2004年2月28日 知らないものは分からない(前編) USB編

こぶし

今日もまた買い物のついでにデジカメFZ2で200枚ほど写真を撮りました。 そして家に帰ってパソコンに取り込もうとしたら――。 なぜだかパソコンがFZ2を認識してくれない。 そもそもFZ2が転送モードにならないのです。 いつもなら、ケーブルをつないで電源を入れるだけで、自動的に転送モードになるのに。

「おかしいなあ、接触不良かしら?」 うさぎは何度もデジカメにUSBケーブルを接続したり引っこ抜いてみたりしました。 ‥でも繋がらず。

今度はパソコンを疑い、一回落としてもう一度立ち上げ直してみました。 ‥でもダメ。状況は変わりません。

仕方がないのでFZ2の取り扱い説明書を取り出して読み、 そのあとメーカーサイトに行ってみました。

トップページ → サポート情報 → Q&A → デジタルカメラDMC-FZ2

と跳び、ようやく 目的のページ に到着。 ところが。

Q: パソコンに接続して画像を転送できない。
A: 1) パソコンと正しく接続されていますか? 確認してください。
   2) パソコンが本機を正常に認識していますか?

‥あのー、お言葉を返すようですが、 どうしたらパソコンに正しく接続できるのかどうしたら正常に認識させられるのか が知りたかったりなんか‥。

くすん、メーカーサイトでダメなら、頼みの綱は win faq しかないわ――。 ところがここでもいまいちよく分かりませんでした。 あの膨大な掲示板過去ログまで探れば何か分かるかもしれないけれど、 それってものすごい大仕事です。 外から帰ってきて疲れているうさぎに、そんな元気はどこにもない。

せめて、パソコンが悪いのか、ケーブルが悪いのか、デジカメが悪いのかが分かれば‥。
そーだ! いい事思いついちゃった。
coolpixで試してみればいいんだわ!

‥というわけで、今度はcoolpixを接続してみました。 すると難なく繋がりました。

‥ということは、ケーブルかデジカメに問題がありそうです。
うさぎはデジカメの設定がおかしくなっていないか、あちこちいじってみました。 でも分からない。

そうこうするうち、だんだん焦ってきました。
だって、メモリカードの内容をパソコンにセーブしなかったら、 それを消して新しい写真を撮ることができない。 もし明日になってもあさってになってもこの状態が直らなかったら。 ――一体どうすればいいの?

もう暗澹たる気分。 だって今はすごく大事な時期なのです。 昨日つぼみだった花が今日は咲いている。 今日咲いた花は、明日には散ってしまうかもしれない。 日々刻々と春になってゆくこの季節に、いつ直るとも知れない障害を抱えて 安穏としていろという方が無理です。

ああもう、一体どうしたらいいの〜〜〜っ?!

傷心のあまり、スパイダーソリティアで遊ぶうさぎ。 ところが、しばらくうすらぼんやり遊んでいるうちに、突然ひらめいた!

ひょっとして、USBケーブルがパソコンに接続されていないのでは?!

と。

早速チェックしてみると。

‥やっぱり!
USBケーブルがハブのポートから抜けてるではないかっっ!

ケーブルを繋ぎ直してもう一度転送を試みると、 やった〜! 難なく転送できました!

◆◆◆

‥全く、あまりに情けないオチでしたね。 どうして最初からUSBハブの接続をチェックしなかったものか、 今から考えると不思議です。 メーカーサイトの指南する

パソコンと正しく接続されていますか? 確認してください。

というのはそういう意味であったかと、今にして分かったうさぎであります。
しかも、以前にも同じことがあったような記憶がうっすらと‥。 ただのデジャビュー? ‥いや、確かに現実にあった。coolpixで。 ‥全然進歩がありませんね。

でもきっと、「分からない」というのはそういうことなのです。 どこから取り掛かったらいいのかも分からない。 何が分からないのかも分からない。 分からないから、記憶も薄い。 だから迷走してしまうのです。
うさぎにとっては、 デジカメもパソコンも、中身がどうなっているのか全く分からない魔法の箱。 それを騙し騙し使っているのだから、 ひとたび何か起きれば、もうどうしようもない。 どこを調べればいいのかも分からないし、 調べてもその意味が飲み込めない。

「どこから取り掛かったら分からない」、「何が分からないのかも分からない」、 そういうことって、USBの接続に限らず、万事に関してあります。 あまりに知らなさすぎて、どうしていいのか分からない。 跳び越えるべきハードルが高すぎて、何度も当たって砕けて傷だらけになる。

実は今、うさぎは他にも同じ問題を抱えていて、 これまたどこから手をつけていいのか分からない。 無駄にあちこちほじくっては行き詰まり、また別の部分に食いついては行き詰まり ‥を繰り返し、全然前に進めません。 もっと落ち着いて、一つのところを攻めればいいのかもしれないけれど、 一度躓くと、そのつまづきが「ちょっと」なのか、「致命的」なのかも分からないから それ以上進めず、仕方なく別のところを掘り返す。 そうやって中途半端に掘り返した穴ばかりが増えてゆく。 最近そういう自分を情けなく感じていたのだけれど、 もしかしたら、そういうものなのかなあ、そして、それでもいいのかもしれない ――今日そう思いました。

だって、知らないものは分からない。 人間、知らないことがあって当たり前だし、知らなければ分からなくて当たり前。 でも、そんな中、困りながら悩みながら、焦りながらあがきながら、 ゲームに逃避しながらじたばたしているうちに、ふっと答えが見つかることもある。 そしてそれは、偶然に見えて実は必然なのではないか。 あちこちつついては挫折を繰り返すのも、きっと経験のうちなのだ。 そういう経験をするからこそ、きっと答えが見えるのだ。

知らない、分からないのは、そんなに致命的なことじゃない。 ただちょっと経験が足りないだけ。 経験が少なすぎて、スポットでしかないから、分からないだけ。

でも、バラバラな経験も、増えてくれば必然的に他の経験とつながって線になり、 ゆくゆくは面になってゆく。 だから、最初はバラバラでもいい。滅茶苦茶でもいい。闇雲でいい。 端からきれいにさらって行かなくたっていい。 とにかく何でもいいから、 経験をいっぱいいっぱい積み重ねることが大事なのではないか、と。

後編(CGI編)につづく