Essay  うさぎの旅ヒント

【 迷子のススメ 】

外国でも日本でも、きりんとうさぎはよく道に迷う。
二人とも乗り物があまり好きではなく、1キロや2キロの距離ならば歩く方を選ぶ。 だからかもしれない。

だいたいが夫婦というものは、 文殊の知恵を出し合うにはオツムの数が一つ足りないのだから、 ちょいとばかり間が抜けていても仕方がない。
神は人間を、一人で生きてはいかれないようにと不完全に作りたもうたが、 二人合わせてもまだ完全ではないらしい。
ガイドブックで充分な予習をし、地図を片手に注意深く歩き始めたつもりが、 それでもどういうわけだか道を間違える。

で、道に迷ったらどうするか。
足りないもう一つのオツムを補うべく、誰かに道を聞くしかない。

道を尋ねる。それは日本であれば、簡単なことである。
けれど海外で、言葉もロクに通じないとなると、話は別。
英語が苦手なのは、日本人だけではない。
英語が得意なのは、米国人と英国人くらいのものだと思い知らされることになる。
道を知るのと引き換えに、 余計なやっかいごとを背負い込むのは必須と思っておいた方がいい。
相手の身振り手振りから、その言わんとするところを汲むのは、 二人分の脳細胞を総動員してもまだ足りないくらいである。

もしかしたら ものすごい苦労をわざわざ呼び寄せてしまったのかもしれないと後悔しつつ、 おのれの想像力の乏しさを恨みつつ、 それでもうさぎがこの困難を乗り越えられるのは、 ひとえに辛抱強いきりんの存在があってこそである。
実を言うと、きりんの制止を振り切って、この困難にわざわざ飛び込んでいくのは、 いつだってうさぎの方なのだが。

だけど、こうして、やっと相手の言う意味が分かったときの感動といったらない。
運の良さに感謝しつつ、ひょっとして我々は頭がいいのかも、という期待を胸に抱きつつ、 満ち足りた思いでまた歩きはじめる。

本当は、目的地にたどり着くことなんて、どうでもいいのかもしれない。
こうして二人で迷ったり困ったり額を寄せ合ったりする、 そのひとときにこそ意味があるのかもしれないと思いながら――。

2002年11月2日 うさぎ

<<<   ――   u-034   ――   >>>
NEW    HOME