【 マイレージの甘い罠 】
海外旅行へ行く際にはなるべく
相手国の航空会社を利用するというのが我が家のポリシーである。
なぜって成田を出た瞬間から相手国にいるような気分が味わえるから。
行き先によって利用する航空会社が異なるのでマイレージを貯める楽しみはないが、
日系の航空会社よりもたいてい価格が安いので、安く上がるのも気に入っている。
――と、前にも書いた。
そのポリシーは今も変わらないが、昨夏のシンガポール旅行以来、
ちょっとした新展開があった。なんと、マイルを貯めたのである。
この話は、いつもとは異なり、
相手国のフラッグキャリアであるシンガポール航空が
日系の航空会社よりも割高であったことから始まる。
シンガポール航空は世界でもトップクラスの人気キャリア。
そのせいか、シンガポールまでの往復チケット価格が他社に比べて
一人につき2万円ほども高いのだった。
ツアーで行ってもその差は大して縮まらない。
うさぎはなんとかシンガポール航空に乗ろうとあれこれ策をめぐらしたが、
4人で8万円の壁は厚く、しかたなくANAを利用することに決めた。
けれどシンガポール航空を諦めるのは悔しかった。
この悔しさを埋めるものが欲しくて、
「人の貯めるマイルなるものを、我も貯めてみんとてするなり」と思いついた。
マイルを貯めて無料航空券をゲットしようなどという大志など毛頭ない。
ただ、マイルというものが本当に貯まるのかどうか試してみたかった。
次の旅行からはまた相手国の飛行機で行くぞと胸に誓いを立てつつ、
このささやかな経験で、いつもの慣例から外れる悔しさを埋め合わせすることにした。
旅行から帰ってきてしばらくすると、ANAマイレージクラブから明細書が届いた。
貯まったマイル数は3311マイル。
ツアー利用ということで、通常マイル数の半分が貯まっていた。
「優待チケットがもらえるのは15000マイルからだから、5回乗らないともらえないね」と、
きりんと二人で笑った。
マイルを貯めるシステムって本当に機能しているんだな、
ということが確認できたことに満足した。
ところが。再びマイルを貯めるチャンスは案外早くやってきた。
年末のブルネイ旅行である。
ブルネイへ行くのに購入した格安チケットは、
夏にさんざ憧れたシンガポール航空のものであった。
うさぎは大喜び!‥したかというと、そうではなかった。
今回はシンガポールではなく、ブルネイに行くのだ。
シンガポール航空ではなく、ロイヤルブルネイ航空に乗りたい。
けれど、またしてもその希望は打ち砕かれた。
ブルネイに飛ぶ飛行機はそう多くはない。
スケジュール的に制限が厳しい中で、これまた価格にもこだわるとなると、
チャンギ空港でシンガポール航空を乗り継いでいくより他はなく、
しかたなくシンガポール航空で行くことにした。
さて、またしても相手国のフラッグキャリアを諦めなければならなかったうさぎは、
またしても何かで埋め合わせをしたくなった。
人気の航空会社の飛行機に乗れることで満足しようと思おうとしたけれど、
人気だろうがなんだろうが、ブルネイへはブルネイの飛行機に乗って行きたいのだ。
人気が高いから何なのだ。そんなことくらいで、この悔しさは収まらない。
ロイヤルブルネイ航空では経験できない"何か"が代わりに欲しかった。
そう思っていた矢先、ちょっと面白い話を小耳にはさんだ。
なんと、シンガポール航空に乗って、ANAのマイレージが貯められるのですと。
ANAとシンガポール航空は、
他の12の航空会社と共に"スター・アライアンス・メンバー"という共同組合を結成しており、
そのうちのどの会社の便を利用しても、
好きなマイレージクラブのマイルが貯まるのだそうである。
――こんな話を聞いてしまったからいけない。
うさぎは机の隅に放り込んでおいたANAのカードを引っ張り出し、
シンガポール航空に乗って本当にANAのマイレージが貯まるのかどうか、
これをチャンスに試してみることにした。
ブルネイから帰ってしばらくたった先日、再びANAマイレージクラブから明細書が届いた。
今回はツアーではなく格安航空券を買ったため、通常マイル数の70%が貯まり、
夏のシンガポール行きの分と合わせると、なんと一人9000マイル以上も貯まっていた‥!
9000マイル‥。この数字を見たら、なんだか急に血が騒ぎ出した。
3000マイルだったときには笑い飛ばした無料航空券ゲットの夢が、
にわかに現実味を帯びてきたからだ。
あと6000マイル‥あと6000マイルあれば、ソウルまでタダで行かれる‥!
さあ、この6000マイルをマイレージ有効期限の2年半の間にどうやって稼ごう?!
――知らず知らずの間にそう考えている自分がいた。
おっといけない! これでは主客転倒である。
グリコのおまけが欲しくてキャラメルを買うようなものだ。
「タダほど高いものはない」――と以前、自分でも書いていたではないか。
こういうものは、知らず知らずのうちに貯まるならともかく、
"貯めよう"とチラリとでも考えたら最後、決して得にはならないのだ。
「得した気分」にはなれたとしても。
実はうさぎにはこれに似た苦い経験がある。
行きつけのバレエショップのメンバーズカード。
2000円分の買い物をするとスタンプが1つもらえ、
それが20コ貯まると4000円分の商品券が貰える。
この「商品券」という"おまけ"の魅力に惑わされ、
メンバーズカード制度が導入された年は、気づいたら
前年の倍もその店につぎ込んでいた。
4万円買うと4000円の商品券がもらえるというのは
4万4000円分の商品を1割引(つまり3万9600円)で買うことにも劣る割引率だが、
「4000円分もの商品券を貰ったら何に使おう?!」という楽しい想像は
1割引きバーゲンにはない魅力で、
店の策略にまんまと嵌り、だいぶサイフのヒモがゆるんでしまったのである。
以来、"ポイント貯めてタダ券ゲット"の誘惑には殊のほか用心してきたつもりだった。
でも‥でも。ふと気づけば、「格安航空券でロスまで飛べば7000マイル‥」などと考えている自分がいる。
いや、別に考えたっていいのだ。
本当にその旅行が、マイルを別にしても最適であるならば、実行に移したって構わない。
ロス行きのユナイテッドの格安エアチケットが"たまたま"見つかり、
同時に、西海岸かベガスのホテルでこれはと思うところが
"たまたま"航空券価格を差し引いてもツアーに負けない価格で泊れて、
且つ、バリやシェムリアップやフィンランドといった多くの憧れの渡航先のいづれにも
"たまたま"格安ツアーが見つからなければ、格安航空券でラスベガスに行くのも悪くはない。
だけど、実際に選択を迫られたら、ちゃんと冷静な判断が下せるのだろうか。
ソウル行きのおまけに目がくらんで、マイレージに関係のない
別の良いプランに目をつぶってしまったりしないだろうか。
7000マイルをゲットしたいあまり、プランに妥協を許しはしないだろうか。
‥うーん、あんまり自信はない。
だいたい始末の悪いことに、マイレージを貯めてもらえる"無料航空券"なるものは
妙にオシャレである。
この勲章のごとき燦然たる輝きは一体何なのだろう。
スーパーでブルーチップを集めて貰った景品には所帯じみた空しさが漂ったとしても、
マイレージを貯めて貰った無料航空券には、高級感らしきものすら漂う。
システム的にはブルーチップとまったく変わらないのに、
大航空会社のお得意様っぽいハイソな雰囲気が演出できちゃう上にもってきて、
すべきことをキチンとやる「賢い奥様」っぽいイメージすらある。
「マイレージを貯めて無料航空券を貰おう!」と、航空会社が言うのみならず、
世間の風潮までがそういうことになっているのだから、手に負えない。
あと7000マイル貯めてソウルに行かないことには、
今までに貯まった9000マイルを"無駄にする"ような後ろめたさすらある。
‥あーあ。
ベガス行きでもう7000マイル貯めてソウルに行くべきか、それとも9000マイルを捨てるべきか。
しばらく逡巡を重ねた挙句、うさぎはきりんにこう言ってみた。
「ねーえ、あと6000マイルでソウル行きの無料チケットが手に入るんだけど」
「ソウルに行きたいなんて思ってたんだっけ?」ときりん。
「ううん、別に。でもタダでいかれるならソウルもいいかな、と思って」
うさぎがそう言うと、きりんは言った。
「ソウルに行くためにマイルを貯めようと思うなら、
そのチケットはすでに"タダ"ではないよ」
と。
きりんはいつもあっさりとしている。
そのあっさりさにうさぎはいつも感心するが、
それがきりんの本心と信じることができない。
本当にそう簡単に割り切れるものなのか。痩せ我慢ではないのか。
そう考えるものだから、うさぎは言い募った。
「でも、あと6000マイル溜まらないと、今までに溜まった9000マイルは無駄になるのよ。
つまり捨てることになるのよ。‥それってなんだか勿体ないような気がしない?」
‥こういうことを言うあたり、うさぎもすでにマイレージ伝道者の仲間入りである。
ところが。
「捨てるもなにも‥。
もともとマイレージなんて、実体は何も"ない"んだよ。
何かの価値が"そこにある"と思うのは錯覚だよ。
ないものをどうやって捨てるんだ?
‥とにかく。
マイルを計算に入れて旅行計画を立てることは、
これからも我が家では決してしないからね。」
と、きりん。
"我が家"。その言葉に、うさぎはハッと目が覚めた。
そうだ。我が家には我が家のやり方がある。
ハイソでなくたっていい。賢くなくたっていい。
「我が家」でありさえすれば。
ソウルに行きたくなったら、お金を出して行けばいい。
できればANAではなく、大韓航空で。
術はやぶれたり。
マイレージの呪縛にかかったうさぎ姫は、
こうしてきりん王子のキスによって目覚めましたとさ。
で、そのあと、目覚めたうさぎ姫はどうしたかって?
転んでもタダでは起きないこの姫、
マイレージの代わりに、ちょっと違ったものをためてみようかと思いついた。
マイレージカードって、カードだけならタダで手に入るのよね。
世界中の航空会社のマイレージカードが集まったら楽しいだろうなあ
――そんなことを目論んでいるのであった。
2003年2月22日 うさぎ