英語

ワールド・スタンダード・イングリッシュ

 先日、大発見をしました。数年に一度しかないような大発見です。その発見により、これまで英語に関して抱いていた多くの疑問が霧が晴れるように一気に解け、今後の方針がピタッと定まりました。

 そのきっかけは、英語インタビューの取材に立ち会ったことです。

 撮影係だったので、ひっきりなしにシャッターを切りながら聞いていました。でも、そんな片手間だったにもかかわらず、その英語はあたかも日本語を聞いているかのように、頭にすっと入ってきました。

 わたしの英語力が高いから?

 ・・・いやいやそうではない。単に先方の英語が聞きやすかったからだと思います。

 別の言葉で言えば、わたしにとって馴染みのある英語だったから。それは日々のスカイプレッスンで聞いているような英語でした。

 昨年4月の入会以来10ヶ月、DMM英会話で毎日英語で会話してきました。DMMの先生方の英語は聞きやすく、英語が分かる喜びを日々感じてきました。

 でも実は心のどこかでこう思ってもいました。この状態に安心してはダメだ、と。先生方はきっとこちらの英語力に合わせ、手加減して話してくれているのだから、と。

 いわゆる「ナチュラルスピード」よりも気持ちゆっくりめ、丁寧で聞き取りやすい話し方。表現もいわゆる「こなれた英語」ではなく、学校の教科書通りの英語。だから分かる。でもきっと実地の会話の場面では、こんなにうまくはいかないだろう、と。

 でも違ったんですね。先生方が話す英語は、ちゃんと実社会でも使われている。そしてわたしにも難なく理解できるものだった。それがこの日、わかったのです。

 但し、そのインタビューで話をしていたのは英語ネイティブではありませんでした。

 またインタビュアーは日本人だった。つまり、双方とも英語ネイティブではありませんでした。

 もしこれが英語ネイティブ同士の会話だったら、どうだったでしょうか。話すスピードはもっと速く、ラフな表現がたくさん含まれていてわからなかったかもしれません。ネイティブ同士の会話ではなかったから、傍で気軽に聞いていても分かったのだと思います。

 ・・・とこう書くと、「なーんだ」と思われた方も多いのではないでしょうか。「ネイティブの英語が分かるんじゃなかったら、意味ないじゃん」と。

 わたし自身、ちょっと前までならそう考えたと思います。この経験を実際にするまでは。

 ここで一つ質問があります。

Q. 英語がペラペラな自分を想像するとき、その仮想会話のお相手はどこの国の人でしょうか。

 おそらく、アメリカ人かイギリス人ではないでしょうか。フィリピーノやシンガポーリアンではなく。

 そしてその絵の隅にはなぜか、あなたの流暢な英語を聞いている日本人がいる。違いますか?

 ――なぜそんなことが分かるかって? そりゃあもちろん、わたし自身、そういう図が頭にあるからです(笑)。

 つまり、英語がペラペラになりたいという思いの影にはたいてい「誰よりもまず同じ日本人に褒められたい」という動機が潜んでいる。言い換えれば、わたしたちが思い描く「ペラペラ」とは、他の日本人が感心するような英語のことなのだと思います。

 具体的には、他の日本人が知らないような表現、使えないような表現を、普通の日本人では喋れないようなスピードで、次々に繰り出す英語、ではないでしょうか。「他の日本人に一目置かれる英語、他の日本人には理解できないような英語」が、「ペラペラ」の正体なのだと思います。

 世の中にあまたひしめく英語学習本が、ネイティブらしいこなれた表現とネイティブスピードにこだわるのは、購買層のそうしたニーズを見抜いているから。だから競って他の本には載っていないような表現を載せ、そして危機感を煽るのです。「ほら、あなたはこうした生の英語の表現を知らない。でもいまどき学校で習うような英語なんて、ネイティブは誰も使ってませんよ」と。

 そして、学習者はタメイキをつくことになる。覚えても覚えても、知らない表現が次から次へとまだまだある。英語ってなんて難しいんだろう、と。

 でも先日のインタビューには、そんな難しい表現など一つもありませんでした。ある国の大使夫人のインタビューでしたが、中学で習った英語、いつもスカイプで話している先生方の英語と同じものでした。

 これが「世界の英語」なんだ、って思いました。英語を使うのはネイティブだけじゃない。数から言えば英語話者の内訳は、ネイティブよりも非ネイティブのほうが多いのです。

 そういえば先日見た映画で話されていたイスラエルの英語もこんな感じだった。昨年訪れたチュニジアで訪問した先生のご家族の英語もそうだった。

 世界で理解されるのは、こういうシンプルで規則的な英語なのです。悪く言えば「味のない」、よく言えば「けれんみのない」英語。

 アメリカ人同士の会話が理解できないのは日本人だけじゃない。DMMの先生方はわたしなどからすればそれこそペラペラに見えますが、そんな彼らもよくこぼしている。「アメリカ南部の黒人英語はさっぱり分からない」などと。

 わたしたちが考える「アメリカ英語」は、実は多種多様な英語の総称なのではないでしょうか。あれだけ広大なアメリカ、多種多様な年齢、社会層で使われる英語を全部ひっくるめて「アメリカ英語」と呼んでいるのでは。

 英語の教本を書く人たちが、ある人はニューヨーク、またある人はロサンゼルスと、違った街でサンプリングし、「これこそが本物の英語でござい」とばかりに日本に持ち帰って披露するものだから、英語の敷居は高くなる一方。

 そういう本を見ていると、こういうのが全部分からないといけないような気がしてきますが、日本語だって、吉本の芸人が使う関西弁や舞妓さんの使う京都弁が全部分かるわけではない。でもそれでいいわけです。

 わたしはこれまでDMM英会話で、20カ国以上の先生と話してきました。アジア、アフリカ、ヨーロッパ、中米。出身はバラバラ。でもおそらく声だけ聞いていたら、どこのご出身かわからない。つまり今思い出してみると、地域がバラバラにもかかわらず、その英語は驚くほど均一だった。

 これまでそれを別段すごいと思ったこともなかったし、そもそもその均一さに気づきもしなかった。でも違った環境で違った言語を母語に持つ世界中の人が、これほど均一な英語を話すって、よく考えてみればすごいことではないでしょうか。

 「世界の英語」というと、よく取り上げられるのは、地域によって異なるその多様性です。でも今のわたしはむしろ、その均一性に感動を覚える。それぞれ地域に根ざした言葉とは別に、世界中で通じる英語があることに心が躍る。非ネイティブに通じる英語は、ネイティブにも通じる。

 わたしこれまでずっと、英語って世界で一番難しい言葉だと思ってきました。難しいとよく言われるアラビア語なんかよりはるかにずっと英語のほうが難しいと思っていた。

 でももしかしたら、そうじゃないのかもしれない。わたしがいままで英語だと思っていたものは、世界中の英語ネイティブが話す英語の雑多な総称。その巨大な影に、ただバクゼンと怯えていただけ。

 なんだかんだいって、日本人はけっこう英語を知っています。自分は喋れないクセして耳学問だけはやたら豊富。だから周囲の日本人にペラペラに見せようと思ったら、け~っこう大変。

 でも、気の利いた表現を使おうとか、周囲にカッコイイところを見せようなんて妙な色気を出さなければ、意外と英語ってシンプルなのかもしれない。

 論理和(OR)ではなく、論理積(AND)で考えればいいんです。アメリカでしか通じない英語、イギリスでしか通じない英語はひとまず置いておき、世界中で通じる英語が使えればいいやって考えれば、英語の世界はそんなに広大ではないかもしれない。

 ・・・なんていう話を、発見してすぐ、誰よりもまず真っ先に馴染みの先生に話しました。

 「ワールド・スタンダード・イングリッシュっていうのは、これまでアメリカ英語のことだと思ってた。でも違うのね。アメリカ英語も方言の一種。スタンダード・イングリッシュっていうのは、今あなたがここで喋っているこの英語のことなのね」と得意げに自分の発見を伝えた。

 すると、

 「うん、そうだよ。特定の地域に根ざした言語は、アメリカ英語だろうが、イギリス英語だろうが、全部ダイアレクトだよ」と、こともなげに言われてしまった。・・・え、知ってた? なーんだ、わたしには大発見だったのに。

 でも、「わたしはね、今まで無意識のうちにネイティブスピーカー、特にアメリカ人を目指していたと思う。でも今回分かったの。わたしはあなたみたいな英語が使えるようになりたいの」

 そう続けると、ハンサムな先生はニッコリして、

 「ありがとう。でもそれならきっと、あなたはもう、あとほんの一息のところまで来ていると思うよ」と言ってくれました^^。

 DMMを始めた当初、正直、本当は英語はアメリカ人かイギリス人に習いたいけど、費用的にそれは無理だから、とりあえず非ネイティブの先生で妥協しとくか、という部分があったと思います。

 でも今は、こんなに素敵な非ネイティブの先生方に囲まれ、世界中で通じる英語を学べることに、心から満足しています。

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