絵が完成してうさぎがまずやったことといえば、
それをアラムジワに見せびらかしにいくことだった。
「これはガルーダで、後ろにライステラス、その向こうにあるのが聖なる山アグン山で‥」
うさぎはアラムジワのレストラン周りを巡り、
スタッフやら日本人ゲスト、会う人ごとに解説付きで絵を見せてまわった。
でも、肝心の人がいない。ビッグコマンだ。 ビッグコマンにこそ、出来上がった絵を見てもらいたい。 それに、ビッグコマンにはいま一度、頼みごとがあった。
実は、絵の描き方を教えてもらったお礼にダギング先生に何かしたいと思っていたのだ。 いや、「お礼」なんていうほどのことができるとは思えない。 ただ、何とかしてお礼の気持ちを何かで示したかった。 でもどうしていいか分からない。
そういうときに、相談にのってくれそうな人といえば、
もちろんそれはビッグコマンだった。
「困ったときにはビッグコマンのところに行け」だ。
うさぎは絵を持ってビッグコマンを探し、スタッフに彼の居場所を尋ねて回った。 するとしばらくして、向こうの路地からビッグコマンが姿を現した。
「ビッグコマン! 探していたの!
あのね、あのね、絵が出来上がったの!
それに‥ええと‥ええと、相談したいことがあって‥」
うさぎが何から話していいのか分からず、興奮気味に言うと、
ビッグコマンはゆっくりと言った。
「まあまあ、落ち着いて。あっちで静かに話しましょう」
そして彼はプールサイドのテーブルのところまでうさぎを引っ張っていった。
「ご存知のとおり、3日間に渡り、ダギング先生には絵を教えていただいたんです」 椅子に腰掛けるのももどかしく、うさぎは言った。 「おかげでこんなに素敵な絵が描けました。 それで先生にはとても感謝しているんです。 その感謝の気持ちを何らかの形で示したいんです。 たとえばお金を支払うとか、そういうことも含めて。 でも、わたしはバリの習慣を知らないので、 そういったことが、バリでは失礼にあたらないのかどうかが分からなくて」
「なるほど、話はよく分かりました」とビッグコマンは答え、慎重に念を押した。
「あなたの感謝の気持ちを示すためなら、金銭の支払いもやぶさかではない、と。
――そうお考えなのですね?」
「ええ、そうです」とうさぎはきっぱり言った。
「分かりました。お礼としてお金を差し出すことは、バリでもよくあることです。
感謝を示すやり方として、適当でしょう」
「でも一つ、憶えておおきなさい」とビッグコマンは言った。 「バリニーズはとても礼儀正しく、お金に関することは口に出したがらない。 たとえばあなたが"お礼を出したいのだが、どれくらいの額がご所望ですか"と 当人に尋ねたとしても、 "いやいや、お礼なんていいんだよ、いらないよ"とまず確実に言われること請け合いだ。 だから、そんなことは訊かず、自分で金額を決めてお渡しなさい」
「分かりました。でも」とうさぎは言った。
「わたしは相場というものを知らないので、自分で金額を決めるのはとても難しい。
ビッグコマン、あなたなら、いくらくらいが妥当だと思いますか?
わたしはあなたの意見を参考にして決めたいと思います」
「分かりました」ビッグコマンはそう言うと、ある金額を提案した。
「1日でこれくらいとして、それが3日分ということで、これぐらい」、と。
うさぎは早速、頭の中でその金額を日本円に直す作業に取り掛かった。
ええと‥ゼロを二つとって1.5を掛けると‥。
うさぎの難しい顔をビッグコマンは見つめ、ちょっと心配そうに、尋ねた。
「‥いかがでしょう、多すぎると思いますか?」
けれど。
「‥とんでもない!」
それがどんな金額か分かると、数テンポずれて、ようやくうさぎは叫んだ。
その額は、多すぎるどころか、少なすぎるように思えた。
おそらく、うさぎのみならず、たいていの日本人ならそう思ったことだろう。
ビッグコマンに心からの礼を言って別れたあと、うさぎは考えた。 「ビッグコマンは少し控えめな額を言ったのかもしれない」、と。 同胞が受け取るという遠慮から、それもありうる。 そこでうさぎは、 ダギング先生にはビッグコマンの示した額の3倍を渡すことにした。
けれど。
結論から言うと、やはりビッグコマンの言った額が妥当だったのかもしれない。
うさぎが謝礼を差し出すと、ダギング先生は気持ちよく受け取ってくれたと思いきや、
「せっかくだからもらっておくが、これだけで充分だ」と言って、
3分の1だけ取り、あとの3分の2をうさぎに返してよこしたからである。