おいしさの記憶
たまたま一度、とびきり美味しいものを食べたのがきっかけで、 嫌いだった食べ物が好きになった経験はありませんか。 たとえばトマト嫌いの人が、 あるときとびきり美味しいトマトを食べたのをきっかけに、トマト好きになった、 なんて話をよく聞きます。
ひとたび最高のトマトを食べてしまったら、 口が奢ってもう普通のトマトは食べられないかと思いきや、 逆に、トマトの美味しさに開眼し、普通のトマトでも美味しいと思える いわば「美味しさの勘所」を掴むこともあるのですね。
逆もまた真なりで、好きだったものが嫌いになることも。 わが家はいちごが大好きで、量をたくさん食べたいものだから、味より価格優先。 ふだん買うのは、やや難ありの安いいちごばかりです。 でもそうしていると、時々いちごの美味しさが分からなくなってくる。
そんなときはちょっと奮発し、お客さまにだって出せそうな、 真っ赤に熟れた上等ないちごを買ってきて味わいます。 そうするとまたいちごのおいしさを思い出し、普段のいちごでも美味しく感じられるようになるのです。
わたしの両親は毎年、初物の桃を食べるたびに、 50年も前に清里で食べた桃の話をします。 「あの桃は本当に美味しかった」と口々に語りつつ、目の前の桃にむかし食べた桃の面影を重ねる。 いま美味しいと感じる感覚の中には、 実は過去の美味しさの記憶も含まれているのかもしれません。
初稿:2007年9月20日