ある言語がどれだけ操れるかは、ほぼ語彙力で決まると思っています。なのでこれまでわりと真面目に単語暗記をしようと思ってきました。
ところが1年前に英語多読を始めて以来、単語を積極的に覚えようという気がなくなりました。何十回も何百回も本の中で目にした単語はそのうちいやでも覚えてしまうと知ったからです。
自分が選んで読む本に頻繁に出てくるような単語、つまり自分にとって重要度の高い単語は、覚える時期が来ればいずれ自然に覚える。ならばいますぐ無理して覚える必要はないんじゃない?と思ったのです。
で、覚えられない単語は、まだ覚える必要がない、あるいは、まだ覚える時期に来ていないと思えばいいのではないかと(笑)。
つまりは、単語を覚える努力をしたくないだけなんですが^^;。
その流れで、ドイツ語検定2級を志した今回も、何度も紙に書いたりといった、いわゆる「単語暗記」は一切やりませんでした。
ただ、たくさんの単語に触れたとは思う。本をたくさん読み、朗読を沢山聞いたので。
あと、単語集をよく眺めました。自分でも作りましたが、むしろよく見ていたのは、市販のものです。
単語集の効用
実はわたし、単語集が大好き。だからたくさん持っています。フランス語だけで7、8冊はある。アルファベット順のもの、カテゴリ別のもの、試験に出る頻度順、英語との対比になったもの、イラスト単語帳、写真単語帳、CDつきのもの・・・。語尾配列のアルファベット順、なんてものまであります。語尾がaで終わる単語から始まって、zで終わる単語が最後にくる単語集です。
辞書が海なら単語集は池
わたしは辞書も好きですが、辞書を海とするならば、単語集は池。収録単語数が少ない分、広大な海(辞書)とは違い、全体が容易に見渡せる世界の小ささが、単語集の魅力です。
ドイツ語に関しては、手持ちの単語集が三冊(うち一冊は二部構成)。どれも収録語数が2000くらいのもので、収録単語の9割程度はかぶっています。あとは図書館で借りたり、辞書で大見出しになっている重要語だけ拾って読んだり。入門書の巻末についている単語集を眺めたりもしました。
単語集は仲間集め
単語集は、似たもの同士・仲間同士を集めるように仕組まれていて、たとえば、アルファベット順だと必然的にスペルの似たもの、とくに接頭辞が同じものが近くに集まります。
品詞別・活用別のものなら、形容詞なら形容詞、動詞なら動詞ばかりが一緒に並び、語尾の似たものが集います。
カテゴリ別なら、対になる言葉が近くに来る。一例をあげれば、「大」と「小」、「山」と「川」、あるいは「罪」と「罰」。「ペン」と「えんぴつ」、「銀行」と「郵便局」、「駅」と「バス停」、「強盗」「スリ」「空き巣」とかね。
一つの単語が持つ複数の顔
様々な単語集を代わる代わる見ていると、単語にはいろんなくくり方があって、くくり方を変えることで、ひとつの単語でもいろいろな顔、いろいろな仲間を持っていることに気付きます。
たとえばFreund(友人・味方)という言葉を例にとると、
- 品詞は一般名詞。語末に-inをつければ女性形になり、-lichを付けると形容詞、-schaftをつけると「友情」という抽象名詞になり、一つのファミリーを形成する。
- 他人の空似的なご近所(スペルの似たもの)には、Freude(喜び)やFreiheit(自由)、Friede(平和)など。イメージの良いものが多い。
- 反意語はFeind(敵)で、性と複数形の作り方が同じ。中間的な立場としてのFremde(見知らぬ人)、奇しくもこれもF始まり。
- 英語との関係でいえば、friendにあたる。
・・・などなど。つまりFreundという一つの単語は、さまざまな角度から見ると、さまざまなグループに属しており、いろんな単語と仲良しなのが分かります。
ちょうど人間と同じ。たとえばわたしは、家庭では母親で、学校では生徒。ある人にとってのわたしは幼馴染で、別の人にとってはネット仲間、そのまた別の人にとっては近所のオバチャン。そういう様々な関わりによって、わたしはわたしであり続け、そういう無数の個人が寄り集まって、社会は形成されているわけです。
一つ一つの単語にも、それぞれ家族やご近所や、さまざまな仲間、はては外国人の友人までいて、そういう無数の単語が集まって、一つの言語が形成されているんだなあ、と気付きました。
そうか、単語というのは、それぞれ単独で存在するわけじゃなく、言語全体の中の細胞の一つなんだ!
そして言語というのは、一つ一つの単語のもつ触手が互いに絡み合った、一種の網のような状態なんだ!
ドイツ語を学んで発見したのは、そんな言語のイメージです。
急がば回れ
そして、こうしたイメージを持つようになってからは、ますます一つの単語の意味だけ取り出して覚えることに興味がわかなくなり、その単語がどんな触手をもち、それがどう他の単語と絡み合っているのかを確かめるのに夢中になりました。一つの単語から別の単語へと、芋づる式に気になる。それで単語帳や辞書をサーフィンしていると、2、3時間がアッという間!
でもねー、いつもあとから振り返ると、一体どうしてそんなに時間が経ってしまったのか、どうしても分からないんです。なんだか夢中になっているうちに時間だけ持っていかれちゃったような気分。「ここは竜宮城か!」ってカンジ。
なので迷いもありました。検定が控えていたから。理想はどうあれ、検定試験という現実が目の前に迫っている時期、そんな悠長に遊んでて大丈夫なのか、と正直思った。検定に受かりたいなら、やっぱり普通に真面目に単語暗記にいそしむべきなんじゃないかと。
・・・でも結局、やりたいことのほうに傾いた(笑)。
ところが、結果的にはこれが正解だったらしい。なぜって不思議なことに、検定で問われる単語も含め、今の自分にとって必要な単語はたいてい意味がとれるようになったからです。むしろ、こっちのほうがわたしには頭に残りやすかった。
たとえばHeft(ノート)という単語。最初これがなかなか覚えられなくて、文中で目にするたびに「これなんだっけ?」と思っていました。
けれどもある日、Hefter(ホッチキス)という単語を知った。英語同様、-erを付けると、ドイツ語も「○○する人」とか「○○する道具」という意味になるんです。・・・で、これは何の道具か、と考えたとき、「冊子を作る道具」ではないか、と思いつきました。・・・というのは、しょっちゅう自分がホッチキスで冊子を作っているからなんですが(笑)。
「ならば冊子はHeft?」と思って単語帳で確認したら、実際そうでした。更に、だったらきっとheftenという動詞があって、それは「綴じる」という意味ではないかと思い、辞書を引いたらやっぱり! heften(綴じる)という動詞がありました。
綴じるがheften、綴じる道具がHefter、綴じたものがHeft。なんともきれいじゃあありませんか。
・・・で、そしたら、アーラ不思議、それまで何度見ても「Heft=ノート」と覚えられなかったのに、その後はHeftというと紙を綴じたもののイメージがするっと頭に浮かぶようになったんです。
ついでに、heftig(激しい)という単語もイメージできるようになった。こちらは、ノートをパラパラと勢いよくめくるように、集中的に何かを畳みかけるようなイメージかなー?と^^。
もし検定試験のことだけ考えていたら、heftig(激しい)やHeft(冊子・ノート)は覚えようと努力しても、Hefter(ホッチキス)やheften(綴じる)は、試験に出そうもないからと、切り捨てていたに違いないと思います。
でもそうやって関連性を考えずにただ頑張って日本語の訳語を暗記しようとしていたら、結局heftig(激しい)やHeft(冊子・ノート)も覚えられなかった気がします。
それまで、覚える分量が少なければラクで、覚える分量が多ければ大変、と思っていたのですが、そういうものでもないのかなあ? なぜだか、一つより、束になってたほうが、頭に残るみたいです。
覚えることより思い出すほうが大事
また、単語というのは、「覚える」ことより、「思いだす」ことが重要なんじゃないかと思いました。
「この単語を覚えるぞ」と意気込んでねめつけてみても、そうそう覚えられるものではない。でも、本の中で何度も出会うと、5回10回ではダメでも、50回100回見ればさすがに覚える。それは「顔を見れば記憶が新たになる=思い出す」からではないかと。
もしかしたら、記憶というのは、「頭に入れる」ことではなく、逆に「頭の中から取り出す」ことなのかもしれません。
覚える単語を決めない
あと、「この単語を覚える」と決めない。だって、覚えようとした単語が覚えられなかったら悔しいじゃないですか。だから、ただたくさんの本を読んだりいろんな単語帳を眺め、「一つでも頭に残ったらラッキー♪」くらいに思ってたほうが平和だという結論に達しました。
一見、気長すぎるようにも思えますが(いや、実際気長^^;)、2カ月ちょっとで、なんとなく2000くらいの語彙がイメージできるようになったことを思うと、実はあんがい「急がばまわれ」なのかもと思ったりもして。
何を読むかは自分で選ぶのだから、自分にとって必要な単語に出会う回数は必然的に多くなり、結果、自分にとって必要な単語から順に揃っていく。しかも幸いわたしは平凡な人間なので、「わたしにとって必要な単語」というのは、「世間的に重要な単語」とそうずれてはいないらしい。検定試験の問題に出てきたのは、たいていすでにどこかでみたことのある単語でしたから。
今はまだスカスカですが、それでもとりあえずベースとなるドイツ語の網ができたので、今後はここに結び目を増やし、少しずつ密で丈夫な網にしていこうと思います。
そして別の言語でも、こんな感じで単語と付き合っていけたらいいな、と思っています。