炊飯器の憂鬱
炊飯器ってとても便利。 タイマー付きだし、 失敗しないし、安全だし。 毎日お世話になっています。 ときどき鍋でご飯を炊くこともありますが、 便利さでは到底、炊飯器に敵いません。
なのになぜでしょうね、炊飯器ってなんだかカッコワルイ気がしませんか。 何だか所帯じみているような‥。
そういえば、不動産のモデルルームやモデルハウスで炊飯器って見たことがありません。 彩りよく盛られたフルーツ籠の脇に、 パスタマシンやコーヒーメーカーはあったとしても。
そうした道具だって、見た目は別段カッコイイとも思えないのですが。 ただイメージが良い。 コーヒーを飲んだりパスタを食べること自体がハイカラだし、 パスタを生地から打ったり、インスタントではないコーヒーを淹れるこだわりが、 ツールをもオシャレに見せているのでしょう。 道理で豊かな暮らしを演出する小道具として使われるわけです。
そこへいくと炊飯器は、ご飯を食べるのは当たり前だし、 扱いが簡単すぎて、安直なイメージ。 どうにも分が悪い。 かわいそうな炊飯器。 日々役立っているのにね。
ことほど左様に道具は暮らしを象徴するシンボルであり、 道具がカッコワルク見えるということは、それを使う暮らし自体がカッコワルク見えるということ。 道具への愛着加減で、暮らしへの満足度が推し量れもします。 果たして炊飯器復権の日は来るのでしょうか。
初稿:2007年9月13日