れる日が来るとは思えない。 一説には「1泊500ドル(7万円)の料金で、 空室率が10%以下という状態が50年間続かないと利益が出ない」 と言われているが、到底高いとは思えない稼働率。 つまり、減価償却が鉄則の資本主義社会では本来、ありえないホテルなのだ。
ならばなぜこんなホテルが存在しえるのか。
うさぎはそれが不思議で、根掘り葉掘りいろんな人にいろんなことを尋ねてみた。
それに対し、
ブルネイ国民は"ヒズ・マジェスティ"(国王陛下)にちょっとでも
関係のあることには堅く口を閉ざし、どんな些細なことにも答えてくれなかったけれど、
外国人は気楽なもので、「これは噂ですがね」と前置きしては、
エンパイアが舞台の国家スケールの壮大な噂話を展開してくれた。
それはまるで小説のようで、自分の滞在しているホテルが舞台だという臨場感も手伝って
ワクワクした。
全く事実の裏づけのとれない噂話に関しては敢えて詳しくは書かないが、 エンパイアの竣工は1992年、ホテルとして開業したのが2000年。 この8年のブランクの間に何があったのか。 それは、公的な資料を見てもおおよそ推し測れる。
エンパイアで使用される食器には「JP」のマークが入っているが、
それはエンパイアの旧名「ジュルドン・パークホテル」の略号とも、
エンパイアの立案者である「プリンス・ジェフリ」の略号とも読める。
前大蔵大臣にして王弟であるこの王子が国庫の不正流用により兄王から提訴され、
その和解が成立したのが2000年5月、
エンパイアが営業を開始したのは同年10月。
――この基礎事実に小説的な味付けがなされれば、どんな刺激的な話になるか、
おおよそご想像いただけると思う。
石油の産んだ富を惜しみなく注ぎ込んだその豪奢な佇まい、 忠誠心厚きブルネイ人のスタッフたち、 一般のホテルとして開業するまでのおとぎ話めいた逸話‥。 結局、もっとブルネイらしい場所であったのは、王宮でもモスクでもなく、 エンパイアであったのかもしれない。